不登校・ひきこもりについて考える

「中高年のひきこもり」を考えるー「絶望」を生み出さないためにー

◆明らかになった「中高年のひきこもり」 

「長男が子どもたちに危害を加えてはいけないと思った......」
 練馬区の自宅で無職の44歳の息子を包丁で刺し、殺害したとされる男性は、逮捕後にこう供述しているといいます。ひきこもりがちで、中学生の頃から妻と自分に暴力を振るうようになった息子のことを、男性が周囲の人に相談していた様子は見られなかったと報道されています。
 
 近所の小学校で行われていた 運動会の音に不機嫌になったという息子。その言動を聞いた男性の脳裏によぎったのは、数日前から報道されていた、川崎市で児童ら20人が無差別に殺傷された事件であったに違いありません。

 相次いで起きた2つの事件を受けて、「中高年のひきこもり」「8050問題」といったキーワードがにわかにマスコミを賑わせました。しかし、当然のことながら、これらは今、突然に持ち上がってきた問題ではありません。「ひきこもり」当事者が高齢化してきていることは、支援の現場では常識とも言えることでした。

 今年3月、内閣府は40~64歳までの中高年の「ひきこもり」の数を、推計61万3千人と発表しました。これまで「ひきこもり」は若者特有の現象とされており、39歳までしかカウントされてきませんでしたが、初めて中高年層を対象とした調査が行わたのです。

 これほどの人数の、中高年の「ひきこもり」状態にある当事者の存在が確認されたことで、これまでとは異なる支援策が早急に必要だという認識が、広く共有されました。

 これまで、ひきこもり当事者に対する国の施策は「就労支援」が柱でした。39歳以下の「若者のための」支援が中心となってきたのです。しかし、2015年、「生活困窮者自立支援法」が施行されたことで、どのような相談も断らずに受け止める体制を整え、対象者によりきめ細かく寄り添う福祉施策へと方針が変更されました。

  しかし、自治体による対応の格差も生じており、本人や家族がやっとの思いで相談窓口に赴いても、相談者のニーズに合った対応がなされず、結果として窓口をたらい回しにされて、逆に不信感のみを与えられて帰ってくる-というケースも少なからずあるようです。


「怠けている」「働けるのに働かない」「親の教育が悪かった」などと、依然として「ひきこもり」当事者とその家族に対する世間の風当たりは強いものがあります。しかし、そうした世間の眼にさらされて孤立を深めていくことが事態を好転させるものではないことは、先の事件を見ても明らかです。

 ◆「家族で解決すべき」は本当か

 前述の、内閣府の調査では、趣味の用事やコンビニなどだけに外出する人を含めて、半年以上、家族以外とはほとんど交流がない人を「広義のひきこもり」としています。

 ひきこもりとなった年齢は、60~64歳が最多で17%、25~29歳 が14.9% 、20~24歳が12.8%と続きます。そのきっかけは、「退職した」ことに加えて、「人間関係でのつまずき」「病気」「職場になじめない」といった理由が並びます。

 ひきこもっている期間は、7年以上になるという人が約半数を占めていて、30年以上という人も6%におよびました。
全青協が10年ほど前から行っている、ひきこもり状態にあるご家族のためのセミナー「寺子屋ふぁみりあ」の参加者は、現在では主に60~70代の親御さんですが、子どもの年齢は30代後半~40代半ばが多くなってきており、参加者の方はまさに「8050問題」が人ごとではないと感じられる世代と言えるでしょう。

 「寺子屋ふぁみりあ」は、開催場所がお寺であることから、「気持ちが安らぐ」「読経はこころが無になって落ち着く」といった声が上がるほか、参加者同士のグループトークの時間が設けられていることで、「同じ悩みを持った親御さんと話ができるのは、今この時を生きる上で大きな力となっている」といった感想が述べられています。

 「寺子屋ふぁみりあ」のような自助グループに参加する前は、親御さんも「子どもが苦しんでいるのに、自分だけが外に出るわけにはいかない」という気持ちを強く持ち、ご自身も心療内科などに通っている方が少なからずいたようでした。

 しかし、同じ悩みを持つ仲間とふれあいながら、世俗とは異なる価値観にふれることによって、本来の自分自身を取り戻し、生きる力を回復しているようにも見えるのです。
 
「家族のことは家族内で解決しなければ」という考え方が、「ひきこもり」当事者とその家族を苦しめているようです。外の世界に支援を求めることは決して恥ずかしいことではなく、むしろ不可欠なことなのだと知っていただければと願います。

 ◆傷ついた経験が生む「ひきこもり」

 「ひきこもり」問題への対策が難しいのは、その原因や背景がまさに千差万別であることです。不登校や病気、受験の失敗、就職活動のつまずきなど、理由は実にさまざまですが、とりわけ中高年のひきこもりでは、ほとんどの人に働いた経験があることから、就職先での過重労働や、パワハラ、いじめなども原因として考えられます。

 いずれも、何らかの「傷つき経験」をしたことがきっかけとなり、人と会うことが怖くなってしまった人が多いようです。

 実際に、内閣府の調査では、「人といると、馬鹿にされたり軽く扱われたりはしないかと不安になるか」と言う設問に、ひきこもりにあたらない人で「はい」と答えたのは19.5%。対して、広義のひきこもり群では48.9%に及んでいます。

 また、「他人から間違いや欠点を指摘されると、憂うつな気分が続くか」という問いには、ひきこもりにあたらない人で「はい」は34.9%だったのに対して、広義のひきこもり群では55.3%にも及び、大きく差が出る結果となっています。

 
 「甘えていないで働け」などと言われやすい「ひきこもり」当事者ですが、すぐに就労について考えられるのはごく一部の人であり、多くの人はエネルギーが枯渇した状態にあります。先のステップに進むためには、それぞれの状態に寄り添ってくれるようなきめ細やかな支援と、少なからぬ時間が必要なのです。

川崎市での事件を受けて、「ひきこもり」当事者が今後も傷害事件を起こすのではないかと、まるで犯罪予備軍のような扱いをしている声が多く聞かれました。しかし、当事者の多くは他罰的というより自罰的であり、むしろ寄り添いやケアを必要としている人たちなのです。

 自分の子どもが「ひきこもり」状態になった場合には、「早く働いたらどうか」「いつまでこのままでいるつもりなのか」と、親の焦りをぶつけてしまうこともあるかと思いますが、本人をさらに追い詰めるような言葉がけや拙速な対応は良い結果 を生み出しません。冷静に対話することが難しければ、手紙などによる方法で少しずつコミュニケーションをとるのも良いと言われています。

  親は外とのつながりを持ちながら、本人の気持 ちに寄り添うことを第一として過ごすことが望ま しいのです。外とのつながりは、親にとっても当事 者にとっても危機的な状況を回避するために必須 なものです。

 ◆構造的に生み出された苦境
 
「ひきこもり」は、これまでその原因がすべて本人にあるかのように見られてきましたが、内閣府の調査からは、別の可能性も見えてきました。

 ひきこもり状態にある40~44歳の層では、それが就職活動の時期に始まった、という人が目立つのです。俗に「団塊ジュニア」「就職氷河期世代」などと呼ばれるこの世代は、バブル崩壊後、企業の倒産数が増加し、極端なまでに新卒採用が控えられた中で就職活動を強いられました。

 数十社にエントリーしても、面接までたどり着けるのはわずか数社、といった状況もありました。どんなに頑張っても内定が得られず、こころを病んでしまったり、自信を失ってひきこもってしまったりした人たちもいます。

 また、正規の職に就けなかった多くの人たちは、派遣会社などに登録し、非正規雇用で働き始めました。しかし、正社員と比べてボーナスは低く、昇給もボーナスもないというような状況に置かれました。

 さらに、この世代が30歳前後になった頃には「リーマンショック」が起きて、いわゆる「派遣切り」が相次ぎました。働き盛りの時期に不安定な生活を強いられ、これまで定番のライフコースとされた、就職、結婚、出産といった波に乗ることは極めて難しくなったのです。

こうした不利益は、これまで本人たちも自分の責任によるものだと感じていました。しかし、実は完全なる国の政策ミスであり、日本の労働環境の激変によって構造的に生み出されたことです。

 努力すればそうした状態から抜け出せるだろう といった根性論や精神論は、間違っているばかりか彼らを無用に追い詰め、「ひきこもり」当事者が社会へ出ることへのハードルをさらに上げてしまっているのです。

 ◆他人を変えることはできない

ひきこもり」当事者は、今や全世代で100万人以上におよぶと言われています。これだけの人たちが社会との関係を絶っていることの重みを、私たちは立ち止まって考える必要があります。

 川崎市の事件では、「死にたいのなら一人で死ね」というコメントがネット上を飛び交いました。他人を傷つけ、道連れにしたことは決して許されることではありませんが、寄る辺となっていた親族は高齢となり、理解してくれる人はおらず、今後、「自分の居場所がこの世にはいよいよ何一つなくなってしまうのだ」という絶望感が犯行に駆り立てたのではないでしょうか。

 現在、安定した立場にあって、家族に恵まれている人も、諸行無常の理があらわすように、些細に思えるようなきっかけでそれらを失ってしまう可能性もあります。「ひきこもり」当事者の存在は、自分とは無関係で、怠け者の叩くべき人間ではなく、社会の中で隣り合う、もうひとりの自分なのかもしれないのです。

 自分と他者が完全に無関係だと考えれば、他者のことなど省みずに自分の利益を守っていれば「得」ということになります。しかし、ひるがえっていざ自分が苦境に立たされた場合には、誰かを頼ることも、信じることもできないということになります。結果として、今持てることを懸命に守り、しみつくしかありません。

 今の日本の「不安感」「不幸せ感」は、こうした価値観や社会構造によって生じているように思われてなりません。

  いつ社会復帰するとも知れない子どもを待つ高齢の親御さんの心配は、想像するに余りあるものです。しかし、たとえ自分の子どもであっても、他人を思うように変えることはできません。変えられるのは、自分だけなのです。

 ある「ひきこもり」当事者は、「子どもは、親が自分のために不幸になるのだと思うと耐えられない」と語りました。親が自分の人生を生ききっている姿に子どもは励まされ、時間はかかっても、立ち直る力を得ていくのではないでしょうか。

  いま、持てる小さな幸せをかみしめてみること。子どものための人生ではなく、自分の人生を全うしていくこと─。それが、事態を好転させる有効な術だと考えられるのです。