仏教者の活動紹介
「子ども食堂」でつながる人の輪 -成就院-
(ぴっぱら2019年7-8月号掲載)
「こんばんは!」と、客間に挨拶の声が響いた。子どもたちを出迎えているのは、頭に鮮やかなバンダナを巻いた、エプロン姿のおばちゃん、おじちゃんたち。にんじんのナムルに、さつまいもの甘煮などが手際よく盛りつけられていく。
東京、東上野にある真言宗智山派の寺院、成就院では、2年前から「じょうじゅいんモグモグ食堂」という「子ども食堂」を開いている。成就院があるのは、かつて北の玄関口と言われた上野駅からほど近い場所だ。ターミナル駅の近隣ということで、ホテルやオフィスビルなどが建ち並び、日中はサラリーマンの姿も多く見られる。
成就院で生まれ育ち、8年前に住職を継承した福田亮雄さんは、長らく都内の高校で国語教師として教壇に立っていた。福田さんは、いざ住職となるにあたり、自身が思い描く「あるべき僧侶」とはどのような存在なのか、しばらく問い続けていたという。仏教者による社会活動の勉強会に出席したり、浅草の寺院で行われている生活困窮者を支援するボランティア活動に参加したりと、仲間を作りながら活動の幅を広げていった。
そんなある日、福田さんは「食」をキーワードにした貧困対策を学ぶ講座に参加した。パネリストの話を聞くなかで、「お寺で子ども食堂ができないか」と、真剣に検討するようになったという。
しかし、近所の人に話を聞いても、「このあたりは子どもが少ないからねぇ」という消極的な声ばかり。地域に多いのはむしろ高齢者なので、「いっそのこと、お年寄りを対象とした『つるかめ食堂』なんて食堂をやろうかとも思ったんですが......」と、福田さんは茶目っ気たっぷりに話す。
考えあぐねていたある日、近所にある、障がいをもつ子どもたちの放課後等デイサービスを行う施設に話を聞きに行くことができた。詳しく聞けば、子ども食堂のような場所があれば、ぜひとも行ってみたいという。
必要としてくれる子どもたちがいるなら、まずは始めてみようと、福田さんは奥様の陽子さんとともに決意を固める。保健所に申請したり、食品衛生責任者の講習を受けたりといった数か月の準備期間を経て、ついに2017年6月、「モグモグ食堂」をスタートさせる。
◆試作は多い時で4回も
子育て中の知人家族などにも声をかけて、初日に来寺したのは23人。施設に通う子どもたちも、最初はやや緊張気味だったものの、すぐになじんで、くつろいでくれるようになったという。
開催は月に一度で、夕方17時半から19時半までの2時間とした。大人の会費は一食300円で、子どもは無料。お寺で行われている子ども食堂のなかには、炊事を他のNPO団体などに任せて場所貸しのみとしている場合も多いようだが、成就院では陽子さんを調理責任者として、献立の発案、決定、仕込みを含む調理までを「自前で」行っている。
「献立を考えるのは、今でもとてもたいへんです。多い時には、住職と一緒に、当日までに3~4回は試作、試食して準備しています」と陽子さん。献立を考える上で大切にしているのは、なるべく旬の食材を使うこと。旬の素材は栄養満点で、子どもたちが季節感を感じることもできる。そして、材料費も比較的お手頃だというメリットもある。
6月上旬に開催された「モグモグ食堂」に初めて伺うと、冒頭のように大勢のスタッフが笑顔で迎えてくれた。
食べきれるかな......と思いながらも、優しい味付けに箸がすすみ、ほどなく完食。小さな子どもたちは、つい楽しくなって遊んでしまう「ながら食べ」をお母さんに注意されながらも、しっかり食べている子が目立った。福田さんと陽子さんは、そんな親子の傍らに座りながら「えらいね~」などと声をかけながら寄り添っている。
見渡せば、老若男女、幅広い年齢層の人が一同に集っている。食事を終えた子どもたちは、広いお寺の廊下を駆けまわっていた。ふるさとに帰ってきたような、温かな空気感がそこにはあった。
◆あらゆる人の「居場所」として
「モグモグ食堂」のスタッフは、家族や檀信徒のほか、生活困窮者のためのボランティア活動で一緒になった仲間などが担ってくれているという。スタッフは、しがらみの少ない関係性が心地よいのか、調理の手を動かしながらも、プライベートなことなどを楽しくおしゃべりしているようだと、陽子さんは微笑む。
「子ども食堂を紹介したある本に、『子ども食堂は、子どもだけのものではない』と書いてあったのです。実際に始めてみると本当にその通りで、大人の居場所としても機能していると感じています」と、福田さんも真剣なまなざしで語る。
「モグモグ食堂」が行われていることを知り、飛び込みのような形で来寺したあるお客さんは、自分は仏教徒ではない、としながらもすっかり成就院の活動が気に入り、最近では、「亡くなったらここのお墓に入れてもらいたい」と熱望してくれるようになったという。作る方も、食べる方も、人を選ばす受け入れていく活動は、誰をも救いとってくださる仏さまへの祈りの場、「お寺」にふさわしい活動と言えるのだろう。
もともと、貧困家庭や孤立しやすい家庭の子どものためにという理由で広まってきた子ども食堂。しかし実際には、誰が貧困で誰がそうではないのかと線引きすることは難しい。「私は、『こういう人に来てほしい』とこちらが一方的に決めるべきことではないのだと思っています」と、福田さん。まずは「場」があって、その場が意味あるものとして機能すればよい。子ども食堂とは、それ以上でもそれ以下でもないのでは──と、福田さんは考えている。
◆「共に生きる」ことを目指して
「お寺にはそもそも『場所・人・物』がすべてそろっているので、子ども食堂とはとても相性がよいのです」と、明るく言い切る福田さん。一方で、自身が代表となり、ライフワークともなっている活動が、実はお寺の外にもある。
それは、東日本大震災によって被災した岩手県陸前高田市、大船渡市、住田町にまたがる気仙地域の観音霊場の整備をすすめて、「祈りの道」の再興をはかるというプロジェクトである。
東日本大震災は、福田さんが住職となってまもなく起こった未曾有の災害だった。福田さんにとっては、僧侶としてできることは何かということを意識させられる、とりわけ大きな出来事となった。
「祈りの道」のプロジェクトは、津波で家も仏壇も流されてしまい、祈る場所も、壁の薄い仮設住宅にあって声を出して泣いたりできる場所もないという、地元の方の告白を受けて始められた。地域の方の協力を得ながら、少しずつではあるが霊場は認知され、巡礼者も増えているということで、巡礼者同士のこころの交流と、観光客の増加が今後も期待されているところだ。
子ども食堂も「祈りの道」も、ともに福田さんがこだわってきたのは、「動くこと」である。自分から行動を起こし、課題のあるところに向かっていけば、少しずつでも必ず何かが変わり、協力し合える「誰か」ともつながることができる。
昨今、お寺の役割が形骸化し、「葬式仏教」などと揶揄されて久しいが、お寺や僧侶が苦しむ人に心寄せることなく、お寺の門の中に閉じこもっているだけでは、いずれ社会から本当に必要とされなくなってしまうに違いない。つらさや、やるせなさを抱えている人がいたら、まず動いてつながること。そして寄り添い、その重い荷物を少しでも肩代わりさせてもらうこと──。縁あるすべての人と「共に生きる」ことが大切なのだと、福田さんの活動は私たちに教えてくれる。
※「じょうじゅいんモグモグ食堂」ブログ
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