- TOP
- 学ぼう
- 知る、感じる、考える
- さまよう若者
- 対人関係・コミュニケーション
- さまよえる若者のこころ―学生相談の現場から―
対人関係・コミュニケーション
さまよえる若者のこころ―学生相談の現場から―
ぴっぱら2012年5-6月号掲載
数年前となりますが、「便所飯めし」なる言葉が新聞で取り上げられ、話題になったことがありました。これは、大学の学食などで一人でランチをとる姿を見られたくないという学生が、トイレの個室に入って昼食をとる行為を指します。
「まさかトイレで!」「ついにここまできたか」と、インターネット上でも驚きの声があがっていたものですが、フィクションのようなこの話は事実で、20代の若者に尋ねてみると、そういう人が身近にいる(もしくはいた)という話を実際に聞くことができます。
トイレは、食事をとるには最も避けたい場所であるはずです。それでも、一人ぼっちだと思われたくないという思いのほうが勝ってしまう若者たち。彼らは一体、どのような価値観をもって過ごしているのでしょうか。
大学全入時代を迎え、大学や短大への進学率が5割以上に達している現在、学力はもとより入学の目的にいたるまで、学生の多様化が進んでいます。「おとな」に近いはずの学生であっても、自身の思いと周囲とのギャップに苦しみ、外部からの支援を切実に求めている人たちもいます。今、若者たちを取り巻く環境はどのようなものでしょうか。そして、受け皿となる大学では具体的にどのような取り組みがなされているのでしょうか。
◆悩みを受けとめる「総合窓口」
仏教界にも多くの人材を輩出している大正大学。ここ数年、学校全体の取り組みとしてさまざまな角度からの学生支援に力を入れています。こころの相談窓口としては「学生相談室」が設置され、現在、臨床心理士の資格を持つ3人の相談員が常駐し学生の相談を受けています。
学生相談室には、年間でのべ600人が訪れ、おおよそ1300件の相談が寄せられます。大正大学の学生数は4000人ほどということですから、相談室が学内ではかなり認知され、多くの学生に利用されているという印象を受けました。
近年では小・中学校や高校にスクールカウンセラーが配置されていることから、学生たちにとっては相談することへのハードルがあまり高くなく、入学時のオリエンテーリングを兼ねた授業でも相談室を紹介するので、そうした理由もあり利用者が多いようです。
「予約制ではありますが、試験の前や、朝、授業の前などに、ほんのちょっとでも立ち寄りたいという学生も多いです。気軽に立ち寄ってもらえるということは、悩みが大きな問題とならないうちに解消できるというメリットがあります」と相談員の井口知子さんは語ります。
また、相談件数は年々増え続けていて、最近では特に男子学生からの相談が急増しているそうです。相談内容はというと、自身の心理や性格についての相談や、対人関係に関する相談が多いそうです。また、ここ数年の傾向としては、家庭問題に関する相談も目立つということで、不況による経済的な問題が増えたことや、離婚家庭が増えてきていることも影響しているのかもしれません。
また、一見別の相談をしにきたかのようで、実は裏に深刻な問題が隠れているケースも少なくないそうで、「どんな相談内容でも、流さないで一度きっちり受けとめる『総合窓口』のような感覚でいます」と井口さんは語ります。
「世代的な特徴といえるかもしれませんが、今の学生たちは全般的に繊細で優しい。裏を返せば、ナイーブで傷つきやすいともいえます。怒られたり、打たれたりしてきたことが少ないので、その分、何かあったときのダメージが大きくなるようです。また、授業のことにしても人間関係にしても、高校時代までのような細かいフォローを大学にも求めているような気がします。大学に入ると、授業の選択や単位の計算なども、自分自身でしていかなければならない。そうしたことに戸惑いを覚える学生も多いようです」
これは他大学のケースですが、授業の履修に関しての援助はもちろん、学生が朝寝坊しないように起こしてあげるサービスを行っているところまで出てきています。こうした話を耳にすると、なかば大人である学生に対して少々過保護なのでは?という気もしますが、従来のやり方を押し通して彼らの意欲をなくし、ドロップアウトさせてしまうよりも、大学の方が学生の実情に歩み寄り、学業に専念できる環境を整えてあげる必要が、現代の大学にはあるのかもしれません。
◆大学の中に居場所を
また大正大学では、実験的な試みとして6〜7年前から週に2回の「オープンスペース」を実施しています。
これは、相談室内の8畳ほどのスペースをお昼の3時間開放し、学生が自由に立ち寄って、お昼ご飯を食べたり、人の目を気にしないでゆっくりくつろいだりすることができる場をつくるものです。ここには、臨床心理学を学ぶ大学院生アルバイトが常駐しています。「こじんまりしたスペースですが、毎回、結構にぎわっていますよ。対人関係に不安がある人の場合などは、誰も見守ってくれるような人がいない空間では心細くなってしまうものですが、ここでは大学院生がいて、話をしたり、声をかけてくれたりもします。安心して過ごせるのでは」(井口さん)
はじめに紹介した「便所飯」ほど極端な例でなくても、人付き合いが苦手で、キャンパス内で何となく身の置き所がないという学生にとって、こうした空間はホッとできる貴重な場ではないでしょうか。居場所となるだけではなく、そこにいれば、同じ悩みを抱える仲間との出会いがあるかもしれません。
大正大学ではほかにも、毎週決まった曜日に学食で、教員と学生がランチをとりながら自由に話したり相談したりできる「先生とランチ」という試みをしており、こちらも好評だそうです。
◆育ちきれていない、と感じる学生も
こうした学生相談室やカウンセリングセンター、またそれに準じる施設などは、各校で個性を生かしながら設置されています。キリスト教に基づく宗教教育で人格の涵養を目指す上智大学には、カトリックセンターと呼ばれる施設があります。
カトリックセンターは、学生や教職員のカトリック活動をサポートし、キリスト教の信仰とその精神を広く伝えるために設置されています。センターは、神父でもあるセンター長はじめ、3名のスタッフで運営されています。
センター内には、談話スペースや会議室のほかにチャペルもあります。一見、相談活動とはあまり関係がないように思われますが、「ここは学校の保健室みたいな感じですよ」と、センターのスタッフでカトリックのシスター、中田久美子さんは語ります。
中田さんは、10年ほど前に修道院から上智大学に派遣されました。カトリックに関する質問や相談などをいつでも受け付けますよ、と学生にアナウンスしていたところ、「ちょっとお話していいですか......」と相談にくる学生が次々に現れたそうです。
上智大学には、こころの相談窓口としてカウンセリングセンターや、定期的に精神科の医師が相談を受け付ける保健センターがありますが、そちらに行くには少々敷居が高いと感じる学生たちが、カトリックセンターを訪れているようです。ここは、いわば中間機関のような役割を果たしているようです。年間800件ほどの相談を受ける中田さん。大正大学と同様、相談件数は年々増加しています。「ここで学生の話を聴いていると、特に近年は、健全な環境で育った方になかなか出会えない、という印象すら受けます。親子の正しい関係性が途切れてしまっているのかなとも感じます」
相談にくる学生は、話してみると大抵はいい子たちばかり。しかし、こころが何らかの理由で育ち切れていないな、幼いなと感じることも多いようです。
「たとえば、センターの中に入ってきたとき。目の前にスタッフがいても、無言でスーッと入ってきたりする(笑)。感じが悪いというのではなくて、こちらが声をかけてくるのを待っているんですね。『こんにちは。何かご用?』と声をかけてあげると、ようやく安心するのです」
こうして対話が始まっても、何回か通い続け、この人は信用できるな、と思えるようになってやっと本音を打ち明けてくれるそうです。胸の奥底に抱えていた思いや怒りがわきあがり、堰を切ったように話し出したり、涙があふれたり......。悩んで夜も眠れないと、あまりに疲れている様子の学生は、会議室の椅子でしばし寝かせてあげることもあるそうです。
また、こんなケースもあります。ある女子学生は、父親からのDV(ドメスティック・バイオレンス)を受けていました。
「週末と土日は父親が家に帰ってくるということだったので、毎週末、私たちのいる修道院で寝泊まりして過ごしてもらったこともありました」
結局、状況が改善するまで8ヵ月もの間、女子学生は週末を修道院で過ごしました。また、カウンセリングセンターの開設時間は、夕方5時半までということですが、話が終わらない時には、土日に修道院に呼んで話を聴いたりもするそうです。
◆当たり前のことを大切に
「自分が『生かされている』と感じているので、出会った方も幸せになってほしいという気持ちでいます」という中田さん。ここまでの対応をするのは、一般の大学ではなかなか難しいのではないかと思います。今さらながら、宗教施設が有する懐の深さに驚かされます。
私たちは、家庭を選んで生まれてくることはできません。ある年齢までは、家庭がその子どもの世界のすべてであることでしょう。しかし、万が一そこが安らぎの場でなかったとしたらどうでしょうか。一番抱きしめて欲しい人に抱きしめてもらえない経験は飢餓感となって、その後の人生に大きな影響を及ぼすかもしれません。
家庭は子どもにとってかけがえのない場所です。しかし、家庭環境に恵まれなかった子どもに対して、また恵まれないまま大人になってしまった人たちに対して、周囲がどこまで働きかけることができるのか、課題は大きいように思います。
大正大学の相談室も、上智大学のカトリックセンターも、卒業生が時折訪れて話していくそうです。もちろん、卒業と同時に巣立っていくことが望ましいのですが、辛くなった時に話を聞いてくれる場所があるという安心感は、代えがたいものでしょう。
現在、連日のように自死や孤立死についての報道がされていますが、こうした気軽に立ち寄れて心の痛みを受け止めてもらえる場所を、専門機関以外にも、もっと増やしていくことができたらと考えます。
「こちらが笑顔で声をかけたとき、温かいお茶を出したとき、そんな何でもないことに感動している学生たちに会うことがあります。当たり前のふれあい、当たり前の温かさにふれることすら、これまで彼らにはなかったのかもしれません。そうした基本の『き』を大事にしていけば、辛い人もきっと元気になるはずです」(中田さん)
喜びも苦しみも、その多くは人からもたらされるものです。日常の中で、まずは周囲の人との関係を見直してみることが大切なのかもしれません。