仏教者の活動紹介
子どものいるところ、住職あり! ー寳樹寺ー
(ぴっぱら2016年3-4月号掲載)
「つるポン! 4時になったら来るでー」
山門から大きな声で、ランドセル姿の男の子が呼びかけた。「おう、待っとるで」と手を振るのは、お堂からニコニコと微笑む、浄土宗寳樹寺住職の中村勝胤さんだった。「最初はお兄ちゃん、とみんな呼んでくれていたんですけど、最近はいつの間にか『つるポン』が定着してしまって......」中村さんはそう言って丸い頭をかいた。
ここ寳樹寺は、今から1250年ほど前の天平年間の開創とされる。近鉄大阪線の五位堂駅から歩くこと10分。蔵を備えた重厚な家々が立ち並ぶ、歴史ある住宅街の一角に寳樹寺はあった。「五位堂」という珍しい地名は、諸説あるが、かつて無実の罪で五位の官位を奪われた大伴氏の末裔が、没後、名誉を回復されて再び五位の官位をいただき、邸宅を仏殿として祀ったことが由来とされている。
「大阪への交通の便がよいので、ニュータウンも造られて、このあたりは若い家族の流入が増えているんです」と、中村さんは説明する。梵鐘などを製造する鋳造産業で栄えた寳樹寺の周辺に比べて、駅の北側にあるニュータウンにはまた違った雰囲気の街並みが広がっている。
◆歴史ある日曜学校
寳樹寺が日曜学校を始めたのは、ニュータウン開発よりはるか昔、今から70年近く前のことだ。先々代の実道住職が戦後の混乱の中、地域の子どもたちを健やかに育成したいと、先代の隆宣住職とともに「五位堂安養日曜学校」を始めた。
小・中学校の教師だった隆宣師指導の下、子どもたちは月に2回ほどお寺に集まり、仏さまに手を合わせ、手遊びやハンカチ落としなどのレクリエーションを楽しんだ。中村さん自身も幼い頃から、父と祖父が家族ぐるみで行っていたこの日曜学校に参加していたそうだ。
高度経済成長を遂げ、街が豊かになった1970年代の終わり頃、子どもたちはスポーツクラブや塾通いで次第にお寺からは足が遠のいていく。日曜学校も一時休止していた時期があったが、復活させたのは「子どもの頃楽しかったから、またやろうよ」という中村さんの一言だった。
その時、中村さんはまだ高校生。指導者のための研修会に参加するなど、自らノウハウを学び、家族とともに再び子どもをお寺に集めていった。
現在では月に1回程度、土曜学校という形で、花まつりやお地蔵さんのご縁日をはじめ、仏教行事などにあわせた集いを開いている。時には企業に依頼しての社会科見学など、バラエティに富んだ経験を子どもたちに提供している。
特に子どもたちに人気があるのは、2月に行われる「子ども寒行」だという。寒行とは、文字通り寒さに耐えながら修行を行うことで、極めて仏教的な催しを想像するが----。
「最後にごほうびのカレーが出るので、カレー目当てなのかもしれません」と中村さんはいたずらっぽく微笑む。元々はお坊さんだけの托鉢行だったのが、子どもたちが面白そうだとついて回るようになり、今の形になったそうだ。
子ども寒行の2日間、子どもたちはお坊さんと一緒にお念仏を称えながら夜の町内を練り歩くという。この日ばかりは修行なので、私語は厳禁だ。最近では毎年60人くらいの子どもが参加するというから、地元の人たちにとってもさぞ壮観なことだろう。隣のお寺と合同で行い、土曜学校のOBやOGにも手伝ってもらっているそうだ。
寳樹寺では、この土曜学校のほかにももう一つ独自の取り組みがある。それは毎週水曜日、本堂で行われている「五位堂子ども文庫」だ。
子ども文庫の名の通り、子どもたちが自由に本を読み、貸し出しも受けられる活動である。
「ふだんは20〜40人、多いときには60人くらいの子どもがやってきます」と中村さん。きっかけは、個人でこの活動をしていた人から、自分は引っ越すので本を受け継いでもらえないかと声を掛けられたことだった。蔵書は少しずつ入れ替えや買い足しをしながら、今は500冊ほどがある。この活動も、もう始めて35年ほどになるそうだ。
開始当初は、たくさんの本を抱えて嬉しそうに帰っていった子どもたち。しかし最近では、様子が少し違ってきたという。
「今、本を目当てに来る子はほとんどいないんです。代わりにゲーム機を持ち込む子が増えました。本を読まずにゲームばかりしているので、『ゲーム機は禁止!』としたこともあったんです。でも、酷寒酷暑の中を縁側で遊んでいるので『もうええわ! 中へ入れ』となりました」と、中村さんは笑う。ただ遊ばせているだけで果たしていいのかな......と思っていた中村さんの考えも、子どもたちの姿を見て少しずつ変わっていったという。ここに来たらなんだか安心してくつろいでいるようだし、友達も来ている。そんな「居場所」があってもよいのではないかと考えるようになったそうだ。
◆お堂でのびのび、子どもたち
そんな子ども文庫の日にお邪魔をしてみた。
挨拶しながらも勝手知ったる様子で本堂に上がり、かばんからゲーム機を取り出したり、宿題のドリルを始めたりする子どもたち。中村さんの言葉通り、やはり"ゲーム派"が優勢なのか、畳の上で円座になって対戦ゲームをする子どもたちの輪が、あっという間にいくつもできた。
「花札知ってる?」「知ってるよ! "いのしかちょう"やろ?」と、声を上げたのは高学年の女の子たちだ。中村さんと子どもたちで花札が始まった。
そのうち、中村さんの手が空いたところを見計らって、低学年の男の子がその膝をちゃっかり占領してしまった。お父さんでも親戚でもないのに、なんという馴染み様だろうか。お寺の子ども会を見渡しても、これほど子どもとの距離が近い指導者も珍しい。
「僕はやはり、子どもが大好きなんですよね。でもいくら親しくても、悪いことをしたり、危ないことをしたら叱らなくてはなりません。今の子って叱られ慣れていなくて、ある意味、甘えん坊。だから、よほど自分のことを想ってくれているという信頼関係がなければ、受け入れてくれないんです。日常的に子どもたちと接して信頼関係を築くことが、子ども教化の第一歩だと思います」
「つるポン」と、親しみを込めて呼ばれている中村さんの人柄か、お堂には全てを受け止めてくれるような安心感が満ちていた。
◆み教えには幼い頃から
土曜学校と違い、子ども文庫では、お念仏を唱えるなどの仏教色は出していない。しかし、子どもたちはガヤガヤしていても、他の機会に手を合わせるときには神妙な面持ちで取り組んでいるという。「やっぱり小さいときからが大切なんですよね。若いお坊さんにはどんな形でもいいので、特技などを活かしながら子どもの教化をやっていってほしいです。できれば地域にも協力してもらって、地域全体で仏教が盛り上がってくれるといいなと思います」と、中村さんは目を輝かせた。
子どもとの信頼関係を築くプロセスは、きっと相手が大人であっても同じことだろう。自分がこころを開いていくこと、そして、相手を大切に想いやること----。敷居がすっかり高くなってしまったと言われる今のお寺に足りないものは、そんなシンプルな心がけなのかもしれない。
地域の主任児童委員として、若いお母さんたちの相談も受けているという中村さん。「子どものいるところに住職あり」とまで言われる五位堂の"子どものお寺"には、今日も子どもの声が絶えない。