不登校・ひきこもりについて考える

本当はもっとつながりたい 「ひきこもり」支援の最前線から

ジャーナリスト 池上正樹

◆他人事ではない「ひきこもり」2015-11ikegami1.jpg

〝大人のひきこもり〟という言葉が、注目されるようになりました。「ひきこもり」状態の人たちの長期化、高年齢化は、年々進んでいます。
「ひきこもり」というと、ドラマや映画などではよく、カーテンを閉め切ったうす暗い部屋にこもるイメージで描かれています。しかし、現実には、家から外出できるかどうかで見ようとするのは、あまり本質的ではありません。それは、本人の目線に立ってみると、わかります。 
 本人たちは、「何もない自分を答えられない」「どこにも行き場がない」「周囲の視線が気になって人目を避けてしまう」などとよく話しています。とくに地方では、「外を歩くだけで不審者扱いされて怖い」とおびえる人もいます。
 外の社会に自分の存在を受け入れてくれたり、認めてくれたりする人たちがいないため、かつての友人や同級生などの人脈もだんだんと途切れてしまうのです。 
 このように「ひきこもり」とは、家族以外との関わりがまったく途絶えてしまう、あるいは家族とさえもコミュニケーションが取れなくなってしまったような、社会から孤立した状態を指します。
 こうした状態に陥るきっかけも、いじめや体罰、暴力から、受験や就職活動の失敗、失業、事件事故、災害、親の介護、病気など、実に様々なことが引き金となって起こります。「ひきこもり」は決して他人事ではないのです。
 学校や社会などで傷つけられてきた人たちは、もうこれ以上傷つけられたくないし、自分も他人を傷つけたくないと、自分の生命や尊厳を防御するために、ひきこもらざるを得なくなっていきます。やがて、生きる意欲や意義さえも失い、あきらめの境地に至ってしまった人たちであるといえます。  
 とくにひきこもり状態に陥りやすいタイプは、感受体がむき出しになっているような感覚のため、カンが良くて、人一倍、周囲の気持ちがわかり過ぎてしまう人たちです。それだけに、相手に気遣いし過ぎて疲れてしまうのです。ただ自分さえ我慢すればすべて丸く収まるからと、納得のできない思いを封じ込めて1人頑張ってきた、真面目な優しい心の持ち主だと思います。
 深刻なのは、こうしたしなやかな感性を持った人たちが、誰にも助けを求められないまま、あるいは「家の恥だから」「近所に知られたくないから」と考える家族に隠されるがゆえに、地域の中に埋もれてしまい、問題が見えなくなって潜在化していくことにあるのです。

◆ちぐはぐな行政の対応2015-11ikegami2.jpg
 国はこれまで「ひきこもり」という状態に対して、子どもや若者特有の問題として捉え、39歳までの支援策しか打ち出してきませんでした。
 内閣府が2010年に行った調査でも、全国に約70万人、予備軍も含めると225万人に上ると推計していますが、実はこれは、対象が15〜39歳までの若者層限定のデータに過ぎません。
 ところが、2013年以降の山形県や島根県の調査によれば、ひきこもり層に占める40代以上の割合は半数を超えました。都市部である東京都町田市の実態調査を見ても、40代以上が3割超となるなど、高年齢化の傾向がはっきりと浮かび上がっています。
 一方で、すでに内閣府の2010年の調査でも35〜39歳のひきこもり層が最も多かったにもかかわらず、その後に打ち出した施策はなぜか39歳以下にさかのぼったものでした。そもそも5年が過ぎて、団塊ジュニアのボリューム層も40代を超えています。こうした、年齢上限を「39歳」で区切るという現実にそぐわない調査やちぐはぐな施策が、現場で40歳以上のひきこもり状態の人たちを選別し、本人や家族を地域で孤立させて、潜在化につながる事態を招いたのではないでしょうか。
「ひきこもり支援」を若年層対象に限定して行っている某自治体の担当者に、「対象年齢以上のひきこもり状態の人たちは、どこへ行けばいいのでしょうか?」と聞いたところ、「高年齢化した人たちは病的な問題だと思うので、精神保健の部署へ行って診てもらうのがいい」と答えました。
 しかし、「ひきこもり」を年齢で区切る根拠はどこにも存在しません。なぜなら「ひきこもり」とは、そういう状態が共通しているだけであって、そこにいるのは、みんな一生懸命に生きる同じ一人の人間だからです。
 2010年の厚労省の調査によれば、ひきこもる要因の第1位は「発達障害」27%、「不安障害」22%、「パーソナリティー障害」18%、うつなどの「気分障害」14%など、背景に精神疾患のある人が約95%に上りました。ところが、これは全国5カ所の精神保健福祉センターに通う外来患者152人を診断したデータであり、医療にかかっていない人たちが多い「ひきこもり」の全容を示すデータではありません。
 確かに、長期化によって2次的に疾患や障害を発症する事例はあるものの、そもそものきっかけは、社会的構造や人間関係の問題から離脱せざるを得なくなって、社会に戻れなくなってしまったことなどです。高年齢化しているからといって何でも精神疾患や障害が原因ではないかと思い込むのは、周囲が向き合うべき問題の本質を見誤ることになります。
 最近は、周囲の期待する「レール」から何らかの事情で一旦外れると、求人に応募しても落とされ続け、やっと職に就けたとしても非正規や派遣、ブラック企業で、1日に10時間以上働いても月収10万円前後にしかならないというのが実態です。相談窓口へ行っても精神論ばかりで、弱音を吐くと、精神科への受診を勧められて屈辱的だったという話も聞きます。
 このような、日本中が「ブラック」な状況の社会で、ボロボロに傷つけられてしまった本人たちの気持ちを最も理解してあげられるのは、実は、両親をおいて他にありません。

◆新たな発想「ひきこもり大学」2015-11ikegami3.jpg
「病院やNPOへ行って(子どものひきこもりを)治そうとするより、子どものことは親のほうがよく知っている。だから、親が変わるのが一番早い」 
 今年8月、仙台市で開かれた「ひきこもり大学」(以下、ひき大)で、当事者の鹿間健史さん(34歳)は、会場いっぱいに詰めかけた親御さんに向かい、そう訴えかけました。
 ひきこもり大学というのは、ひきこもっていたある当事者の発案で、2013年8月から始まった活動の1つです。本人や経験者(家族も含む)が、ひきこもり経験を通じて得た見識や知恵、ノウハウなどを他の家族や社会に向かって、自らが望む形で自由に講義する場です。ひき大の目的は、ネガティブに思われてきた「空白の履歴」を価値に変えていくことにあります。
 これは、支援団体や親の会などが当事者に依頼する「体験発表」や「成功体験報告」ではありません。当事者が自らの意思で希望し、これまで閉じ込めてきた思いや感情を自由に発信して、社会に伝えていく場なのです。
 そこには、一方的に講師が話すだけでなく、参加者ともやりとりして皆で一緒に、新しい社会参加の仕組みを考えていきたいという思いがあります。だから学部や学科名も用意された設定があるわけでなく、講師が自由にネーミングしています。
 また、せっかく講師を務めてくれる当事者たちの交通費くらいは捻出したいという発案者の発想で、寄付金箱を置いて、1コインでもいいからと授業料を入れてもらい、講師に手渡しています。
 こうしたアイデアを記事で紹介したところ、大きな反響を寄せたのは他ならぬ当事者たちでした。とくに、ひきこもって外に出られないような人たちから「とても素敵です。 皆偉いなぁ、すごいなぁと思います」「私も少しずつ、勇気を出していかなきゃ、と思いました」といったメールが何通も届いたのです。
 以来、2年余りの間に「生きていたいと思うようになりたい」学科、「弱さでつながる」学科など、当事者発の、実にユニークな学部や学科が数多く生み出されました。発案者は「まず親にわかってほしいから」とスタートさせたのですが、同じ状況や同じ思いを持つ当事者たちも集まることがわかりました。
 また、ファシリテーター(進行役)として、ひき大をボランティアで支えてきたのが、『ひきこもりフューチャーセッション「庵」』(以下、庵)のスタッフたちです。庵とは、「ひきこもり」というキーワードに関心のある人たちが、「ひきこもりが問題でない未来を描く」をコンセプトに集まる、フラットな対話の場です。2012年7月にスタートして以来、偶数月の第1日曜日に東京都内で開催されてきました。
 最近は100人を超える参加者が集まり、そのうち6〜7割を当事者・経験者が占めます。ひきこもり大学も、まさに「庵」の対話の場から生まれたアイデアの1つだったのです。
 庵のファシリテーターは元々、本業を持つボランティア活動者が務めましたが、今年10月、日本財団の助成金を使った「全国KHJ家族会」主催の養成講座で、新たに当事者中心の、22人のファシリテーターも誕生しました。

◆特別視せず、まずは自分自身の変化を
 仙台市のひき大で、講師の鹿間さんは、こんな例えを用いて皆に問いかけました。
「ひきこもりを治したいというのは、ペンギンに空を飛べというのと同じではないでしょうか?」
 すると、参加者の父親が手を挙げました。
「親が変われば子どもも変わるという言葉に、非常に重みを感じる。出口が見えない......」
 ホワイトボードが子どもとのたった1つのコミュニケーションと明かす父親は、こう話し始めたところで声を詰まらせました。
「大変な状況でつらい。自分の子どもであっても、この存在は何だ! と思ってしまう自分がいる......。暴力......。親からすれば認め難い構造。さっき鹿間さんが言われた思考停止という言葉に気づきませんでした」
「本当に今日、来て良かったなと思います。だけど、どうしてこんな人生を、我々が背負っていかなければいけないのか。自分で頑張れば、後ろ姿を見てもらって、いつか子どももわかってくれると思って......。でも、今日の言葉で、いまから自分がどんな行動をとっていきたいか。まだ道は暗いですが、少し明るさが出てきたような気になりました」
 ひき大には、社会の偏見の水位を下げたい、言葉にしていいんだよ、安心して思いを発信しても大丈夫だよ、そんなきっかけになる場を作りたいという皆の思いが込められています。栃木県で開かれた「親子間の紛争解決学科」では、2人の男女講師が講義したところ、参加した当事者がこう感想を明かしました。
「親のため、子のために生きようとするのではなく、自分の人生を大いに生きることが、親のためにも子のためにもなると知りました」
 当事者を特別視して支援するのではないのです。ひき大にしても庵にしても、小さな奇跡をいくつも起こしていく現場で感じるのは、まず自分自身が変われば、その微妙な変化が周囲にも確実に伝わっていくということです。
 埋もれていた当事者たちが動き出すポイントは、これまでのような一方的な上下の関係ではなく、みんながフラットな立場で未来の仕組みを一緒に作り上げていくことにあります。
 これから大切なのは、動き始めた当事者たちの思いを受け止め、望みを形にしていける場を周囲が作りだしてあげること。そして地域に埋もれている社会資源を持つ人たちを掘り起し、当事者と一緒に新たな仕事を創り出す、そんな関係性のできる場をサポートしていくことだと思います。