仏教者の活動紹介
仏教を青少年に! ー淨教寺仏教青年会ー
(ぴっぱら2024年1-2月号掲載)
京都と並ぶ古の都、奈良。世界遺産をはじめ数々の寺社仏閣を擁する、国内有数の観光地だ。奈良駅前には、さまざまな国籍の観光客に交じり、奈良公園からやってきた鹿たちも時折、歩道をのんびりと併走している。
駅前から興福寺に続く三条通りを歩いていくと、間もなく、通り沿いに立派なお寺の山門が現れた。白壁とのコントラストが美しい瓦屋根の山門は、国の登録有形文化財にも指定されている。境内に入ってまず目を奪われたのはの大木だった。掃き清められた境内にしばしむと、日常のも吹き飛ぶようだ。
ここは、浄土真宗本願寺派の寺院、淨教寺である。開基は鎌倉時代。河内国の武士で、のちに親鸞聖人の直弟子となった行延法師によって開かれたと伝えられている。慶長8年には徳川家康より寺地を授かり、現在地に至ったという。訪れたのは11月。境内には、ご門徒より奉納されたという色とりどりの菊の鉢やオブジェが飾られ、参拝者の目を楽しませていた。にこやかに出迎えて案内してくれたのは、淨教寺の住職、島田春樹さんだ。
淨教寺では、今から60年以上前の1962年、先代住職の島田和麿さんが「奈良仏教青年会」を立ち上げた。近隣にある奈良教育大学や奈良女子大学の学生たちを集め、仏法を聴き、ともに学ぶ場としてお寺での活動を開始した。仏教青年会はその後も形を変えながら、現在まで若者やご門徒の生涯学習の場として、また子どもたちの宗教的を育む場として機能している。
◆すばらしい教えを、多くの人に
「父が仏教青年会を始めたのは、仏教のすばらしい教えを同世代の若い人が知らないのはもったいない、もっと伝えたい! と考えたからです」と、春樹さん。
当時、先代住職は20代。僧侶仲間と一緒に、各大学に勉強会を告知するポスターを貼り、参加を呼びかけた。その甲斐あってか、発足当初は30人ほどの若者がお寺に通ってくるようになった。
講師には明治生まれの僧侶で教育者の稲垣さんらを迎え、月に一度、「仏説無量寿経」などの仏典を読み解く輪読会や聖跡の巡拝を行った。また、当時は各地で学生運動が盛り上がりつつあった時代である。戦後の復興や当時の社会問題、60年安保改定についてなど、日本の未来についても膝をつき合わせて討議する場となった。
「何のために生きているのか」という根源的な問いを抱えた若者も、仏教青年会にやってきたという。講師の言葉に耳を傾け、仏典を読み進めるうちに、いつの間にか心が軽くなっていく。開催日以外にも定期的にお寺に通うようになって、お寺と長いつきあいとなった人もいる。今では、親子2代、3代にわたって参加している家族もあるそうだ。
1982年、仏教青年会では4月8日の花まつりにちなんで、初めての子ども会を開催した。学んできた大切なみ仏の教えを、ぜひ子どもたちにも伝えていきたいという機運が高まっていったのだという。
教員になったばかりの若きご門徒や、宗門系大学の人形劇サークルなどにも協力を仰ぎ、迎えた当日には100人を超える子どもたちが集まってきた。子どもの人数が多かった時代のこと、境内は賑やかな声で埋め尽くされていたことだろう。
◆子どもたちへの活動
1987年には、先代住職である和麿さんの娘、順子さんとの結婚をきっかけに、春樹さんが入寺する。春樹さんは、新潟、長岡にある浄土真宗のお寺の出身だ。「実家のお寺も、いつも人が集まりとてもにぎやかでした」と語る春樹さん。仏教青年会をはじめ、お寺でさまざまな活動が行われることも、自然なこととして受け止めることができたそうだ。
入寺の年に、仏教青年会は「淨教寺仏教青年会」へと名称が変更された。そして、好評だった子ども会は、その後も淨教寺で定期的に開かれるようになっていた。春樹さんの意向もあって、子どもたちへ向けた活動はますます盛んになっていく。
花まつりのほかにも、子どもたちの自由時間が増える夏には、「夏休み子ども会」を行うようになった。うちわを手作りしたり、お数珠づくりにチャレンジしたりという工作の時間や、境内で射的や輪投げ、スーパーボールすくいなどを行うゲームコーナーも、子どもたちに人気だ。
暗くなってきたら、一般家庭では難しい「ナイアガラ」などの大きな仕掛け花火も皆で楽しむ。子どもたちに夏の思い出を作るべく、住職と寺族をはじめ、多くの大人たちや子ども会のOB・OGが毎年汗を流しているそうだ。夏の催事には「平和の鐘」の活動もある。広島に原爆が投下された8月6日と長崎に投下された8月9日、原爆投下の時間にあわせて市内の協力寺院が一斉に鐘をつき、恒久平和を願うという催しだ。
淨教寺では、10年ほど前から子どもたちへの参加を促してきた。早朝からお寺に集まってもらい、法話や絵本の読み聞かせを通じて戦争と平和について考える機会としている。
89歳の先代住職、和麿さんは戦争経験者である。敵国の兵士から機銃掃射を受けたものの九死に一生を得たという話や、食べ物が手に入らず、お腹が空いて辛かったことなど、今の子どもたちには想像もつかないような戦時中の経験談をこの機会に語ってきた。
現在、ウクライナへの軍事侵攻やイスラエル・パレスチナ間の紛争など、世界中で戦火の拡大が危惧されている。戦争を知る世代が少なくなりつ
つある今、戦争の悲惨さを語り継ぎ、ともに平和を
願う機会を得ることは大切な平和教育となり得る。
お寺の多い奈良市内でも鐘が一斉に鳴らされることは珍しい。響き合い、重なり合う鐘の音は子どもたちの心に平和への想いを刻みつけることだろう。こうした活動が広く他の地域にも波及することが望まれる。
秋にはハイキング、冬には街頭募金活動(ユニセフ募金)と、四季折々に子どものための催事を行っている淨教寺。もちろん、協力者の確保は欠かせない。催事の前には、「今度、子ども会をやるのでぜひ見守って下さい」と、ご門徒らに個別の電話をかけて協力を依頼することもあるそうだ。高齢のご門徒にとっては外に出てきてもらう良い機会となるほか、「子どもたちのため、自分にできることがある」と思えることが、ご本人を支える力ともなるという。
◆池の波紋が広がるように
子ども向けの催事をはじめ、法話会、大人のための勉強会、コーラスの会......と、山門前の掲示板には行事日程がびっしり書かれている。住職と
寺族が忙しい毎日を送っていることは間違いないが、それでは、お寺での活動に力を注ぐ原動力は、いったい何なのか。
「池の波紋が広がっていくように、釈尊のみ教えを伝えていくことが理想なんです。そのためにはまず、池に何かを落とさなければなりません」と、春樹さん。先代住職が築いた学びの輪を生かしながら、時代に即応した形で活動を発展させていく、そうした「伝える努力」が必要なのだと、言葉に力がこもった。
そんな春樹さんはもちろん、淨教寺で代々、大切にしてきた原点となる聖典がある。それは、親鸞聖人の主著『教行信証』だ。
「『教行信証』は「ばしいかな」と始まり、「慶ばしいかな」という言葉で終わります。み仏の真実の教えに出会う喜びと感動が、そこに込められています。自分が感動したことだからこそ、人に伝えることができる。私も多くの方にお伝えできるよう、学び続けながら進んでいきたい」と語る春樹さん。仏法を伝え、人びとのこころの安寧に寄与する、そんな寺院と僧侶のあり方の原点を目の当たりにした気がした