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家庭・暮らし
大切なのは我が子?それとも...ー「モンスター」と呼ばれる親たちー
ぴっぱら2009年3月号掲載
2008年の夏にテレビでも放映され、話題を呼んだ「モンスターペアレント」というドラマがありました。タイトルにあるこの言葉は、雑誌や書籍などの媒体でも盛んに取り上げられています。今ではペアレントだけでなく、「モンスターペイシェント(患者)」「モンスターチルドレン」など、さまざまなモンスターも登場しているようです。
それにしても、愛する子どもを持つ親が「怪物」呼ばわりされるとは穏やかではありません。モンスターペアレントはいつ頃から登場し、注目されるようになったのでしょうか。
◆類型化される「ペアレント」
この言葉は、もともと東京都大田区の小学校教師をしながら、多くの教育関係の著作を持つ向山洋一氏の造語だとされています。そして、教育評論家の尾木直樹氏によると、モンスターペアレントには5つのタイプがあるといいます。
1、学校依存型...「遅刻しないよう朝起こせ」などと本来家庭ですべきことを学校に押しつけ
る。
2、自己中心型...「うちの子をいじめた生徒を転校させろ」などの自分勝手な要求をする。
3、ノーモラル型...担任の自宅に夜中に電話をかけるなど常識外の行動をとる。
4、権利主張型...「子どもが風邪で休んだ日数分の給食費を返してほしい」などの理不尽な権利
を主張する。「学校で骨折をしたため通学・通院のタクシー代、慰謝料をよ
こせ」など、考えられないような要求をする。
5、ネグレクト型...食事を与えない、風呂に入れないなど育児を放棄する虐待を行っている
タイプ。
また、岩手県教育委員会が制作した「苦情等対応マニュアル」によると、次のタイプがあるそうです。
1、自己防衛型...学校・教職員の弱点を探し出し、先制攻撃を仕掛けてくる。
2、溺愛型...子どもから「いじめられた」などの訴えを聞くと烈火のごとく怒る。
3、自己愛型...自分を無視されたと感じると攻撃的になる。
4、利潤追求型...金品の要求をしてくる。
5、愉快犯型...苦情などに戸惑う相手を見て快感を得る。
このような親の存在は日本だけに限らないようで、アメリカでは異常に過保護な「ヘリコプターペアレント」や、さらにパワーアップした「ブラックホーク(重装備をした戦闘機)ペアレント」が存在し、イギリスには「フーリガン(酔っぱらって暴力を振るうならず者)ペアレント」と呼ばれる親がいるそうです。
◆追いつめられる教師たち
このように、激しいクレームを押しつける保護者がいると教職員はその対応に追われ、本来の仕事に支障が出てしまいます。そのため学級のみならず、学年や学校全体にまで影響が及ぶことも少なくありません。
記憶に新しいところでは、保護者からのクレームによりうつ病に追い込まれ、教師が自殺をした事件が、2007年に東京都西東京市と新宿区で起こりました。新宿区の事件の概要を取り上げてみましょう。
この学校は1学年1クラスしかなく、亡くなった教師は新任でありながら担任のみならず学年主任や学習指導部など、複数の職務を担当していました。教師の超過勤務時間は1カ月で100時間を超えており、平均睡眠時間は6時間未満だったそうです。その状態のなかで、ひとりの保護者からたびたび連絡帳を通じて授業内容、宿題の出し方、生活指導についてクレームが入るようになりました。
なかには「結婚や子育てをしていないので経験が乏しいのではないか」と、人格を侵害するような内容もあったと言われています。そのため、小学校に配置されるまで心身ともに健康だった教師は5月に精神科の病院で受診するようになります。そして同月末に自宅で自殺を図り、翌日に亡くなったのです。
女性教師の両親は「教壇に立つことを夢見て、誠実さと優しさと使命感に満ちあふれた若い人材が二度と同じ道を歩むことのないことを切に望んでいます」とコメントしており、「職を全うしようとしたからこそ倒れたということを証明したい」と公務災害認定を申請しました。
文部科学省が全国の公立小中高校や特別支援学校などの教員計約92万人を対象に調査した報告によると、2007年度にうつ病などの精神疾患で休職した公立学校の教員は4995人で過去最多でした。これは15年連続で増加しており、10年前の1997年度の1609人と比べると約3倍となっています。
また、病気休職者に占める精神疾患者の割合も13年連続での増加で、これも過去最高で61・9%に達しています。精神疾患の大多数はうつ病で、適応障害やパニック障害、統合失調症なども含まれています。年齢別では40代が37・5%、50代以上が35・2%と、ベテランと呼ばれる年代の先生方で7割が占められています。
現在50代の男性教師を父親に持つ男性は、こんなことを話していました。
「うちの親父はここ数年いつもヘトヘトです。時代が変わったんだなあ、昔のやり方じゃ通用しないんだなあとよく漏らしています」そしてモンスターとまではいかなくとも、それに近いことを経験したと言っていました。
「以前、子どもの嘘を信じた親が学校に乗り込んできたことがあったそうです。その子はたびたび嘘をつく子で、そのためにクラスメイトから嫌われていました。きっと学校に行ってもつまらないので休みたかったのでしょうね。その子は親に『私は学校でいじめられている、そのことを先生に言うと、なんでそんなことを言うんだと机を叩くので怖くて学校に行きたくない』と訴えたそうなのです。でもうちの親父は机を叩くようなそんなタイプの教師ではないし、実際そんなことは一切なく、クラスでもいじめというほど深刻な事態は起こっていなかったようです」
自分の子どもの欠点が見えずに、嘘でも信じてしまうのは「うちの子に限って」というプライドの高さが影響しているのでしょうか。おそらく自分の欠点も、子どもの欠点も許せないタイプのお母さんなのでしょう。完璧を求めてしまうことは、思わぬ弊害をもたらす場合もあるようです。
◆「自分も満たされたい」
さて今回、やはり困った親が近くにいたという、ある保護者の方から話を聞くことができました。
東京都在住の清水さん(仮名)の近所に住むお母さんは、ネグレクト(育児放棄)に陥っていたそうです。仮にAさんとしましょう。Aさんは20代半ばのシングルマザー。キャバクラや風俗店などで働いていたそうです。
Aさんは、夕食を与えず幼い子ども2人を残して夜間出かけたり、保育園のお迎えに時間通りに行かないことを繰り返していました。
また、子どもたちは同じ衣服を連続して着ていることが多く、顔などが汚れていたり、汚れのためにかぶれていたりなどの様子が見られたそうです。
子どもを深夜までAさんの遊びに連れ回すこともあったそうで、清水さんはあまりにも子どもたちが可哀想だと、「大変でしょう。いつでも預かってあげるわよ」と声をかけたそうです。そんな清水さんに、キャバクラで働くAさんは2人の子どもを頻繁に預けていました。それは仕事のときだけでなく、男性とデートをしたいときや、夜遊びがしたいときなどにも及びました。
さらに、子どもたちが伝染病に感染し、高熱を出しているときでさえ、「税金払ってるんだから、(保育園は)預かってくれて当然でしょう? 私が働けなかったら暮らしていけないんだから預かってよ」と無理やり保育園に子どもを預け、学級閉鎖に追い込んでしまったこともあるとのことでした。清水さんはこういいます。
「親だったらかわいくてたまらないはずの子どもより、恋人のほうがずっと大事だったように見えました。子どもの存在だけでは満たされなかったのでしょうね。一人の女性、一人の人間として満たされてからでないと親になりきれないのかもしれません」
このケースでは清水さんの存在が救いになっていたのかもしれませんが、子どもたちのことを思うと暗澹たる気持ちにさせられます。
また、以前目撃したケースでは、こんなお母さんがいました。
B君は未熟児で生まれ、小学校に上がってからも体が小さく、病弱でもありました。保護者会の席でお母さんは、「うちの子どもは体が小さく弱いので、優しく接してくれるようお子さんに言い聞かせてください」と他のお母さんたちにお願いし、先生にも特別扱いするよう申し出ていました。
ある日、クラスで一番体の大きなC君から、「よお!」とB君は背中を押されました。C君はいじめようと思って押したのではなく、おはようの挨拶をふざけてしてしまったようです。しかしB君は転んでしまい、少し唇を切ってしまいました。
よくあることのようですが、B君のお母さんはそのことに激怒し、C君の家に電話をして怒鳴りつけました。C君とお母さんは1時間ほど謝り続けても許してもらえず、菓子折りを持って自宅まで挨拶にも行きましたが会ってもらえなかったということです。そのため、学校に相談にも訪れました。
しかし学校にもすでに苦情が入っていて、それは「うちの子はC君からいじめを受けている」という内容にまで発展していたそうです。C君のお母さんは「ノイローゼになりそう」と思い詰めてしまいました。これは溺愛型のパターンと言えるでしょう。
◆「こころ」を鍛える教育を
齋藤孝氏は、その著書『あなたの隣の〈モンスター〉』のなかでこう述べています。
――日本人は公的空間と、自分の欲求を満たすことのできるプライベートな空間は区別すべきだと考える習慣があった。また「世間様に申し訳が立たない」という言い方をするように、公的空間では「公的空間の論理」を優先させるという当然のルールが存在していた。ところが現在では、私的な欲求を公的なルールより優先させる人がいる。
また、日本文化の特徴として「挨拶」や「仕草」など行動の型を学び、公的な場所では気配りや世間体を大事にする土壌があることも述べています。「挨拶をきちんとする」「感情の表現を控えめにする」といった公的な場での振る舞いは、他人から見たときの自分が「はずかしくないだろうか?」「きちんとしているだろうか?」と客観的な目を常に持っていたことの現れではないだろうかと解説しています。
古来より日本では、自分の感情や行動を抑制する鍛錬の場として、「書道」や「武道」、「茶道」といった「道」、つまり「こころ」を学んでいたのではないかと思います。仏教の教えをもとにさまざまな実用学問を教えた「寺子屋」も、修練の場所としてはまさに中心的な存在であったことしょう。
ところが現代では、こころと体を鍛えて人として成長することを目標とするよりも、結果の見えやすい物質的価値を手に入れることが目標となりやすいようです。自分の子どもだけが可愛い、または自分自身だけが可愛い......自分に「快」をもたらすものしか受け入れないし認めないという価値観が、さまざまなものの「モンスター化」の原因ではないでしょうか。
昨今の殺伐とした教育環境に疑問を持っている保護者や教育関係者は少なくないと思います。保護者がモンスターペアレントになり、教師が精神疾患へと追いつめられる今、かつて子どもたちに「生きた教育」を施していたお寺の可能性や地域の連携を今一度見直し、学校以外のさまざまな力にも期待を寄せたいところです。(中山)