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貧困問題
「社会の子ども」を育もう―子どもの貧困に向き合うために―
ぴっぱら2013年7-8月号掲載
千葉明徳短期大学教授 山野良一
◆教育格差は「やむをえない」か
今年の3月21日付け朝日新聞の1面に掲載された、「教育格差、6割が容認」という小見出しに驚かれた方が、読者の中にもいらっしゃるかと思います。
これは、全国の小2、小5、中2生を持つ保護者の方(6288名)を対象に日本の教育について尋ねた、朝日新聞社とベネッセの共同調査(2012年実施)の結果のひとつですが、「所得の多い家庭の子どものほうが、よりよい教育を受けられる傾向」があることについてどう思うか聞いたところ、「当然だ」「やむをえない」と回答した人が59・1%いたそうです。
4年前の調査ではこの数字は43・1%であり、約12%も増加しています。また、「問題だ」とする人は2008年では53・3%だったのに、2012年では39・1%しかおらず(残りは無回答・不明)、教育格差を問題とする保護者たちが、多数派から少数派に転じたことを示しています。
この結果について、ベネッセの研究員・橋本氏は、「経済的な格差が広がり、学校も学校外教育も多様化するなかで、教育格差を"問題"と感じる意識が薄れているようにみえる」とコメントしています。
◆上昇する貧困率
橋本氏が指摘するように、経済的に困窮している子どもや子育て世帯が増えていることが、マスコミなどで取り上げられるようになってきました。
図1(6ページ)は、厚生労働省が発表しているものですが、日本で経済的に困窮している人びと(大人+子ども)の割合を示す相対的貧困率、および子どものみの割合を示す子どもの相対的貧困率の、1985年からの推移を示すものです。
相対的貧困率とは、おおざっぱに言えば、平均的な一人あたりの所得の半分を貧困ラインとして、それ未満の所得で暮らしている人の割合を表すものです。子どもの場合、もちろん保護者の所得をベースに計算しています。
ご覧になるとお分かりいただけますように、1980年代から日本ではずっと、相対的貧困率(子どもを含め)が上昇傾向を示していることが分かります。国際的に見れば、このように長期にわたって貧困率の増加が継続しているのは珍しいことだとされます。
また、貧困率はここ数年の不況期だけでなく、1985年から1990年前半までのバブル期にも上昇し、2000年代前半の好景気の時にもそれほど下がらずに経過していたことが窺えます。好景気は、豊かな人をより豊かにするのかもしれませんが、経済的に苦しい人は景気による恩恵をあまり受けることがないのかもしれません。
◆低所得の家庭で育つ子ども
2009年の子どもの貧困率、15・7%から計算すると、約6人から7人に一人の子どもが現在、貧困状況にある家庭で暮らしており、人口規模では323万人になります。また、2006年から2009年の3年間で約23万人も、貧困状況にある子どもの数は増えました。
一方で、その3年の間に子ども全体の数は少子化の影響で80万人も減ったのです。子ども全体の数は減っているのにもかかわらず、経済的に困窮する子どもの数は増加しているのが現代日本です。
日本は「豊かな社会」だから、貧困ラインも高いのではないか、だから相対的貧困率も高いのではないかと疑問を持つ方もいらっしゃるかもしれません。ところが、2009年の貧困ラインの数字を世帯単位に計算し直すと、親子2人世帯(つまり、子ども一人のひとり親世帯)では、年間で177万円、月額で15万弱(税金などは引かれていますが、ひとり親世帯に給付される児童扶養手当などが加算されている額です)、親子4人世帯では、年間250万円、月額21万円でしかないのです(ひとり親世帯同様、税金は引かれていますが児童手当などは加算されています)。
ここから家賃、食費、光熱費、子どもの教育費などを支出するとほとんど手元に何も残らない額だと言えるでしょう。こうした低所得の家庭で暮らしている子どもたちが今、6人から7人に一人いるのです。
子どもを育てている世帯は、私たちが思っているより、かなり低所得の状況で子どもを育てているのかもしれません。このように子どもの貧困状況を悪化させたのは、ひとつは90年代半ばから急速に増加した非正規労働や、ここ数年の経済不況がもたらした親たちの低所得化だと言えるでしょう。
それに伴って子どもたちの生活状況も悪化し、私が加わっている「なくそう!子どもの貧困」全国ネットワークにも、以下のような、子どもたちの厳しい日々についての情報が寄せられています。
◆病院に行けない......子どもたちの現実
夏休み明けになると体重を減らしてくる子ども。給食がその子の大切な栄養源になっていたのです。ふたつの非正規の仕事を掛け持ちせざるをえないために、夜9時過ぎにしか帰ってこない母親を待ちわびて、いつもこたつで寝入ってしまう小学2年の女児は、淋しくて時々先生にこっそり電話をしてくるそうです。
また、修学旅行に参加できない中学生がいます。部活動費が心配で大好きなクラブ活動に申し込めない新一年生もいます。DVから母親とともに逃げた中学生は、喘息なのに交通費と医療費を払えず、病院に行くことができないでいます。
大好きな学童保育なのに、費用が高すぎて払うことができず、明日からやめるとあいさつをしにくる小学生がいます。学費などがあまりに高いために大学の進学をあきらめ、うつ状態になってしまった18歳の若者......こうした子どもや若者たちは、どこか遠い国ではなく「豊かな社会」日本の子どもなのです。
一方で、子どもたちや家族をこうした状況に追い込んでいるのは、非正規労働の増加や経済不況だけではないと、貧困問題の専門家たちは強調します。問題とされるのは、子どもや子育て世帯に対する社会全体からの経済的な援助が非常に少ない点です。
例えば、教育費について言えば、先進30カ国からなる経済協力開発機構(OECD)の中で、国内総生産の額(GDP)に対する、政府が公的に支出する教育費の割合がもっとも少ないのが日本です(図2)。このため、日本では子どもたちの教育費を親御さんや子どもたち自身が私的に負担する割合が、他国に比べ非常に高いことが指摘されています。
文部科学省の計算によれば、幼稚園から大学(自宅通学)まで、すべて公立を使った場合でも1000万円近くかかり、幼稚園と大学を私立にする(自宅通学)と1300万円近くかかります。子どもが二人だとその倍かかるわけで、親たちは大変な思いをして子どもたちを育てていることになるわけです。特に典型的なのは、大学の授業料の高さと劣悪な奨学金制度です。日本のように私立大学がほとんどで、公立大学も含め授業料などの学費が異常に高いのは、アメリカなど数か国のみで、特にヨーロッパの国々では学費は年に15万円以下、半数の国ではほとんど無料になっています。
奨学金制度も、貸与型の奨学金(しかもほとんどが利子がつく)しかないのは日本のみで、多くの国では返還しなくていい給付型の奨学金制度が整っています。大学に通うためにかかる学費や生活費、費用を緩和するための奨学金制度や税控除なども考慮に入れたある研究では、日本が世界でも最も大学に通いにくい国だとされています。
また、教育費だけでなく、児童手当や保育所、児童養護施設などにかける社会福祉の支出額も、OECDの中では、GDP比で下から4番目と最低レベルです。
◆十分ではない経済的支援
私は、長い間児童相談所で働いてきました。児童養護施設などに子どもたちを入所させることも多かったのです。入所させた後、子どもたちの様子を見るために時々施設を訪問させていただくこともあったのですが、職員のみなさんがどんなに情熱をもっていても、職員不足ゆえに子どもたちに十分に手をかけてあげられない様子を、もどかしく見ていました。
こうした費用は、日本では低く抑えられてきましたが、欧米では虐待を受けた子どもたちに対するケアを充実することに社会的な合意が得られているため、職員配置数も子ども一人に職員一人が当たり前です。
また、先述の大学の学費の高さと絡んでくるのですが、児童養護施設などで生活していた子どもたちの大学等の進学率は、図3のように非常に低いのが現状です。これは、学費授業料の高さだけでなく、児童養護施設などを退所して大学等に進学する子どもたちへの経済的な支援が皆無であることからくる問題でしょう。ここにも、子どもたちに対する社会福祉の貧困さが影響しています。
◆価値観の転換を
さて、冒頭で教育格差を容認する親たちが多数であることを見ましたが、結局、現在の親たちは自分の子どものみを守ることに必死なのではないかと私は思うのです。格差社会の進行に伴い競争が激化している状況下では、他の子どものことに目が向かなくなっているのではないでしょうか。
しかし、子どもという存在は、親の所有物でも親のみが養育の責任を背負うものでもありません。私たちの未来の社会を担う「社会の子ども」であるはずです。
「社会の子ども」という観点では、子どもとは、社会がその親に対して養育することを仮に委託したものにすぎないのではないかと思うのです。だから、虐待や貧困などで親が子どもを十分に育てられない時には、社会が子どもを直接、援助するのが当たり前になるのです(親を援助するのではないことに留意してください)。
不利な条件を与えられた子どもほど、学費などを減額または免除されて大学等への進学が保障されるなど、優遇策を導入する必要があるはずです。そうした考え方が、日本ではまだまだ根付いていないと考えるべきなのかもしれません。
少し極端に言えば、日本では親たちが経済的に苦しい状況にあれば、子どもがさまざまなことを我慢するのは「当たり前でしょう」と、「貧しい」時代の価値観を、不利な条件にある子どもたちにのみ押し付け続けているのではないでしょうか。どんな家庭に生まれ落ちるかによって、子どもの人生が決まってしまうのが、この日本社会なのかもしれません。
景気回復が叫ばれ、景気さえ回復すればすべてはうまくいくと政治家の方たちは力説しています。しかし、子どもへの教育や福祉の予算配分をいじらない限り、また、子どもに対する考え方を根本から見直さない限り、不利な条件を背負い込まされた子どもたちには、何ももたらされないかもしれません。