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子どもホスピス
子どもホスピスーいのちのかがやき を求めてー
ぴっぱら2014年7-8月号掲載
九州大学大学院医学研究院
福岡子どもホスピスプロジェクト代表 濵田裕子
皆さんは「ホスピス」という言葉を聞いたことがありますか?ホスピスは末期がんの患者さんの亡くなるところや、終末期医療の場というふうに思われているのではないでしょうか。「ホスピス」の語源はラテン語の「HOSPES(もてなし)」に由来します。
1967年、英国のセントクリストファーホスピスが、全人的ターミナルケアを実践する場所として設立されたのが、近代ホスピスの始まりと言われています。全人的ターミナルケアとは、治癒の見込みがなく死が予想される終末期の患者さんに対して、身体的な痛みだけでなく精神的な苦痛や社会的苦痛、スピリチュアルな苦痛を緩和することです。
我が国のホスピスは1981年に始まり、1990年には医療保険が適用されるようになりました。現在では全国に300施設ありますが、その基準は主にがんとエイズで余命6カ月の人とされているため、冒頭のようなイメージで捉えられてしまいます。
◆子どもホスピスとは
大人のホスピスのイメージをもって「子どもホスピス」という言葉を聞かれると、「信じられない」と思われるかもしれません。未来ある「子ども」と死を連想させる「ホスピス」は相容れないものとして、医療者でさえ「子どもホスピス」という言葉に抵抗や反発をもつ人もいます。
しかし、それには「子どもホスピス」の内容が十分知られていないという背景があります。ここでは、欧州を中心に発展した「子どもホスピス」について紹介し、重い病気や障がいのある子どもと家族のことに思いを寄せて頂ければと思います。
1982年、世界で最初の子どもホスピス「ヘレンハウス」は、シスター・フランシス・ドミニカ氏によって英国に設立されました。現在では英国に40か所以上、ドイツに10か所以上、オーストラリアやカナダにもあります。
対象はがんなど特定の病気に限定せず、「生命を脅かされた状態の子ども」で、重い病気や障がいのある子どもを広く受け入れ、身体的なケアだけでなく子どもの遊びや様々な体験を保証し、家族に休息を与えるレスパイトケア、時には看取りや遺族の悲嘆に対するケアも提供します。
我が国では、子どものホスピスの必要性が認識されはじめたばかりです。2012年には淀川キリスト教病院(大阪)に「ホスピス・こどもホスピス病院」ができました。しかしそこは病院であるため、欧州にあるような病院でも福祉施設でもない、第2の「家」としての子どもホスピスとは趣が異なります。筆者らは、欧州にある子どもホスピスをモデルに、地域に根ざした第2の「家」の子どもホスピスような子どもホスピスを創りたいと2009年より活動を続けています(脚注1)。
◆小児緩和ケアと子どもホスピス
子どもホスピスは、専門的な言葉で言うと「小児緩和ケア」を提供する場所です。
「緩和ケア」とは、身体的な苦痛を緩和することだけではありません。「痛み」には、身体的な苦痛だけではなく、精神的、社会的、スピリチ
ュアルな痛みがあると言われています(世界保健機関)。子どもが病気や入院によって遊びややりたいことを制限されること、学校や友達と離れて淋しい思いをすることも、大きな痛みとなります。
子どもホスピスは、これらのあらゆる苦痛を和らげることを目的としています。医療はもちろん、教育や音楽、芸術などあらゆる知を統合し、病気や障がいのために外出さえままならない子どもたちに、様々な体験の機会を提供し、子どもの〝育ち〞を支えます。
さらにケアの対象は、病気や障がいのある子どもだけではありません。子どもが重い病気や障がいを抱える時、家族もまた、常に緊張した生活の中で疲労や心痛を抱えています。子どもにきょうだいがいる場合は、きょうだいも淋しい思いをしたり、我慢を強いられることがあります。子どものホスピスは、病気や障がいのある子どもとその家族をまるごと受けとめ、関わる場所です。
◆家族と子どものための休息の場
子どもホスピスには、ゆったりとした心地よさがあります。ヘレンハウスの理念「HOME FROM HOME」が示すように、もう一つの家として、そこには子どもも家族もともにくつろげる環境や配慮が行き届いています。
中でも重要な要素は、子どもも家族もスタッフも、そこにいる皆が一緒に食卓を囲んで、お茶を飲み、食事をすることです。ヘレンハウスのダイニングホールは、緑豊かな庭に面して、窓を開放すればオープンテラスとなり、「集いの場」にもなっています。スタッフや家族という垣根なく食事をともにすることは、子どもや家族にとっては楽しいひと時となり、生きる活力につながります。
子どもホスピスの重要な柱のひとつは家族のレスパイトケア(休息のためのケア)です。子どものそばで24時間介護を余儀なくされる家族が、ちょっと一息、肩の荷をおろして日頃のケアから解放されるように、子どもを預かり、休息を提供します。親が子どもから離れられないときは、同じ敷地内にある家族のための部屋に滞在して、必要なケアはナースやスタッフに任せて、スタッフや訪れた家族とお茶を飲みながらおしゃべりをし、くつろぐこともできます。
医療技術の進歩とともに病気の治癒率や生存率が向上する一方で、命の危険と背中合わせの中で生活し、病院や自宅以外の世界を知らない子どもも少なくありません。子どもホスピスでは、親がスタッフを信頼して子どもを預けられるように、親のやり方を尊重して、心のこもったきめ細やかなケアを提供します。
親は罪悪感を抱くことなく子どもを預けて、自分の時間をもったり、両親揃ってお姉ちゃんの運動会に参加し、日頃我慢することの多いきょうだいと思う存分遊んであげることもできます。
◆子どもの成長・発達をともに支える
大人のホスピスとの大きな違いは、子どもは成長・発達の途上にあるということ、そしてどんな状況においても、成長・発達を保証し支えることです。
子どもホスピスには、子どもの成長や発達を支える多職種が協同しています。医療ケアの必要な子どもに対応するための小児の専門看護師、障がいの専門看護師、青年対応の看護師、医師、理学療法士、作業療法士、ケアワーカー、ソーシャルワーカー、音楽療法士、芸術療法士、臨床心理士、シェフ、状況に応じて言語療法士やアニマルセラピスト、スイミングセラピスト、アロマセラピストも関わっています。
子どもホスピスには、プレイルーム以外にスヌーズレンルームと呼ばれる感覚刺激の部屋があり、子どもは音や光を体全体で感じることができま
す。また、様々な創作活動ができるアートルームや図書館があり、アーティストと子どもたちが共同で壁画を描いたりと様々な活動が行われます。そしてそれらの活動は、きょうだいにも提供されます。
◆悲しみとともに歩むために
重い病気や障がいのある子どもの中には、大人になることの叶わない子どもがいるのも事実です。もしも死が避けられない現実となった時、最期の時をできるだけ、子どもやご両親の気持ちに沿うカタチで迎えられるように、子どもホスピスでは、スタッフ全員が心を砕きます。
子どもホスピスでは、残された家族が子どもと十分にお別れができるように、空間や時間に対しても最大限の配慮がなされています。お別れの部屋には、広く明るい室内に遺体の損傷を防ぐため温度管理されたベッドや、家族がゆったりできるソファ、窓の外にはプライベートガーデンも備えられています。家族はそこで、親戚や友人と子どもの思い出を語りながら、最長1週間〜10日間滞在し、ゆっくりお別れすることができます。
その間、部屋の前にはキャンドルがともり、時には一緒に過ごした友だちやその家族もお別れにきます。子どもの状態が良いときも悪いときも、どんなときも、子どもと家族に寄り添うことが、子どもホスピスのあり方です。
病院では子どもが亡くなると、そこで医療やケアは終わります。しかし、子どもを亡くすということは家族にとっては耐え難く、そこから家族の悲しみは始まります。
子どもホスピスでは、家族の深い悲しみに寄り添うケア(ビリーブメントケア・脚注2)があります。子どもホスピスでは年に数回メモリアルデイがあり、家族はスタッフ
とともに子どもの思い出や近況を語りあいます。
家族はまた、いつでも子どもホスピスを訪れることができます。子どものことを思い出したい時、子どもに話しかけたい時、子どもを知っている人と話したくなった時、家族は子どもホスピスを訪れ、思いおもいに過ごすことができます。子どもは亡くなっても、子どもが確かに生きていた場所がそこにあります。
◆「ケアする・される」関係を超えて
子どもホスピスの大切なスタッフの一員にボランティアがいます。ボランティアには自分のもつ特別な技術を生かした関わりをする人もいます。
関わりの内容は様々ですが、共通して言えることは、自分達の役割や活動の先に、子どもや家族の顔が見えていることです。重い病気や障がいを抱えながら、今を生きる子どもや青年、家族の、彼らだけで背負うには重すぎる荷を思い、自分にできることはないかと引き寄せられた人々。それは専門のケアスタッフも同様で、子どもと家族を中心に一つの目的でつながっていると言えます。
そこには「ケアする・される」という関係を超えた、新しい関係性があります。確かなケアやスキルに支えられながら、子どもと家族のあたり前の生活が保障されたうえで、同じ時と場を共有するなかで築かれていくつながりとも言えます。
生命が脅かされた状態の子どもや家族にとっては、子どもの状態のよい時も悪い時も見守り、伴走してくれるサポーターが沢山いてくれることが大切だと思います。常に「いのち」にむきあっているからこそ、「ケア」の対象という関係を超えてまるごと受けとめ、ともに歩んでくれる、人と人としての関係性が求められています。
その関係性は、支えているはずのスタッフやボランティアが子どもや青年とその家族の「生」に触れ、ともに泣き笑いする中で、大事なことを教えられていることに気づき、逆に彼らに支えられていることを認識していくことにもつながります。
◆おわりに
ひとつのいのちを大切にすることは、子どもに重い病気や障がいがあっても、生まれてきてよかったと思える社会をつくることにつながっていきます。子どもホスピスには、行き届いた環境や設えだけでなく、スタッフやボランティアの笑顔、温もりがあります。重い荷を背負った子どもや家族が無条件に受け入れてもらえることこそ、子どもホスピスのもつ意味だと思います。多くの方に、子どもホスピスのこと、その対象となる子どもと家族がいることを覚えていて欲しいと願います。
筆者らは、福岡に子どものホスピスを創りたいと活動していますが、場所はまだありません。子どもと家族、社会に対して、できることから一歩一歩積み重ねています(詳細はHPをご覧下さい)
◎本稿は濵田裕子「生を支える子どもホスピス〜欧州からの風〜(連載4回)」『小児看護』第34巻第6号〜10号、2011を再構成したものです。
脚注1:福岡子どもホスピスプロジェクト http://kodomo-hospice.com/
脚注2:我が国ではグリーフケアと呼ばれますが、グリーフ(悲嘆)のなかでも、特にビリーブメントは親しい人の死別による悲しみの中にある状態で、死別後の遺族ケアを言います。