カルト問題の行方

大切な人が変わってしまった!―若者を「カルト」に向かわせないために―

ぴっぱら2013年1-2月号掲載

「ユカリじゃない?」

自宅の近くで突然ユカリさんが声をかけられたのは、仕事からの帰り道でした。「やっぱりそうだ!タカコよ〜久しぶり!」と言われ、20年ぶりに再開した幼なじみだと、ユカリさんはようやく気づいたのです。せっかくだからメールアドレスを交換しようよ、というタカコさんからの申し出に、ユカリさんは喜んで応じました。

その後、「今度よかったらお茶でもしない?」というお誘いに、二つ返事でOKしたユカリさん。待ち合わせ場所に行ってみると、タカコさんのほかに別の若い女性も待っていました。「近所に住んでる友だちなの。せっかくだから同席してもいい?」と言われ、突然の展開に面くらいながらも、まあいいやとユカリさんはOKしました。

喫茶店に入って思い出話に盛り上がっていたところ、急にタカコさんから「今日は大事な話があるの」と話を切り出されました。ユカリさんは、タカコさんが仏教系の〝K〞という団体に所属していることを聞かされたのです。

「Kの教え以外はすべてニセモノ。それらを捨てないと罰が当たる」「地球が滅びるまでにはもう時間がない。信仰を持つことが唯一の救いの道だから、一緒にKを信じましょう」「Kを信じない人は、死んだら体の色が黒くなるよ」などと、Kがいかに素晴らしいかを熱く語り始めた二人。荒唐無稽な話に、反論を試みたユカリさんでしたが、「はじめはみんなそう言って信じないの。私もそうだった。でもあなたもきっと感謝する日が来るから」などと言ってとりあってもらえません。

目付きの変わってきた二人に見据えられながら、交互に説得されること1時間半。ユカリさんは「近くの教会へ行こう」という二人の誘いをやっとの思いで断り、店を後にしたのでした。

◆なぜ、怪しい団体に?

幼なじみと再会し、連絡先を交換、お茶をすることに......ただ、それだけのはずが、意に沿わない勧誘を受けてしまったユカリさん。もしもそのまま教会へついて行ったら、さらに大勢の信者に囲まれて説得をされていただろうと知り合いのお坊さんに教えられ、ゾッとしたといいます。

「すぐ断ろうと思っていても、2対1でたたみかけるように説得されると、怖くてなかなか言葉が出せませんでした。しかも、幼なじみということでなんとなく無下にもできません。彼女は、実家からも会社からも遠い場所に一人暮らしをしているというので、変だなあとは思っていたのですが、どうやら教会の近くに住んでいるようなんです。実家にはほとんど戻らず、親にも会いたくないと言っていましたから、信者同士で結束し、普通の人間関係からは孤立するよう仕向けられているとしか思えません」とユカリさんは憤ります。

宗教の勧誘なんて、自分とは無関係だと思っていたと語るユカリさん。しかし、いわゆる「カルト」と呼ばれる団体による勧誘は、今なお活発に行われているのです。

地下鉄サリン事件をはじめ、数々の忌まわしい事件を起こしたオウム真理教。その驚くべき内情が明らかになってから、実に20年近くが経とうとしています。「カルト」という言葉は、オウムの事件以降、マスコミなどに度々登場するようになりました。

言葉そのものは「崇拝」や「礼拝」という意味で、悪い意味ではありませんが、オウム真理教に代表されるような、特定の主義主張に絶対的に服従させるため、メンバーの思考能力を停止あるいは減退させる団体、そして関わった人の人生や家庭を崩壊させるような反社会的な行動・違法行為を辞さない集団を、破壊的なカルトという意味あいで「カルト」と呼ぶことも多いのです。

また「カルト」とは宗教ばかりではなく、一部の政治結社や自己啓発セミナー、マルチ商法等を行う団体を指すこともあります。

献金やお布施を強要されたり、マインドコントロールをされ違法行為に手を染めさせられてしまうこともある「カルト」。そんなところにわざわざ入会しようとするなんて信じられない、と思われる方も多いのではないかと思いますが、今の大学生以下の世代はオウムの事件をほとんど知りません。予備知識の少なさや警戒心の薄さから、毎年多くの大学生や高校生が被害を受けています。

「残念なことですが、『カルト』の勧誘は活発となり、ターゲットも低年齢化しています」
そう語るのは、キリスト教の聖職者であり、大学で学生からの相談を受けているOさんです。

◆キャンパス内での勧誘とは

東京にあるOさんが勤務する大学は、全国から受験生が集まる名門校として知られています。キリスト教主義の大学である同大のキャンパスは、明るく開放的な雰囲気。とても怪しい団体が入り込んでくるようには思えません。しかし、「カルト」に関する相談だけでも、Oさんの元には年間数十件が寄せられるのです。

Oさんによると、キャンパスで特に狙われやすいのは地方からの新入生。そして、一人で昼食を外のベンチなどでとっているおとなしそうな学生、ということですから、何ともリアルな話です。勧誘者はこうした学生に、「ちょっと座っていい?」などと声をかけるそうです。

「僕は大学院の1年なんだ。ああ、君は○○学部なの?一緒だ!奇遇だね」などと言ってきたりしますが、もちろんこれも真っ赤なウソ。先輩を装って安心させ、「学校には慣れた?」「いいサークルがあるから紹介しようか。連絡先教えてよ」と話を進めます。高校を出たばかりの新入生にとって先輩からの誘いは無視しづらいもの。ましてや、友達づくりが苦手な若者であれば、声をかけてもらい思わず嬉しくなってしまうことでしょう。

こうした手口により、あるキリスト教系「カルト」の勧誘に乗ってしまった学生のケースでは、様子がおかしいと感じた級友がまもなくOさんに相談、発覚が早かったために3カ月ほどで足抜けができたそうです。これは「とてもラッキーな事例」とOさんは言います。

やはり勧誘を受けて1年間も宗教団体の集会に通っていたという別の学生は、Oさんらの働きかけにより団体から距離を置くようにしたところ、実家にまで信者が押し寄せてくるようになってしまいました。そこで親の許可を取り、一時的にシェルターに身を寄せて、そこから大学に通うようになりましたが、ある日学内を見張っていた信者に見つかってしまったそうです。

あわてて、相談室にこの学生をかくまったOさん。キャンパス内にもかかわらず、「学生を出せ」と大声で騒ぎ罵る信者と押し問答となりました。信者の隙をついて守衛所と連絡をとることができ、事なきを得ましたが、結局この学生が完全に足抜けをするには、さらに1年以上を要しました。

Oさんは、こうした相談に対応するため、「カルト」問題を研究し啓発活動を行う「日本脱カルト協会」に入会、刻々と変わる諸団体の動向を知り、その対応策を講じています。

4年ほど前には、同協会の大学関係者のメンバーにより「カルト」対策の連絡会を立ち上げたそうです。加盟する大学は現在150校以上。情報交換を行いながら学生に注意を呼びかけています。

◆「カルト」問題=家族の問題

本人に脱会の意思が芽生えたこれらのケースがある一方で、より深刻なのは本人が「カルト」に深く傾倒してしまっている場合です。本人が一人暮らしをしていたり、友人づきあいが薄かったりしたために、「カルト」の入会に家族や周囲の人間が長い間気づかなかったケースや、本人が周囲からの説得にどうしても応じようとせず、家族が激しい抵抗にあってしまうケースもあります。

親子間、家族間の感情的な対立が高まるにつれて、これまで想像だにしなかった家庭崩壊の危機を迎え、家族はなすすべもなく立ち尽くすことになります。

家庭での説得が難しいということになれば、親や家族は警察署や市町村の相談窓口を訪ねますが、明らかな暴力事件や経済的な詐欺事件と見なされない限り、各機関は動いてくれません。あくまでも家庭の問題として扱われるためで、家族はここでも愕然とすることになります。

こうした相談を数多く受け、「カルト」に取り込まれた本人や家族のカウンセリングを長年にわたり行っている日蓮宗大明寺住職の楠山泰道さんは、「まず本人の現況を客観的に把握して、外部からの支援を得ながら冷静に対応することが大切」と語ります。

◆若者が騙されてしまう理由

親子間では、子どもが親の説得にまったく耳を貸さないという事態に、親はどうしても冷静さを失ってしまいますが、対話こそがコミュニケーションをはかる「命綱」と心得て、子どもを過度に刺激せず、あくまで子どもを大切に思っていること、味方であることを伝えるべきだといいます。最終的には、親の信頼と覚悟が問われているのです。

「カルト」に入会する若者は、厳格な親や遊び心の少ない親(特に父親)を持つ場合が少なくありません。また、大抵いわゆるいい家庭の、いい子であることが多いそうです。親が敷いたレールをまじめにたどってきたにもかかわらず、成長するにつれてうまくいかないことに突き当たり、葛藤と疑問が生まれるようです。

こうした若者が「カルト」の甘言にやすやすと騙されてしまうのは、自分自身の頭で考えた経験がないということ、そして体験の未熟さが大きな要因であるそうです。「カルトの中で生きるほうが、ある意味世の中で真剣に生きるよりもよほど楽」という楠山さんの言葉には、説得力があります。

「『教えを信じなければ、死んだ後、体の色が黒くなる』と信じ、他人に吹聴する子に言いたいのは、黒くなることを本当に確認した上で言っているのか?ということ。大抵の若者は、これまで宗教というものに触れたこともなければ死に直面したこともない。ただ、教えられていることを鵜呑みにしているだけなんです。『カルト』の矛盾に満ちた教義や主義を教えられた時に、変だな、とか本当かな、と思えないような若者を、社会が作っていることが問題なのです」と楠山さんは続けます。

◆心の隙間を埋めるものは何か

また、「何でも先回りをして子どもが傷つかないようにと守る親が多いが、傷ついたり挫折感を味わったりすることなく、子どもの心が成長することはありえない」とも楠山さんは語ります。

かつて子どもは、子どもだけの群れで遊び、行動する機会が多いものでした。ケンカをしたり競争をしたり、我慢を強いられたりと、いいことばかりではないものの、その生きた経験にこそたくさんの学びがあったのです。

現代は「足りないものがあるとすれば、それは〝不足〞だけだ」と言われるほど、豊かで便利な世の中となりました。反面、心に満たされないものを抱え、終わりのない自分探しの旅に出ようとさまよう若者が後を絶ちません。

パワースポット巡りや、これを持ちさえすれば幸せになれると(うた)うスピリチュアルグッズの流行も、こうした若者の需要に応えたものなのでしょう。しかし、心の隙間を埋めようとする行動の果てが「カルト」に加担し新たな被害者を生み出すことだったり、家族を苦しめることだったりするのではあまりにも悲しすぎます。

若者の生きることへの問いに、宗教者は宗教者として目をそらすことなく答える用意がなければなりません。また、大人たちも自らの「哲学」を自らの言葉で、そして生き様として若者に伝えていくべきでしょう。

大切な次世代を育むために、社会全体の価値観の見直しが今、問われているようです。