共生(ともいき)シンポジウム2008「環境・平和・開発(かいほつ)」開催!
―もうひとつの生き方を探る―
今、私たちの社会は、経済主導のグローバリゼーションの荒波の中で、さまざまな問題に直面しています。景気の後退や社会保障の切り捨てなどによって、国内ではワーキングプア、ネットカフェ難民、自殺といった社会問題が多数噴出しています。青少年のあいだでは人間関係の希薄化が進み、引きこもる若者の増加や、不特定の人間を対象とした不可解な犯罪など、私たちの暮らしやいのちを脅かす危機的な現象も起こっています。
経済発展のみを目的としたグローバリゼーションは、世界的な規模で地域経済・共同体・伝統の崩壊を引き起こし、途上国における貧困・紛争・環境破壊はもとより、日本をはじめとするいわゆる先進国においても、格差社会などの問題を生み出してきました。モノ・カネを物差しとした目先の幸福を追求する価値観は、もはや限界に来ているように思われます。
社会全体に閉塞感が蔓延する中、経済主導ではない「もうひとつの生き方を探る」ため、臨床仏教研究所(全青協付属)では、去る11月17日に「「共生きシンポジウム2008」を主催しました。このシンポジウムは第32回世界仏教徒会議の開催に合わせて企画されたもので、全日本仏教会をはじめとする仏教諸団体の協力の下に実現したものです。
ここでは各スピーカーの発題の概要についてご報告をします。
■スピリチュアリティーに基づく社会参加[島薗進・東京大学教授]
シンポジウムは、臨床仏教研究所の島薗進理事による発題から始まりました。もうひとつの生き方を探る上で、共生社会とスピリチュアリティーというテーマに基づき、宗教、とくに仏教の精神性と社会参加のあり方、そして若者に対する姿勢について問題提起がなされました。
----仏教はと社会の関わりについて、第二次大戦中に仏教が負の意味で社会参加をしてしまった歴史があります。たとえば、仏教者が戦争へ行く若者に対して、その心構えを説くといったことがあったことは、闇雲に社会参加することは仏教本来の在り方に反目し合う結果を導き出すということでしょう。宮沢賢治のように仏教を物語によって説くことを選択し、戦争に反対し、農村に入って貧しい農民の生活を助けながら新しい精神文化を気づこうとした仏教者もいました。しかし、仏教界としては、結局、国家主義の中に飲み込まれてしまったという厳しい現実があります。
このような経験を経て、戦後の仏教は社会に関わるあり方を失い、家庭の中の葬式仏教と化していっきます。そして、現代社会では葬式仏教という在り方さえも危うくなっている状況があるのではないでしょうか。
現代の日本の若者は、宗教そのものには興味はないといわれています。しかし、スピリチュアリティーには興味を持っている人が多いのです。若者の中には大きな期待があるのですが、それを宗教だとは感じてはおらず、むしろアニメの中などにそれを見いだそうという傾向もあるようです。
若者たちに対して宗教に基づくスピリチュアリティーが高い可能性を持っているのだということをどのように伝えるのかということが、これからの共生社会を考える上での大きな課題ではないでしょうか。今日の話の中からそのヒントが出てくることを願っています。
■ローカリゼーション[ヘレナ・ノーバーグ・ホッジ/スウェーデン]
島薗理事の発題を受けて、ゲストスピーカーがそれぞれの活動をふまえ、仏教精神に基づいたもうひとつの生き方の可能性について語りました。
ヘレナ・ノーバーク・ホッジさんは、スウェーデン出身の環境活動家で、現在はイギリスをベースに活動を展開しています。経済主導のグローバリゼーションに対して、持続可能な開発の在り方としてのローカリゼーションについて啓発活動を行っている世界的なオピニオンリーダーです。
----私は40年以上にわたって経済的な発展、すなわちGDP(国内総生産)がどういう問題を引き起こしているのか意識を高めようとしてきました。また、通商の規制緩和がいかに人や自然を破壊してきているかについても警鐘を鳴らしてきました。
現在、自由貿易が我々を一つにしているという間違った認識がありますがこれは間違った見方です。実際には、グローバリゼーションという世界市場経済が地域の市場を壊し、世界各国で貧困を増大させ、同時に文化の多様性をも破壊しているのです。またそのことによって、多くの人たちが、自尊心を失っているのです。
近年の株式市場は、実態とはかけ離れた中で取引が行われています。600兆ドルという、実際のGDPの10倍のバブルを作り出してしまいました。これまでは、自由経済を指示してきた経済学者もようやく規制の必要性について語り始めました。しかし、そのような規制だけでは、貧困をなくすこともできないし、環境破壊を富めることもできません。私たちはこれまでとは異なった新たなルールに基づいて生きることを始めなければならないのです。
とくに重要視しなければならないのが、食であり、食を生み出す地域における小規模農業です。そのことに気づいたのは、1970年代にインド北部のラダックを訪れた時でした。ラダックではお釈迦様の時代さながらに、小さなコミュニティーの中で、相互依存性に基づいて何世紀にもわたって人びとが生きてきました。そこでは地産地消という生活システムが維持されてきました。
今日、私たちがスパーマーケットで買い物をするとき、食べ物の中にメラニンが入っていたり、その食べ物が子どもたちの労働搾取の中で生産されたものであることを知らないで買っています。産地と消費地がつながる小さな経済的ユニットが重要なのです。
地方分散化とローカリゼーション(地域第一主義)こそが、すべての人を幸福にする共生社会の大きなキーワードであると考えています。すでに、世界中でローカル化を推進する運動が始まっています。
■ ブッダの教えに基づく開発[パイサン・ヴィサーロ/タイ]
パイサンさんは、タイの地方都市の寺院をベースに、非暴力・宗教間対話を行うグループの中心人物として、環境保護、紛争解決、地域開発を推進してきました。また、現在は、死に対する精神的・肉体的ケアのため、宗教者と医療者のネットワーク作りに力を入れています。
----これまで私たちは身を粉にしながら物質的な社会の開発と発展のために生きてきました。しかしながら、このような生き方を変えねばならない時期が来ています。人はより多くの収入を得るようになり、そのことが人をより利己的にさせ、即物的にさせているのです。自分のことばかりを考え、物事のつながりを考えずに二元的に物事を見ようとする。このことが、相互の対立を引き起こし、消費者中心主義を助長させ、ときには薬物依存といった社会問題をも引き起こしているのです。
タイの僧侶や寺院は過去数十年にわたり、主に、身体的、物質的な福祉の向上に関してソーシャルサービスを行ってきました。これらの活動は少なからず成功してきました。とはいえ、多くの僧侶がしだいに、このようなアプローチ方法の限界に気づくようになります。身体的、物質的な福祉の向上の他に、社会的、精神的な充足がコミュニティー開発においてとても重要だということが指摘され始めたのです。
私は、開発(かいほつ)についての基本的アイデアをお釈迦様の教えに基づいて次のように説明しています。
お釈迦様は4つの開発の要素について言及しています。4つの要素とは、肉体的(カーヤ)な開発、こころ(チッタ)の開発、社会(シーラ)の開発、精神的(パンニャ)な開発のことです。これらの4つが関係し合い全体的(holistic)な開発ができるのです。
このような考え方は、ダンミック・ディベロプメント、仏法(真理)に基づく開発と呼ばれおり、タイの社会においては一般的になってきています。仏教的なソーシャルサービスとは、これら四つの要素の開発を成し遂げることを意味しています。
人びとは、単に、貧困や公害、犯罪や戦争、人権侵害や差別から解放されることを目指すのではなく、慈悲と智慧によってこころの中に平和をもたらすことを目的とすべきです。そして、その平和は奪うことではなく与えることによって実現できるものです。人は持つことによって幸せになると思っていますが、実際には与えれば与えるほど幸せになっていくのです。心と社会の安寧を実現させましょう。
■ コミュニティーとスピリチュアリティーの開発[A・T・アリヤラトネ/スリランカ]
アリヤラトネさんはスリランカ最大のNGO「サルボダヤ会」の設立者であり、50年にわたった農村開発運動に取り組んできました。サルボダヤ運動は、開発、平和構築、精神的な覚醒を目指す総合的な運動であり、伝統的な価値観を守りつつ、多様な宗教に根ざした新たな社会について提案しています。
----マクロ経済のシステムは社会の中で暴力を生み出してきました。さまざまな国で内戦を生み出してきました。マクロ経済は、従来あった地域社会を壊してきたのです。それと同時に人の心も環境も破壊してきました。
アメリカでは大統領選挙において人びとの意識が転換されました。世界的な搾取、多国籍企業の謀略はうんざりだという思いが表明されたのです。GDP(国内総生産)はGNH(国民総幸福量)と比べて何も意味はありません。
私たちが今目指すべきことは、世界が一つのコミュニティーとして存在することを意識すると同時に、地域コミュニティーを再生することです。スリランカは長い間ヨーロッパ諸国の植民地でした。その間に、統治されることになれてしまい、活力を失ってきた歴史があります。私たちは、これまでグラーマ・スワラージ(村の自己統治)に力を注いできました。自らが自らを統治するという視点が世界的にも重要なのだと思います。
また、一方で、人の霊性も開発しなければなりません。スピリチュアルな力を再発見すること、それをダルマ・シャクティ、真理の力と呼んでいます。真理の力が人びとを力づけるのです。そこにギャナ・シャクティ、智慧の力が生じます。それがジャナ・シャクティ、つまり人びとの力を生み出すのです。
我々は互いに分かち合い、愛し合い、決して破壊的な行為をしない道を選択する必要があります。そうすれば、こころも平和であり、社会も平和であり、自然も平和である環境を作ることができるでしょう。それが本当の開発ということです。
■地球生命システム[ジョアンナ・メイシー/アメリカ]
ジョアンナ・メイシーさんは、30代半ばにインドを訪れたときに仏教に出会います。以来、相互依存(縁起)と一般システム論との比較研究に力を注ぎ、他方で平和や環境などの市民活動に自身の哲学を織り交ぜながら活動を展開してきました。
----産業化・工業化が進んだ現代の社会において、その成功を計る価値基準はマーケットシェアです。マーケットシェアがどれだけ広がったかということが、企業にとっても個人にとっても重要な尺度になっています。テレビCMなどの広告の目的は、いかに人をどん欲にさせるかということです。人をどん欲にさせ、もっと消費しろと言い続けます。その消費の量でそれぞれの国の成功の度合いも計られています。
そこには精神性が忘れ去られています。本来の人間性がどんどんと破壊されているのです。その結果、世界中で鬱病を煩っている人が多くなっています。しかし、これは個人レベルでは解決することはできないことがらです。
互いがつながりを感じながら、ケアをすることで解決することができます。そのことに気づいた人たちが、自分の感じていることを本音で話すようになってきました。お互いに理解し、助け合おうと動き始めてきたのです。自分自身が宇宙の一部であることを感じること、そして、お互いの開発を助けようとすることが大切です。
お釈迦様が悟った縁起とは、相互の関係性のシステムであり、この地球上で私たちはお互いにつながり合っているのだということです。科学的にも地球は生きるシステムであることが分かっています。地球から搾取するようなことがあれば、それは私たち自身が傷つくことを意味します。
今私たちがすべきことは、一人ひとりのこれまでの経験を投入し一緒に働くことです。それによって、すばらしい世界を共に作ることができるのです。持続可能な社会を作るということは、いのちを継続させていくことです。それは、自らの存在の意味を発見することでもあります。
日時 | 2008年11月17日(月) 13:00開会 17:00閉会 (12:30~受付開始) |
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会場 | 東京大学工学部「武田ホール」 (東京メトロ千代田線根津駅1番出口徒歩5分、 東京メトロ南北線東大前駅1番出口徒歩15分) |
参加費 | 1,000円(学生500円、全青協会員・臨仏研運営賛助会員は無料) |
シンポジスト | ■基調発題 島薗進(臨床仏教研究所理事、東京大学文学部教授) ■パネリスト A.T.アリヤラトネ(サルボダヤ会代表<スリランカ>) ジョアンナ・メーシー(環境哲学者、仏教学者<アメリカ>) ヘレナ・ノーバーグ・ホッジ(言語学者、ISEC代表<スウェーデン>) プラ・パイサン・ウィサロー(僧侶、仏教と社会のためのブディカネットワーク代表<タイ>) 神仁(臨床仏教研究所上席研究員、(財)全青協主幹) ■コーディネーター 鈴木晋怜(臨床仏教研究所上席研究員、智山伝法院教授) 同時通訳あり |
定員 | 300名(要申し込み・先着順) |
主催 | ●主催 (財)全国青少年教化協議会付属臨床仏教研究所 ●後援 (財)全日本仏教会 ●協力 (特活)アーユス仏教国際協力ネットワーク、(特活)開発教育協会、 (社)シャンティ国際ボランティア会、ジュレー・ラダック |