仏教者の活動紹介

笑顔をつなぐアジサイの「縁」 -雲昌寺-

(ぴっぱら2020年9-10月号掲載)

 眼下、一面を埋め尽くしているのは青のアジサイ。その先には、穏やかな日本海が広がっている。見上げれば初夏の青空。ここでしか見られない「青のフルコース」は、訪れる人をしばし癒やしの別世界へと運んでくれる。

 秋田県男鹿市、男鹿半島の北部にある北浦町は、かつてハタハタ漁で賑わった古くからの漁師町である。その港沿いの高台に位置しているのが、 曹洞宗の古刹、北浦山雲昌寺である。近年には、1500株ものアジサイが咲き誇る、「アジサイ寺」として知られている。
 今年は新型コロナウイルスの感染流行によって、 県外からの観光客の受け入れ自粛が呼びかけられたが、昨年は迫力満点のアジサイのじゅうたんをひと目見ようと、5万2000人もの人が来寺したという。Facebookの人気ページ「死ぬまでに行きたい! 世界の絶景」では、公式ウェブサイト日本の絶景編2017年の「ベスト絶景第1位」にも選ばれた。
 「当初は、ここまでにしようなどとは思いもしませんでした」と語るのは、副住職の古仲宗雲さんだ。アジサイは、1株しかなかったものを古仲さんが17年かけて、たった一人で挿し木し続け、増やしたものだ。
 ある日、境内に咲いていた青いアジサイの美しさに「魂を奪われた」ことが、植樹のきっかけだったという。檀家さんや近所の人たちにもっと楽しんでもらいたいと思ううちに勢いがつき、今では、お寺の建物と墓地以外の境内すべてが、アジサイで覆われるまでとなった。
 雪の多い秋田のこと、植物の手入れができる期間は短い。夜間の方が作業に集中できるということもあり、最盛期には頭にライトを付けながら、夜中の2時、3時まで作業することもあったそうだ。アジサイを我が子のように思いながら世話しているのだと、古仲さんは目を細めた。

◆「僧侶として何ができるか」

 そんな「アジサイ寺」を生み出した立役者には、アジサイ以外にも心血を注いできた別の活動がある。本山での修行を経て、古仲さんが故郷の寺に戻ったのは25歳頃のこと。若き日の古仲さんは、「ここで自分は僧侶として何ができるのか」と日々、自問自答していたそうだ。
 そんなある日、先輩僧侶に紹介されたのが、医療や福祉の現場で「いのち」をみつめる活動を行っているボランティア団体、「ビハーラ秋田」だった。ビハーラ秋田は僧侶を中心に結成された団体で、当時、終末期医療や脳死、地域の自死問題などに関する研究会を先進的に行っていたという。 仏教者が、ともすれば医療者や行政に丸投げしてしまうような「いのち」の難問に対して、逃げることなく取り組んでいくその様に、古仲さんは衝撃を受けた。いつも頭にあった「僧侶の自分には何ができるか」という問いの答えが、身近な課題としてその像を結び始めたのだった。 古仲さんはそうして、20年ほど前から、悩みを抱える方がたのこころの声を聴く電話相談員としての活動を始めることになる。
 活動を続けるうちに、相手に寄り添いながら話に耳を傾ける「傾聴」の大切さが身に沁みたと語る古仲さん。当事者同士が集い、想いを分かち合う自助グループの実施が、傷ついたこころにとって いかに大きな癒やしとなるかを実感したという。
 県内にはその頃、自死に特化した自助グループの活動は見あたらなかった。そこで、仲間とともに「秋田グリーフケア研究会」を立ち上げた。 2007年のことだった。

◆こころを通わせ、想いを分かち合う

 古仲さんらが運営している2つの自助グループには、それぞれ月に一度、10人ほどの遺族が参加 しているという。
 「やっとの思いで参加したのに、一言も言葉を発することができないという方もおられます」と古仲さん。日程は新聞広告で案内することが多いのだが、掲載紙を握りしめながら、「参加するかどうか、何か月も考えてやっと来ることができました」と語る参加者もいるという。
 しかし、参加者同士が想いを打ち明け、時に涙を流しながら相手の話に耳を傾けるうちに、悲しみがにじんでいたその表情は変化し、帰る頃には安堵の色が浮かぶようにもなるという。古仲さんら支援者が自助グループの「場の力」を感じる瞬間だ。
 開催場所は、地元の男鹿市ではなく、県庁所在地の秋田市内にしている。それは、自死遺族ということで周囲から特別視されることも多いため、遠方の会場の方が参加しやすいからだという。
 人が死に至るには、さまざまな要因が複合的に作用していると言われる。こころの病気を抱えていたり、取り巻く環境がこころの病気を誘発したりすることもあるだろう。そのように考えると、自死も病死も、ともに病を得た末の死であり、「自死だけが特殊である」という偏見や差別を生むことがあってはならないと、古仲さんは訴える。
 そうした想いから昨今では、自助ループを自死遺族という枠でくくるのではなく、自死を含めた突然死を経験した遺族の会、という枠組みで運営する方針に変更している。
 「自死は、決して善し悪しで語られるようなものではないのです」という古仲さんの言葉がこころに響く。

◆地域に笑顔を咲かせるために

 秋田グリーフケア研究会では、アジサイの季節に、大切な人への想いをつづる祈りの集いを雲昌寺で催している。青いアジサイに寄り添われた境内の〝微笑み地蔵様〟は、柔らかな笑顔を参加者一人ひとりに向けてくれる。まなじりを下げた可愛いお顔は、「大丈夫、大丈夫」と語りかけてくれているかのようだ。
 アジサイに込められた、みんなが笑顔になるようにという古仲さんの想いは、悲しみの最中にある遺族へも、安らぎの空気となって届けられていることだろう。
 今後はお寺だけでなく、地域へもアジサイの植樹を広げていきたいと、古仲さんは考えている。かつてハタハタ漁で栄えた町は、漁獲量の減少と共に人口が激減し、衰退する一方なのだという。 町内は閑散としており、最盛期には地域に6校あった小学校も、今ではたった1校となった。
 「アジサイ寺」雲昌寺の人気ぶりは、そんな町に差す一筋の希望の光となった。今や、男鹿市内では最も多くの観光客が集まるイベントとなり、境内での受付や特産品の出店、駐車場の誘導係など、新たな雇用も生み出された。来年には、お寺からほど近い男鹿温泉郷にもアジサイを植樹し、もっと多くのお客さんに喜んでもらおうと計画している。
 「『お寺のおかげで店をつぶさずにすんだよ』と、声をかけられることもあります。地元の経済が回らないというのは、その地域で生きていく上で致命的なこと。切実な問題です。プレッシャーもありますが、皆さんに喜んでもらいながら発展していけたら」と、古仲さんは力強く語った。
 「アジサイ寺」のプロジェクトでは、地域の人びとに生きがいと収入、そして新たなつながりをも提供することになった。自死の要因として、経済的要素や孤立・孤独が挙げられていることは周知のとおりである。結果として、これまでの活動のすべてがつながり合って、自死の防止にも相乗的な効果をもたらしているのだ。
 現在、全国で少子高齢化が進み、人口減少が猛スピードで進行している。北浦町のような状況は決して特別な例ではない。古仲さんが僧侶として歩む道を求め続け、「人を笑顔にすること」を大切にし続けた先に、多くの人たちの笑顔と安らぎがある。その姿勢は、私たち仏教者の善き手本となるものであろう。

「子ども食堂」でつながる人の輪 -成就院- 人と社会に寄り添う仏教を  -仏教情報センター-