仏教者の活動紹介
高野山足湯隊
(ぴっぱら2018年3-4月号掲載)
「汚い足を洗わせて悪いなあ。でも、足を丁寧に洗ってもらうと、なんだかパーッと窓が開くような、戸口に立つような思いがするんだ。俺はまだまだ何かできそうだ」 今から10年ほど前に発生した能登半島地震では、多くの家屋が倒壊し、電気やガスなどのライフラインも寸断された。公民館や集会所に身を寄せた人も、その多くは高齢者だったという。
「そうつぶやいて下さったのは、震災で家と仕事場を失った方でした。絶望を超えて、現実をありのままに受け入れた時にそのような言葉が出るのだと思います。足湯が、立ち上がってくださるためのきっかけとなったのであれば嬉しいことです」と、辻雅榮(つじがえい)さんは語った。
辻さんは、石川県金沢市にある高野山真言宗宝泉寺の住職で、主に被災地などで「足湯」を行うボランティア「高野山足湯隊」の主宰者だ。高野山足湯隊は、能登半島地震をはじめ、東日本大震災や熊本地震の際にも現地に駆けつけ、地元の人たちと交流しながら活動を行ってきた。
◆足湯の"効能"とは
辻さんが足湯と出会ったのは、能登半島地震が起きた2007年のこと。かつて仏教美術館に学芸員として勤務していたことから、仏師と一緒に能登半島の被災寺院を巡回し、破損した仏像の応急処置に駆けつけていた。その縁で、地域の避難所でも傾聴活動をすることになった。
「少しでもお役に立てれば」という気持ちで被災した方のところを回ったものの、初対面の人間に対してなかなかこころを許してもらえなかった。どうしたものかと思案していると、阪神淡路大震災以来、災害支援活動しているというNGO団体に足湯を紹介されたのだ。
「足湯は、私が日頃から行っている密教の礼拝の作法に通じるものがあると、すぐにピンときました。苦しんでおられる方こそがこの世の菩薩であり、足湯はそのまま菩薩、つまり仏さまの供養になると、すべてのことがつながったように思えたのです」と、辻さんは説明する。
寺の檀信徒にアロマセラピストがいたことから、ともに被災地を巡回して、足湯にアロマソルトを使うようにもなった。アロマは心身をリラックスさせるほか、抗菌効果もある。特に暖かい時期の足湯はどうしてもにおいが出て、それを心配される方もいたが、これで解消され一石二鳥となった。その後も活動していくうちに、看護師や地元の僧侶が合流するなど、徐々に仲間も増えていった。
足湯の"効能"としてなにより嬉しかったのは、足湯が絶好のコミュニケーション・ツールとなったことだ。初対面でも、リラックスしてもらうことでその距離が一気に縮まった。同じ場所で何度も足湯を行ううちに、冒頭のような本音のつぶやきも聞くことができるようになった。
辛い気持ちは、打ち明けることができずため込んでいくことで、さらに大きなストレスとなっていく。足湯を受けた方は、しがらみのない足湯隊にだからこそ、複雑な想いを打ち明けることができたのではないだろうか。
◆足湯作法の確立
現地を繰り返し訪ねるうちに、足湯隊独自の、足湯の作法も確立されていった。ここで、足湯の流れを紹介しておきたい。
足湯を受ける方は椅子に腰掛け、施術者は地べたに座る。そして「こんにちは、○○です。今日はよろしくお願いいたします」と、笑顔で挨拶する。
そして、お湯の中で足のまわりをさすったり、足の指の間の垢を取り除く。そのまま足湯を続けながら、対象者の手や腕をもんだりさすったりしながらお話に耳を傾ける。
手をもむ前に、自分の手にアロマ水をとり、自分の体温と相手の体温を調整するような感じで、対象者の手をアロマの香りで包む。この時、こころの中で相手の身体に触れることに対する了解を得るようにする。「触れてもいいよ」という許可のサインを感じたら手をもみ始める。
こうして、手から腕、そして肩、次第に身体の中心に向かって、肩にのしかかっている重荷をなで下ろすようにさすり、最後は自分の膝の上にタオルを拡げて、それで足を包みながら水分を拭って、靴下をはかせて差し上げる。
足湯を受ける側からすれば、足を他人に見せるだけでも恥ずかしいことなので、ことのほか大切に扱う。差し湯の際も、必ず足に手を添えるようにしているそうだ。これも、「あなたのことを大切に思っています」という気持ちを表している。
◆「仏足頂礼」の体現を目指す
「目の前の人を、仏さまやと思って足を洗うことが大事なんです。『してあげる』のではなく、ぬかずいて仏さまのようにおがんで、今どのような心地でおられるのですかと、教えていただくような気持ちでやらなければ」と、辻さん。
おごった気持ちを抱いて接しても、相手に心地よくなっていただくことはできない。仏前にひざまずき、仏さまの御足を自分の頂(頭の先)にあてて礼拝する最敬礼「仏足頂礼」を心身ともに体現することが、相手のこころを癒す行為となり得る。また、行う側にとってもかけがえのない修行となるのだという。
東日本大震災の際には、足湯隊は震災発生直後から24回にわたり宮城県南三陸町に駆けつけ、のべ1300人に足湯を行った。「早朝や就寝前の足湯が気持ちいい」と言われれば、避難所の片隅に寝泊まりして行ったそうだ。
被災地での足湯は、行う側とすれば決して安楽なものではない。垢だらけの足もあれば、水虫の足もある。実際に、手の上まで水虫にかかったことがあると、辻さんはさらりと話す。そして、被災した人のなかには家族を亡くした人もいる。それぞれの悲痛な嘆きや絶望感をまるごと受け止めることにもなるのだ。
現場での活動を終えた足湯隊は、最後に必ず足湯をさせてもらった場所を掃除して、使ったトイレを、水を流しながら徹底的に磨くのだそうだ。また、帰り道には海などに寄って読経し、復興を祈りながら、足湯中に聞いた辛いお話をすべて海に流していく。お湯に流し、水に流し、海に流す。魂の浄化を目指し、「浄める」ことが重要な意味を持つ宗教とのつながりを、辻さんはいつも感じている。
「被災者」と呼ばれるのは、可哀想な人たちと蔑まれているようであまり気分が良くないと言った人がいる。確かに、そうなりたくてなった被災者は一人もおらず、ボランティアに支援されたい人もいない。
だからこそ、救援活動はあくまで必要性によるものであって、支援者がボランティアを行ったということに固執する必要はまったくないのだ。
「足湯をしながら足湯にとらわれず、話を聴いても聴いた話にとらわれない境地で行うことが大切だと思います。できる場所で、できる人が、できることをさせてもらう、ただ、それだけなのです」という辻さん。支援の名のもとに忘れられがちだが、他者と心を通わす上で最も大切な尊重和敬のまなざしとこころのぬくもりを「仏足頂礼」は教えてくれる。
足湯隊に参加したボランティアは、身と口とこころのすべてで目の前の人を頂礼する行為を行い、それを身つけてゆくに違いない。この活動のこころが、世界に広がることを願ってやまない。