仏教者の活動紹介
アイディアあふれる"わが街の和尚さん"―円東寺―
(ぴっぱら2015年3-4月号掲載)
東京都心から25㎞。千葉県の北西部に位置する流山市は、かつて江戸川や利根運河を利用した水運で栄えた街である。また豊富な水と名産の米を利用しての白みりん醸造など、古くから流通の便を生かして東京に豊かな"食"をもたらしてきた。
平成17年に都心と直結する鉄道、つくばエクスプレス線が開業してからは、通勤に便利なこの街に、市外からの移住者が急増している。駅前には商業施設も作られ、周辺には子ども連れの若い家族が目立つようになった。
「お寺の周りは、少し前まで"森"だったんですよ。野ウサギやキツネ、タヌキ、キジまで遊びにきたものです」と語るのは、つくばエクスプレス線流山おおたかの森駅から徒歩15分ほどのところにある、真言宗豊山派円東寺の住職、増田俊康さんだ。
賑やかな駅前を過ぎると、いたるところに建築途中の住宅が見られる。道路を拡張する大規模な工事も行われているということで、まさに町中が開発の真っ最中といった風情である。古くからこの土地を知る人にとっては、驚くばかりの変化に違いない。円東寺の檀信徒さんは、そのほとんどがこうした地元の方である。
増田さんは円東寺を場として、大人のための寺子屋(勉強会)や、地域交流のための縁日など、人々が集うことのできる催事を企画している。また、子ども会「のんのんクラブ」を通じて、子どもたちに教化の機会を提供している。
小規模なお寺である円東寺において、顔の見える関係を生かしたお寺づくりは、住職のアイディアと実行力、そして真摯な思いに支えられていた。
◆住職の「もうひとつの顔」
増田さんが円東寺の住職となったのは平成16年のこと。円東寺はここ数十年間、無住のお寺であり、僧侶である増田さんの叔父さんが管理し、檀務を行ってきた。
サラリーマンの家庭で育ち、子どもの頃にはお寺にさほど関心がなかったという増田さんは、大学も仏教系ではない一般大学に進学する。しかし、会社勤めに魅力を感じなかったこと、そして、物を書く仕事がしたいという希望をもっていた増田さんは、「お坊さんになればそれが叶うよ」と叔父さんに後押しされ、弟子入りを決心することになる。
お坊さんになった当初は、市内の別の場所に部屋を借り、お寺に通う日々を送っていた。地域に貢献できればと、師僧のすすめもあって市の青少年指導員を務め、夜回りの活動などを行った。
さまざまな場所に顔を出し、地域の方とつながりを深めていくうちに、増田さんのなかに「お寺をみんなが集まれる場所にしたい」という想いがふくらんでいった。
「それでは、何をしようか......」。ある日、お寺でマジックショーをしていた知り合いの住職を見て、想いは固まった。「そうだ、マジックをやろう」。
幼いころからマジックが好きで、小学生のころには同級生にも披露していたという増田さんは、早速、地元の「柏マジッククラブ」の門を叩く。ここでは、マジックだけでなく、バルーンアートやジャグリングの技を磨くきっかけも与えられた。何事にもとことん取り組んでしまうという増田さんは、今では、バルーンアートのコンテストでタイトルを獲るほどの腕前となった。
こうして、幼稚園や小学校、老人ホームなどに呼ばれ、現在では年間40〜50回のステージに出演している増田さん。バルーンで作った帽子をかぶり、音楽とともに派手な衣装で登場すると、子どもたちから「プリンコちゃーん」という声援が飛ぶ。
「プリースト(僧侶)」と名前の「俊康」で「プリンコちゃん」というのが、増田さんのもう一つの名前だ。もちろん、円東寺でも折々に披露されている。確かな技術ととぼけた語り口に、大人のファンも多い。
◆地元の方に教えられたこと
住職の趣味、という枠をはるかに超えてしまっているような増田さんの活動だが、もちろん「芸」だけには留まらない。「青少年補導員や小学校のPTAなど、地域の役職を引き受けたことで、地元の方のニーズや、地域に散見する問題にも気づくことができたのです」と、増田さんは語る。
円東寺の行事のうち、定期的に行われているものに「お寺ヨーガ(瞑想の会)」と「写経の会」がある。これも、地域の中でひきこもる若者や高齢者になんとか出てきてもらいたいと思い、始めたものだ。それぞれ月に一度、ヨーガは夜、写経は昼に実施されている。
なかにはインターネットで知って、遠い場所から足を運ぶ人もいる。ヨーガや写経そのものよりも、終わった後、みんなでお茶を飲んで交流する時間が実は一番大切なのだと、増田さんは微笑む。
定期的に集ってくる人で、仕事も家庭もすべて順調、という人は実はあまり多くない。増田さんのねらい通り、現代の「駆け込み寺」としての役割を、円東寺は担っているのだ。駆け込むと言えば、大人だけでなく、家出した顔見知りの中学生が夜半、実際に駆け込んできたこともあったそうだ。
人と人との関係性が希薄になっている現代、こうした「駆け込み寺」の需要は今後ますます大きくなることだろう。
自坊以外での活動としては、増田さんは現在、「自死・自殺に向き合う僧侶の会」に所属している。これは、宗派を超えた僧侶によるネットワークで、自死者の追悼法要や遺族のための分かち合いの会を行ったり、自死念慮を抱えた人からの、手紙による相談を受けたりするものだ。
ここへの参加のきっかけも、青少年補導員やお寺での活動を通じて、僧侶の役割について考えたことが大きかったと、増田さんは言う。
だからこそ、後輩の僧侶には「民生委員や消防団などの地域のお役への誘いは、絶対に断ったらダメだ」、「逆に、お坊さんなのにそういう依頼が来なかったらヤバいぞ」と言っていると、増田さんは笑う。
どんなにお経が上手なことよりも、大きなお寺であることよりも、みんなが大変だと思うような仕事を地道に行うこと――。お坊さんには何よりそうした気概が大切なのではないかと、増田さんは考えている。その行動こそが、周囲の方に信頼していただけることにつながってくるのだ。
「檀家さんや近所の方が助けてくださるのは、もしかしたら、多少の損得は顧みず"やろう"としているところを、見ていてくださっているからかもしれません」(増田さん)
◆問われる「お坊さんの人間力」
全国に7万6千か寺あるとも言われるお寺。それぞれの土地に地域性があり、お寺の数だけ状況は異なる。円東寺の地域においても、開発が進み街の活性化が期待される一方で、古くから住んでいる住民と新しく移住した人たちとが、スムーズに解け合うことができるのかは未知数であろう。
しかし「誰もが立ち寄れる居場所であり、人が交わる交差点のような場所にしたい」という増田さんの言葉通り、地域のなかでたとえ悩み苦しむ人が現れても、お寺の「場の力」と、地域の方々のためにという住職の「思いの力」によって、真の安心を提供していけるに違いない。
地味な仕事も率先して行うこと、人々のこころ穏やかな暮らしを願うこと――。笑顔の裏で精進を重ねる"わが街の和尚さん"は、地域の人と時を共にしながら、今日も道を求め続けている。