仏教者の活動紹介
若者が集い羽を休めるお寺―円成寺「NPO法人チュラサンガ」―
(ぴっぱら2015年5-6月号掲載)
いま、不登校の小中学生は全国で12万人。いわゆるひきこもりの若者は100万人とも言われている。これほどの人が学校に行かれず、社会との接点を失いつつあるのに、外から見えづらいためか報道されることはあまりなく、公的な支援も不十分だ。
こうした若者や家族の受け皿はどこにあるのかといえば、ほとんど民間の支援団体に委ねられているのが現状だ。全青協では、この問題に取り組む寺院ネットワーク作りを進めているが、そうしたお寺は稀な存在である。そのうちの一つが、岐阜県にある。浄土真宗本願寺派の寺院、円成寺だ。
JR岐阜駅から車を走らせると、まもなく、清流100選にも選ばれている長良川の眺めが広がってくる。春ともなれば川沿いの桜並木が訪れる人びとを楽しませる一方で、今年、国の重要無形民俗文化財に指定された鵜飼漁は、初夏から秋にかけて例年、多くの観光客を集めている。
円成寺は、長良川沿いの静かな一角にあった。住職の堀無明さんは、30年ほど前から不登校や生きづらさを抱える若者たちをお寺に招きいれ、相談を受けたり、農作業などを通じて生きる力を育む活動を行っている。
「もともと、親戚である前の住職が型破りな人だったんです。『お寺はカギなんかかけちゃいかん』なんて言ってましたねぇ」と、堀さんは微笑む。前住職の小林宏昭さんは、僧侶でありながら劇作家や演出家としても活躍した"演劇人"でもあった。お寺にも舞台を設置して演劇活動を行うなどの活動は、円成寺にとって、多くの人をお寺に迎え入れる素地となっていたに違いない。
若い頃は自動車メーカーのサラリーマンをしていたという堀さん。思うところあって退職した40代のころ、地元で塾の講師をしていたときに出会ったのが、「学校なんてやめたい」「死んでしまいたい」と語る高校生たちだった。
この子らを何とかしてあげられないものか......。そう考えた堀さんは、前住職の後押しもあって、お寺のなかに学習塾を立ち上げた。1984年のことだ。当初は高校を中退した若者たちの勉強をサポートしていたが、徐々に同じような悩みをもつ若者が集まりはじめ、居場所がないという子や、生きる意味を見出せないという若者の集いの場となっていった。
そのうち、寺で生活したいという彼らの要望を受け入れ、境内に滞在用の建物を建てて共同生活ができるようにした。また、近所で農地を貸してくれる人が現れたので、畑仕事にも挑戦するようになった。「だれでも受け入れよう」と言ってくれたという前住職、小林さんの言葉が頼もしい。
◆農業を柱とした自立支援
いまは、円成寺の内外で7人の若者が共同生活を送っている。通ってきている若者や、堀さんらスタッフの訪問を待つひきこもりの若者を加えると、25人ほどが支援を受けていることになる。
2007年には、同じように支援活動を行うフリースペースやフリースクールと統合して、NPO法人「チュラサンガ」を立ち上げた。お寺が拠点であることは変わりないが、農業を柱とした就業体験や地域との交流活動を一段すすめ、包括的な支援ができればと考えている。枝豆、ほうれん草、ブロッコリーなどの野菜を育てながら、農協に出荷したり販売を行ったりと、若者たちは地域の方とふれあいながら学ぶ日々だ。
チュラサンガの「サンガ」とは、インドのサンスクリット語で共同体・僧団の意味である。また「チュラ」は、お釈迦さまの弟子チュラパンタカのお名前であり、沖縄の言葉の「美しい」という意味から、自然の中にある人の輝きを表している。
初めて訪ねて来た若者にも、「せっかく来たからには畑仕事せんか?」と声をかけているという堀さん。しかし、ここでは何事も強制することはない。親や他人に強制されても、決して長続きしないということを、堀さんは経験から知っているのだ。
長く住み込んでいる人は9年にもなるそうで、彼らには「そろそろ(卒業)どうだ?」とすすめてみるそうだが、これも本人次第。外でやってみたいと思ってくれる日を待ちながら若者に寄り添う。
チュラサンガでは農作業のほかにも、陶芸や囲碁、絵画、書道などの余暇の時間を設けている。
また、ほとんど外には出られないという重いひきこもり状態の人には、その人の家まで出向いて行く、アウトリーチの活動も行っている。
◆「大人が逃げている」
「まさか、自分がお寺の住職になるとは思いませんでした」という堀さん。しかしご自身も、子ども時代からさまざまなことに疑問を持ち、考え続けるようなタイプであったそうで、「だから彼らの気持ちが少しはわかるのかも」と分析する。
塾を始めてすぐに、ある中学生が自殺未遂を起こしたことがあった。彼の書いた「大人が逃げている」という遺書の強烈な内容に、堀さんはショックを受けた。お金をもうけるために他人を押しのけて、環境をも破壊する大人たち。苦しむ人がいても見ないフリ。勉強して良い学校に行けばお金が稼げて良い暮らしができる。それこそ幸せだと教える矛盾に耐えられなくなってのことだった。
「僕はこういう子に、何らかの答えを出してあげられたらと思いました。健全でないのは子どもではなく、むしろこの社会の方なのではないかとも思っています」
塾を始めて以来、円成寺に来た若者はのべ700人にもなるという。障がい者手帳を持っている人や、精神病を患っている人も増加している。
オウム真理教の事件が起きた20年前、熱心な信者となったのは、まじめで純粋な若者たちだった。物質至上主義の価値観に幻滅し、力を合わせて「理想郷」を築くのだと本気で信じていた人たちだ。
しかし、親も学校も伝統的な宗教も、誰も彼らの疑問には応えてくれなかった。20年経ったいまも、若者や子どもの自死は増加し、薬物に手を出す若者も後を絶たない。私たちが彼らに伝えられる"答え"とは、一体何だろうか。
◆全体の幸せを考えるということ
「たとえば人間は、動物や植物を殺して、そのいのちをいただいて生きています。しかし、そこには普段、なかなか目を向けることができません。食うもの、食われるもの、勝つもの、負けるものの関係があるように、自分の幸せが単独で存在することなどありえないのです」と、堀さん。
自分の反対側にも誰かがいる。自分が幸せであることで誰かにしわ寄せがいって、もしかして苦しんでいるかもしれない。そうした痛みに気がつくことのできる感性を養いたいと、堀さんは願っている。
若者とともに行ってきた農作業も、「生かされている」ことに気づかせてくれるものだ。今後は、地域の方と若者とがさらに手を携え、農業を通じての地産地消の共同体をつくることができればと、堀さんはその夢を語ってくれた。
効率とスピードが重視される世の中で、繊細な感性をもって生きるとしたら、それは「生きづらい」ということになるのかもしれない。しかし東日本大震災以降、消費社会と競争原理に支配される生き方が必ずしも幸せをもたらさないことに、私たちは気づき始めている。彼らに学び、社会のものさしを超えた生き方を探っていきたいものだ。