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2016/8/25

お坊さんの死生観

8月25日、今年度5回目の「生と死を見つめる集い」が開催されました。今回は、「お坊さんの死生観」と冠し、4人の臨床仏教師・実習生がそれぞれの死生観をお話ししました。異なる宗派の僧侶たちが、僧侶として、臨床仏教師として、日々仏さまに向き合い、祖師の教えに向き合い、そして、さまざまな人々と接するなかで見つめてきた「生」と「死」について、思いのたけを語らいました。

以下、簡単に内容をご紹介します。

トップバッターは、日蓮宗の僧侶・H師です。H師は自分の体験を通して考えた死生観についてお話しました。H師は、数年前、お姉さんを亡くしています。お姉さんを亡くした当初、その死を受け入れることができず、そこから目を背けていました。しかし、お姉さんとの思い出を振り返り、その死としっかりと向き合ったとき、はじめて涙を流し、ようやく姉の死を受け入れることができたそうです。そのとき、師の胸には、『法華経』の「常懐悲感 心遂醒悟」という言葉が浮かんだそうです。これは、「悲しみを悪いことと考えて我慢したり目を逸らしたりするのではなく、その気持ちに向き合い、その気持ちを懐き続けることで、生きていく道が必ず見つかる」という意味です。H師は、お姉さんの死を通して、悲しむことは悪いことではなく、すべてを受け入れることによって得るものがあると実感しました。そして、今でもお姉さんに支えらながら生きているということに気づいたそうです。
H師は最後に、「泣いたり、笑ったり、悲しんだり、自分の中にあるいろいろな気持ちを丁寧に受け入れ、認めていくことが"心豊かに生きること"である」と述べ、お話を締めくくりました。

2人目はU師です。U師は長年にわたり、医療・福祉・介護・教育の現場において、看護や保健のお仕事をされてきました。U師は、生と死について考えるとき、次の3つのことを念頭に置いているそうです。
1つめは、「医療にどこまで自分のいのちを委ねるか」ということです。自分のいのちでありながら、最期を迎えるときには、なかなか思い通りにはいきません。治療法などを含めてどこまで医療に頼るのか、自分なりの考えをもっておきたいと述べていました。
2つめは、「自分の最期のイメージを具体的に描き、そのイメージを家族で共有したい」ということです。U師自身は、自らの最期は家族でゆったりとした時間を過ごしながら、家族一人ひとりに感謝の気持ちを伝えたいそうです。
3つめは、「死を迎え、身体はなくなっても、自分は人の心に残るものだと信じる」ことです。U師は、自分が亡くなった後も、夜空の星のように家族のことを見守っていたいと願っているそうです。
最期にU師は、医療や看護の現場におけるこれまでのすべての経験が、自分にとっての死の準備教育になったと述べ、お話を閉じました。

3人目はO師です。O師は曹洞宗の寺族であり、また長年教員も務めてこられました。教員の経験を通して、「人が生きるとは?」ということを考えるようになったそうです。そして、人が生きるということは、「今を十分に生きること」だと感じているそうです。今を十分に生きることを積み重ねながら死に向かっていくことこそ、"豊かに生きること"であるといいます。さらにもう一つ、豊かな人生にとって大切なことは「人と関わること」であると述べていました。人との関わりが、自らの命を輝かせていくということです。
O師は「慈悲の実践」を人生の課題とし、常に慈悲の心を持って人と接するようにしています。

4人目は、天台宗の僧侶・M師です。M師は、これまでの人生で向き合ってきた"死"を通して考えたことを語りました。M師が出会った初めての死は、飼い犬の死でした。そのとき、飼い犬が苦しみながら死んでいく姿を目の当たりにして、死に対する恐怖心が募ったそうです。
M師は自らの苦悩も述べられました。M師は、死への恐怖を抱えたまま、あるいは死に対する明確な答えを持たないまま、自分が僧侶をしていることにジレンマがあるそうです。しかしそれでも、お檀家さんをはじめ、大切な人の死と向き合う中で、少しずつ"死"がどういうものかがわかってきたそうです。今まで、死は乗り越えなければならないもの、解決しなければならないものだと思っていたけれど、そうではないと思い始めたようです。
あるときM師が本堂の仏さまを見ていたとき、仏さまはいつも私たちのそばにいてくれる存在なんだと、改めて気づきました。同じように、人間も亡くなったからといってその人と私たちとのご縁が途切れるわけではなく、いつでもそばにいて見守ってくれる存在になるだけだということに気づきました。この気づきによって、それまで怖いと思っていた死から、"死はあたたかいもの"だと思えるようになったそうです。

今回の「生と死を見つめる集い」は、臨床仏教師の実修生が、それぞれの胸のうちを思い思いに話してくれました。それぞれが本音で自らの死生観を語ったことにより、後半のグループトークでは、いつも以上に深く有意義な話し合いが持てたように思います。

 

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