仏教者の活動紹介
人と社会に寄り添う仏教を -仏教情報センター-
(ぴっぱら2020年11-12月号掲載)
「家にひきこもっています。世の中と関われない自分がつらい」「高齢で、病気もあり、もう生きていたくない......」
東京・文京区にあるビルの一室。通り沿いの窓からは、向かいの遊園地の遊具がにぎやかに動いているのが見える。オフィスビルが建ち並ぶ一角なのに、どこか楽しげな気配の感じられるこの場所は、冒頭のような深刻な相談を受け止めるのにふさわしい立地であるといえるのかもしれない。
一般社団法人「仏教情報センター」は、1983年の設立以来、40年近くにわたって僧侶による電話相談事業「仏教テレフォン相談」を行っている。 その名称が示すとおり、設立当初は葬儀やお墓、お布施の金額についてなど、仏事にまつわる相談を受けることが多かったが、現在では、夫婦関係や親子関係、職場の人間関係など、さまざまな悩みの相談が多く寄せられるようになっている。相談員は、パーテーションで仕切られたスペースで待機し、電話を待っている。相談員を務めるのは、首都圏各地からボランティアとして参加している、伝統仏教教団9宗派の、30~80代の僧侶たちだ。
「水曜日は日蓮宗、木曜日は浄土宗、というように、曜日ごとに担当宗派が決まっています。相談員は、宗派の中でふさわしい僧侶を推薦して、参加してもらっています」
そう説明するのは、理事長を務める長谷川岱潤さん。浄土宗寺院の住職である長谷川さんも、36年ほど前に知人の推薦を受けて以来、長年にわたって相談員として活動してきた。現在では、153人もの僧侶が交代で参加している。 相談は、平日の朝10時からお昼をはさんで夕方4時まで(新型コロナウイルスの感染が懸念されてからは3時までに短縮)だが、毎日のように電話をかけてくる「常連さん」や、「新型コロナ」による影響で不安を募らせている相談者が増えているため、なるべく多くの電話を受けられるよう苦慮しているそうだ。
「最近は深刻な相談が増えてきています。仏事相談であれば短時間で終わりますが、いのちに関わる悩み相談となるとすぐには切れません。相談者から『わかったよ、明日も頑張ってみるよ』などという言葉が出るようになるまでには、2時間、3時間とかかることもあります」と、専務理事を務める日蓮宗僧侶、稲田海聡さんは説明する。
相談用の電話は3回線のみであるため、できるだけ多くの相談を受けられるよう、一件を20分程度におさめたいと考えているが、予定通りにはいかないようだ。こうして、同センターでは一日平均20件、年間4000件以上の相談を受けている。
◆こころのSOSを受け止める
一期一会を大切にしているこの活動だが、相談員にとって、実情は生易しいものではないようだ。電話をかけてくる人には、当然のことながら、さまざまな精神状態の人がいる。
「電話を受けてから1時間、最初から最後まで怒鳴られ続けることもあります。そんな経験はこれまでしたことがないわけですから、早々に音を上げる若手の相談員もいます」と、稲田さん。
「私自身も『何かあれば、仏教の話をして差し上げて......』などと考えていましたが甘かった。ボクサーにボコボコにされるサンドバッグみたいなものです」
一般的な相談に混じって、ただ、うっぷんを晴らすためだけのような電話や、性的な電話もある。はじめの頃は「やっていられないよ......」と思ったこともあったそうだが、今では、貴重な修行をさせてもらっているのだと思えるようになったと、稲田さんは続ける。
「相談員のシフトは、ベテランと新人が組むようにされていることが多いのですが、終わったあとに先輩が呼び止めてくれて、悩みや愚痴を聞いてく れたことが大きかった。それがなかったら、続けられなかったかもしれません」
常軌を逸するような電話であっても、その人にとってはやっとの思いで発するSOSであったのかもしれない......。相談員は、互いに気遣い、助け合いながら、見ず知らずの相談員にしか受け止めてもらえない「こころの叫び」を日々、受け止め続けている。
また、同センターでは、特定の宗教的理念や布教の押しつけをしてはいけない方針となっている。しかし、他の相談電話と異なる特色は、やはり仏教者だからこそできる対応にあると、長谷川さんは語る。
「お悩みによっては、理屈では割り切れない、答えのないような問いもあります。そんな時は、2500年続く仏教の智慧をお伝えすることで、安心したり、気を楽にしていただけたりすることも多いのです」と、長谷川さん。相談を受けることは僧侶がするべき大切な役割であり、地道な対話を続けることで、信頼を得ていくことができるのではないかと強調する。
電話相談のほかにも、同センターではお寺の境内などで行う「仏教街頭相談」や、一般の人が自由に参加できる、講演と分かち合いの会「いのちを見つめる集い」を定期的に実施しており、仏教をより身近に感じてもらえるよう努めている。
◆「人は一人では生きられない」
お寺は、全国に7万か寺以上あると言われている。全国津々浦々にあるお寺がそれぞれの人にとって身近な存在であれば、本来、同センターのような組織は必要ないのかもしれない。
しかし、地縁が廃れ、血縁までもが薄れている現代、孤独感と不安感を抱える人が、自分の話を聴いてもらえる場所は極めて少ない。
「電話を受けていると、『とにかく話を聴いてほしい、誰かと話がしたい』という思いを強く感じます」と、稲田さん。精神的に追い詰められていたり、孤立したりしている人の話を聴いて思うのは、「個」が進みすぎていて、「迷惑をかけてはいけない、頼ってはいけない」と考えている人が増えているのではないかということだ。
「まじめな人ほど、苦しくなってしまっている。そうした思いを手放せば、楽になれるし生きやすくなる。自らの思いに縛られている人に、『迷惑はかけてもいいんだよ』と言葉をかけてあげられたら」と、稲田さんは訴える。
また、葬儀のあり方を見ても、同じような考え方が、孤立化や家族の崩壊に拍車をかけているのではないかと、長谷川さんは指摘する。
「今や家族葬といえば、参列するのは直系の家族のみ。親族はもちろん、仕事や学校が忙しいから孫は呼ばないという家もあります。葬送は、家族の関係性の中に自分があると再認識できる、貴重な学びの場でもあったはずなのですが、その機会は失われつつあります」と長谷川さんは危惧する。
「人は一人では生きられないのです。迷惑をかけてはいけないのではなく、迷惑をかけなければ、そもそも人は生きられない。葬儀や法事の簡略化が進んだ責任は、僧侶にもあります。家族の定義が変わりつつある今、僧侶が広く門戸を開いて、大切なことを伝えていかなければ」
◆安心できる相談の場を
3年前、神奈川県座間市で、自死念慮を訴えていた若者ら9人が、SNS上で知り合った男に殺害されるという事件が起こった。若者らは、自分の話を聴き、共感してくれる存在を必死に求めた末に、事件に巻き込まれたのだ。
誰とでも、いつでもインターネットやSNSでつながれるというバーチャル全盛の現代、家族や知人、友人といった現実世界での人と人との関係性が希薄となってきているのは皮肉なことである。
だからこそ、各世代が安心して相談できる場所が数多く必要となってくる。同センターでも、今後はデジタルツールを使った相談など、さまざまな方法を可能な範囲で模索できればと考えているという。人と社会に寄り添い、苦を遠ざける「抜苦与楽」を目指した活動に、さらに多くの仏教者・賛同者が連なっていくことを願ってやまない。