カルト問題の行方

私たちはなぜカルトに魅かれたのか?

  • あかりさん(元オウム真理教・31歳)
  • かずさん(元真宗系教団・27歳)
  • たいちさん(元キリスト教系教団・32歳)
  • 聞き手:神 仁(全青協)

若者は何故カルトに魅かれるのだろうか?――そんな単純な疑問からこの企画はスタートしている。彼らははたして一般の若者と違った特別な人間なのだろうか? あるいは、既成仏教を選択する若者とどのように違うのだろうか? この座談会を通じて読者の方それぞれに読み取っていただきたいと思う。仏教者としての自戒の念をこめながら......。

 まず、みなさんがどういうきっかけで教団に入ったのかをうかがえますか。

かず 中学までは親の言うとおりのレールに乗っていけばいいかなと思っていたんです。しかし、高校受験で失敗して、人生で始めて挫折感を味わうんですよ。

 挫折感は若いうちにどんどん味わっておいた方が......(笑)。

かず そうですね(笑)。もし挫折感が無かったら天狗になっていたでしょうね。早い時期に体験して良かったと思います。それからはなんで勉強しなきゃいけないのか。なんで学校へ行かなきゃいけないのか? そういうふうに思い始めて。

 そこで宗教を選んだ?

かず 最初は宗教ではなくて、哲学みたいなものに興味をもっていました。高校一年のときに倫理の授業があって、はまっちゃったんです。哲学者とか思想家の本を読んで、人はなんで生きているのか、なんで生きなきゃいけないのかと考えるようになりました。
そのころ、たまたま街で会のビラをもらったんですよ。そのビラには「人間の目的」について書いてあって、芥川龍之介の言葉やハイデガーの「人間の存在意義とは何ぞや」という言葉が引用されていました。ビラには東京大学文化コースという名前が書いてあったので、別に怪しい宗教団体ではないだろうと思って、ひとりで行ってみたんです。それから徐々にはまっていくわけです。

 たいちさんも中学生のころから宗教に関心を持っていた?

たいち ぼくは、中学高校はカトリックの学校だったんですが、子供向けに書かれたイエスの伝記の『聖書物語』なんかが好きで、聖書研究会などにもときどき出て質問をしていました。でも、なんかピンと来る答えがなくって、どうもキリスト教はおかしいなと、しだいに思うようになったんです。神さまなんてほんとうはいないんじゃないかと。
でも、キリスト教のいう人格的な神とは違うけれど、人を超えた存在や法則といったものはやはりあるんじゃないかとは思っていました。

 それはいつごろのこと?

たいち 高校生のころですね。哲学をかじりだして、大学でも哲学を勉強しようと思って筑波大学に入って。当時はフランスのモダン思想が流行りだったものですから。

 ドルーズだとかガダリだとかね。

たいち ええ。比較文化学部に入りました。
一年のころから会の勧誘が来ていたんですが、最初は話が合わなくて。二年の秋ぐらいに友達の部屋にいたときに、今からビデオを持っていきますというので、十人ぐらいで見たんです。友だちも大勢いるからだいじょうぶだろうと安心して。そうしたら、教義の内容にピンときちゃったんですね。

 どこらへんが?

たいち 創造や堕落、霊界がどうなっているとか、神の性質はどうだとかのことを聞いたとき、けっこうまともなことを言っているんだなと。自分の考えとは違うところもあるけど、近いところもあると。かなり共感できたんですよ。

 疑問に思っていたことが解けたということ?

たいち 解けたというところまではいかないけど、そういう考え方もあるな、という。創造原理についてはそうかもしれないなと思ったし、堕落論については、自分が近くまでは考えていたんだけれども到達できなかった答えをぽんと出された感じだったんで、最後まで聞いてみようという気持ちになったんです。

あかり 私も一時入会していたんだけど、男の人は歴史観にひかれる人が多いよね。

たいち それはもちろん。創造原理、堕落論、復帰原理という三本の柱があるんですよ。本来の神さまが創った世界がどうなっているか。それがどうして今のようになったのか。そして人類が本来の状態に戻るにはどうするのかという三本柱。

 ヒンドゥー教における創造と破壊・再生のプロセスみたいなものかな。

あかり 入信する人には三種類の人がいて、愛を求めている人は創造原理に引かれる。神さまは愛のために作ったんだということにね。罪悪感がある人は堕落論にひかれる。アダムとエヴァが堕落したところから自分の罪悪感というのは始まっていたんだと。これを信じれば私の罪悪感は消えるんだということですね。それから、人生の目的を求める人は復帰原理ですね。これで自分がやるべきことがわかったと。
そのほかに、世界の歴史は神の摂理にのっとって動いているんだという歴史観があって、男性はそこにひかれる人が多いですね。

 女性はどこにひかれるの?

あかり 女性は情の部分が大きくて、愛されたいから創造原理や堕落論ですね。女性が歴史観にひかれたということは聞いたことない。

 あかりさんはどこにひかれたの?

あかり 私はキリストが嫌いで、キリスト教を教えてくれるところがその会しかなかったから。

 教会の日曜礼拝とかには行かなかったの?

あかり 行きましたよ。でも、「なんでりんご食べたぐらいで楽園を追い出さなければいけないんですか?」って聞いたら、それは「ただの約束ですから」といって怒られちゃった(笑)。

 それは悲しいね。怒られちゃうとね(笑)。

 あかりさんの子どもの頃というのは?

あかり まず母子葛藤があって、父親不在で、ひねくれていました。宗教と出会ったのは、小学校低学年のころ日曜学校に行ったのが最初です。親が、朝寝するくらいなら友達と一緒に行きなさいという感じで。
うちはもう無宗教で、引越しの時に位牌を捨てちゃおうかという親なんですよ。

 えっ、位牌を?

あかり 引越しした先でまた買えばいいじゃないかって(笑)。

 唯物論者だったのかもね(笑)。

あかり 日曜学校で神さまの存在を知って、「おーっ」と思って。それから神って何なんだろうと考えるようになりました。
そうしたら私以外のこの世の人全ての人が神さまなんじゃないかと思ったり。私だけが人間で、神さまが、「こういう役割の人と、こういう役割の人をまわりに置いたら、あかりはどう動くだろうか」と見ているんじゃないかとか。
それとは逆に私が神さまなんじゃないかと思うこともあった。私が生まれたときに世界ができて、過去なんて歴史書の中にしかなくって、化石とかも私が生まれたときに同時に出来たんじゃないかと。
でも、学校の図書館で聖書物語を見つけて読んだら、たいちさんとはまったく逆で、腹が立って腹が立って、一時でもこんな神様にあこがれた自分が情けないと。それからニーチェの『アンチクリスト』を読んで、それなら仏教かと。

 それがいつの時?

あかり 小学校の高学年から中学校にかけて。

 で、あかりさんは仏教に興味を持つようになったわけ?

あかり 岩波新書だったかな、『仏教』という本を読んで、空という概念にひかれたんですよ。でもよく分からないなって。「誉められることによってもけなされることによっても心動かされるな」なんていうことが書いてあったので、授業で百点取っても、「うれしくない、うれしくない」ってやっていたんだけれども、どうも違うなって(笑)。人に嫌われても「悲しくない、悲しくない」とやっていたんだけれども。「どうも違う、おかしい、これは空じゃない」と思って。
で、考えたのが海。海の表面は荒れてるけれど海のそこはいつも静か。表面が荒れているのは構わない。海の底が空なんだと。
高校を卒業して大学に入って、キリスト教を知るためにたいちさんと同じ会に入って、そのあと、仏教系の新宗教に入るんだけどやっぱりダメ。納得いかない。
その後ちょっと悲惨な人生が待っていて。その苦しい時期にそれをかぎつけて新宗教のおばちゃんがやってくるんですよ。東の空に向かって「南無妙法蓮華経」と唱えなさいというんですけど、「冗談じゃない」と言ったら、おばちゃんはいやみで「空なんでしょう、世の中空なんだったら自分の人生なんて捨てなさいよ」って言ったんですよ。そのとき、「あっそうか」と思った。「これが空なんだ」と。私はなんで自分が幸せになろう幸せになろうと思っていたんだろうと思ったら、がっーと状況が変わってしまったんです。
結局、実家へ帰って親のコンプレックスを解決しない限りこの苦しみから離れられないと思って帰ったんだけど、あっという間にひしゃげてそのままオウムに逃げ込んじゃった。
オウムは親の苦しみに対してはすごく有効だったんですよ。

 どういう点で?

あかり ようするに、執着を断てば苦しみは無くなる。親に対して情があるから親の一言一言に一喜一憂して苦しむんだと。じゃあ自分の煩悩を絶てば親に対して冷静になれるし、親に振り回されることも無くなると。実際の修行も体系だっているし、尊師の話も本当に体験を得て書いたとしか私には読めなかったし。少なくとも私よりはるかに分かっている。この人の言うとおりにやってみようかという感じ。
出家するかしないかのときにも、先輩から「あかりさん、君は最近オウムに甘えていないか。オウムは形あるものだから、いつかは崩れ去るものなんだよ。オウムが無くなったときに君はどうして生きていくの? そんなことで生きていけるの?」と言われたりしていて、そんなことの方が印象に残っているんですよ。

 諸行無常だね。

あかり ええ。だからワークをやっている最中にも、「この人嫌い」と思ったら何かしら自分の中に因があるんだと、自分を見つめ直したり。「空ってなんだろう」とか「無我ってなんだろう」とか、そういうことを24時間考えていられる空間だったので、とっても幸せだったんですよ。

 それはぼくも入りたいな(笑)。

かず 今もまだありますしね(笑)。

あかり ただ、アレフは今つまらないらしいですよ。

 なんで?

あかり 修行の体系とかずいぶんめちゃくちゃになってるらしくて、ただだらだらと過ごしているという感じ。

 行く場所が無いからいるっていうことかな。

あかり そんな感じなんでしょうね。

 かずさんは教団に何年ぐらいいたの?

かず あしかけ3年です。

 教団の教えというのは?

かず ひたすら善知識の言葉を聞法することです。それによって仏の世界に近づいて行き、最後には絶対の世界に出ることができる。オウムのような出家ではなく在家の形態をとっていますが、カルト性は強いですね。

 それはどういった点で?

かず まず、教団自体が完全なピラミッド構造になっていて、教祖のことしか信じていない点ですかね。それに俺たちがすべて、という感じが強い。他の人は間違っている。だから自分たちが間違っている人を教えてやるんだと。

 自分たちは善で他の人は悪だという「二極原理」だね。

かず そうですね。

 お金も絡んでくるわけ?

かず ええ。学生に対しても「会館を建てるのでお金を布施しなさい」と言っていましたし、その布施の額によって、前の方の席で聞法できるかできないか決まるんです。会では「席取り」と言うんですけど、「聞法」がやはり重要だからみんなにプレッシャーがかかりますよ。

 普通は席順というのはどう決まるの?

かず 正会員・準会員・親会員というふうに会員の種類によって決まっています。その上にお布施の額が絡んできて、一口10万円で3口とかすると、230番だった人が100番代になったりとか。

 お金があれば上がっていける?

かず ええ。お金の他にも「派邪顕正」という折伏みたいなものがあって、会員を増やせば上がっていけます。

 たいちさんはどのくらいいたの?

たいち 実際に活動していたのは3年ぐらいですけど、前後にかかわっていた期間を入れると10年ぐらいになりますね。

 珍味売りもやった?

たいち 珍味売りもやったけど、ぞうきん売りが多かったです。

 ぞうきん売りもやるんだ。

かず いくらぐらいで売るの?

たいち 3枚で2千円ぐらいです。時にはしゃもじやハンカチなんかも売っていました。その場の状況によっては赤ちゃんタオルなんかも。

 なんでも売ってるんだね。雑貨屋さんみたい(笑)。

一同(笑)。

 バスやライトバンに乗って睡眠時間も取れずに?

たいち そうですね。睡眠時間3時間ぐらいで。

 何でそんなに物売りに励むわけ?

たいち 教義に「万物復帰」というのがあるんです。堕落したことによって神のもとからサタンの元へわたった世の中を神に復帰しなくてはいけないという。それは、モノやお金を神に復帰させるという意味だけではなくて、堕落してモノ以下になった人間が、自分より高いモノを通して神の側に復帰していくと言う考え方なんです。
ただ、最初から物売りやっているのは知っていたし、「やっぱりお金いるもんな」と思ってやっていたけど、けっこうつらかったですね(笑)。

一同 (笑)

 それは入信してからやるの?

たいち 入信する前に、一週間くらいのセミナーがあって、その後に一ヵ月ぐらいの合宿があって、だいたいそこで一週間ぐらいやらされます。そこで離れていく人もいるし、残る人は寮へ入って共同生活を始める。

 一つのハードルがそこにあるわけだ。

たいち そうですね。

 あかりさんはオウムで出家生活をしてみて自分が変わった? 

あかり ええ。ある時、瞑想をしていたら前に座っている子が2時間ぐらい居眠りをしていたんで、ちょんちょんと突っついたら、一瞬びくっとしたんだけれどにこっと笑ったんですよ。
それが自分にとってはショックだった。それまでは注意したら「あかりさんは立派よね」なんていう反応しかなかったんだけど、にこっとされて、気がついたら私も笑ってたんですよ
。 自分は怖い人間のように思われていたのが、だんだん優しい人間になっているような感じがして。少しずつ自分が変わっていっているなって感じた。

 でも結局脱会するわけだよね。何かきっかけがあったのかな?

あかり サリン事件が起きて幹部が逮捕されるころになると、尊師の言うことが急に変わってきたんですよ。それまでは「自灯明・法灯明」と言っていたのが、本当は「法灯明・自灯明」だと。それだけは絶対に方便でも許せないと思って。

 何で許せないって思ったの?

あかり だって、自分が帰依しようと思うから帰依があるわけじゃないですか。帰依することが正しいから自分が帰依したいと思う。まず自分なんですよ。それを「法灯明・自灯明」といったらまったく成り立たなってしまう。

 ぼくもそれは絶対に「自灯明・法灯明」だと思っている。法は相対しうるからね。釈尊の法もあれば、麻原の法もある。

あかり それから、「尊師は最終解脱者じゃない」と言ってたマハーポーシャの上司が、急に「尊師は最終解脱者だ」と言うようになっちゃった。その辺から急にさめてきちゃった。尊師や幹部がつかまって、マハーポーシャ(パソコンショップ)がなくなって、アパートにすむようになると修行はだらけてきちゃうし。だったらこんなところにいなくたっていいじゃないと、出ちゃった。

 でも、そのころに体感したことは今でも生きている?

あかり ええ。それがなかったら今ごろ精神病院だったかもしれない。

 とくに今は何かに頼ろうという感覚はない?

あかり 頼るという感覚が変わってきたかな。うまく言えないけど、なにか包丁の刃の上に立っているような感じなんですよ。うまくバランスが取れていればすっくと立っていられるんだけれど、なにかあるとバランスが崩れてすぐに傾いちゃう。その時にちょっと手を貸してもらうとすぐにバランスを取り直せる。その「ちょっと手を貸して」というのが自然に言えるようになって、何かにぶら下がっていないといられないというのはなくなった。

 自分を発見したんだね。

あかり うーん、そうですね。仕事は楽しいですし。

 かずさんは何でやめようと思ったの?

かず 人間というのはその教義が正しいかどうか確かめたくなるじゃないですか。内部では一般の本は読んではいけない事になっているんですが、いろいろと読んで自分なりに勉強しているうちに疑問に思うようになって。だんだん足が遠くなっていきました。

 そういう意味では、カルトを維持するためには情報のコントロールをしっかりとしないといけないという事だね。

かず そうですね。密室の空間で外部とのコミュニケーションを断つことが重要ですね。

 脱会してみてどうですか?

かず 八月の初めにやめたばかりで、抜けた後は普通のサラリーマンをやってます。

 でも何か求めているという感じがするよね。ひしひしと。

かず そうですね。どうしても「人はなんで生きているのか」って考えちゃいますよね。やっぱり真理への憧れというのはあります。教団にはもう無いですけれど。

 たいちさんも教えに疑問を持ったの?

たいち 教え自体には疑問は無かったんですけど、活動のやり方に疑問がありました。たとえば伝道する時には。ビデオセンターに連れて行って、「ここは宗教なんですか」って聞かれると、いや宗教を勉強するサークルですという感じでうそをつく。それがどうも引っかかりました。自分は真理だと思って信じているんだから、隠し事したら後ろめたいし。物売りをする時にも「うちは福祉の団体です」「この売上で車椅子を買って施設に送ります」と言うわけですよ。実際にはそうじゃないのに。

 うそをついていることに対する矛盾を感じた?

たいち うそをついて伝道したり、物を売ったりするのはやはりできないと。だんだん力が入らなくなってきました。

 たいちさんは脱会した後のモラトリアムな感覚は?

たいち ありますよ。やめたからというよりは、元に戻ったっていう感じ。

 まだ求めていることがある? 真理は何かと?

たいち たまには考えますけど、これからどうやって生活していこうかということの方を考えますね。

 現実的なことだね。メシ食わなきゃいけないよなとか。

たいち 現実的なことを考えながら、真理についてもときどき考えるっていう感じです。

あかり 私はある程度満足感があるんですよ。なんか神さまとか仏さまというんじゃなくって、大いなるものの中で生きているんだなって。

 楽に生きていこうと、あまりあくせくするんじゃなくって。

あかり あくせくしたければしてもいいし。

 それは「空」がわかったということかもね(笑)。

あかり ありがとうございます(笑)。

 今の仏教についてはみんなどう思う?

かず 真宗に関して言えばもっと西・東にがんばってほしいなって。今は宗教と習俗が一緒になってしまってますからね。弥陀一仏なのにお地蔵さんを境内にまつって拝んだり。 あかり 仏教というか宗教そのものについて考えてほしい。お葬式のようなお金の絡んだ習俗的な宗教も廃れているし、世俗とは離れた宗教もすたれている。両方とも必要じゃないですか。それがそれぞれもっと主張してほしい。
でないとアピールするのがカルトしかなくなってしまうから、実質上の選択肢がなくなってしまう。

 それはとても貴重な意見だね。良いか悪いか別としてまず自己主張しないとね。

あかり こんなきれいな仏像があるんだといって、それにお金を払って満足する人はそれでもいいし。

 たいちさんは?

たいち 個人的にはどうしてほしいということはないですね。その都度わからないことがあったら聞けばいいかなっていう感じ。

かず 仏教って抹香臭いイメージがありますよね。音楽でも教会音楽はけっこう華やかなんだけれど、仏教の方は暗い感じ。

あかり でも、声明なんかかっこいいよ。

 そうだね。声明も現代風にアレンジすればもっといいかもね。

かず 最近の若者が寺に行こうと思って、すぐに行けるようなお寺になってほしいです。

あかり いろいろなことをやってほしいと思います。その人その人によって色が違うわけだから、その人ができることをやればいい。いっぱいあった方がいいですよ。

 みなさんどうもありがとうございました。またこのような機会を持ちたいと思います。