仏教者の活動紹介
地域の子ども福祉ステーション―社会福祉法人 大念仏寺社会事業団―
(ぴっぱら2014年11-12月号掲載)
商業や食文化のイメージが強い西の大都市、大阪。この街には、京都や奈良よりもお寺の数が多いと聞くと、意外に思われる方が多いかもしれない。大阪では、さまざまな規模のお寺が街にその個性を反映させ、独特の景観を築きながら人びとの信仰を集めている。
大阪市の東南に位置する平野区には、融通念仏宗の総本山である大念仏寺がある。ここは、平安時代末期に開かれた日本最初の念仏道場としても知られている。広大な境内には、東西約50メートル・南北約40メートルという、府下最大の木造建造物である本堂をはじめ、諸堂が静かな佇まいで参拝者を迎えている。また、菩薩に扮した僧侶らが練り歩く「万部おねり」などの宗教行事でも、地域の人びとに親しまれている。
そんな大念仏寺の境内の一角には、寺社建築とは異なった雰囲気の、地上7階建ての建物が存在する。約500坪の敷地に建てられているのがここ、「社会福祉法人大念仏寺社会事業団」である。
大念仏寺社会事業団には、さまざまな事情から生活支援を受ける母子のための施設をはじめ、保育所、夜間保育所、病後児保育施設、乳児院、児童自立援助ホーム、学童保育などが併設され、いわば子ども福祉の総合機関というべき場所となっている。保育所や幼稚園を運営する寺院は多々あるが、子ども福祉に特化した、これほどの規模の施設が設置されることは珍しい。
「親御さんや地域のニーズを受けていくうちに、年々、事業が広がっていきました」と語るのは、理事長の杉田善久さんだ。杉田さんは100人近い職員とともに、日々、子どもたちと向き合っている。
◆母子が憩える場を
大念仏寺社会事業団の前身は、昭和31年に建てられた「大念仏寺母子寮」にある。戦争で夫や父親を亡くした後ろ盾のない母子が急増していたことを懸念した同寺では、母子が精神的にも経済的にも生活の基盤を整えられるようにと、母子寮を設立した。設立当初の定員は20世帯。現在では、母子生活支援施設「ボ・ドーム(母・童・夢)大念仏」として、緊急一時保護を含む32世帯までの母子が暮らせるよう整えられている。
ボ・ドーム大念仏には、大阪市内だけではなく、各地の自治体から紹介された母子が身を寄せている。経済的困難を主な理由とする場合もあるが、最近では夫からの暴力や子どもへの虐待から逃れようと保護されるケースが多い。フィリピン、タイ、中国など、外国出身のお母さんも少なくない。
母子生活支援施設は、自立するための一時避難の場所であるため、多くの母子は2年程度で退所する。しかし、中には長期の入所となってしまう家族もいる。「お母さんも子どもも、こころに何らかの傷を負っていることが多いのです。一方的な自立を促すのではなく、精神的なケアと生活・就労支援を並行して行うことが大切なのです」と、施設長の野崎裕子さんは説明する。
「あのとき、ここで生活できてよかった」と、生活を建て直すことのできた家族が語ってくれるのが何より嬉しいという杉田さん。しかし一方で、かつて入所していた子どもが大人になり、再び母子家庭となって入所してくる場合もあるという。
入所するお母さんは、全般的に低学歴であることが多い。子どもの頃、困難を抱える家庭で育っていて、家庭を持ったとたんに再び同じような苦境に立たされてしまう「負の連鎖」が見られるのだという。施設では、臨床心理士など相談員を配して「いつでも話しにきてくださいね」とよびかけている。退所後のケアを含めて、できる限りの対応をしているそうだ。
生活の場である「母子室」は家庭毎に独立していて、それぞれキッチンや家具が備えられている「清潔なマンションの一室」といった風情である。
建物の中央には吹き抜けがあり、そこからの陽の光は、母子室の扉を明るく照らしている。子どもたちはここから学校や保育園に通い、小学生であれば母子室とは別の階にある学童保育(「大念仏子どもの家」)で時間を過ごすことができる。親子が安心して過ごせる環境が、ここにはあった。
◆地域の育児も応援―乳児院
母子寮と同様に古くから行われている事業としては、乳児院がある。乳児預かり所を前身とする「大念仏乳児院」では、病気の親や、事情により子どもの養育が難しい親、虐待が懸念される親などに代わって、生後1週間〜2歳くらいまでの子ども、最大25名までを預かることができる。
木のぬくもりが感じられる明るい室内をのぞいてみると、おもちゃで遊ぶあどけない子どもたちの姿があった。その無邪気な表情から、一人ひとりの複雑な事情を察することは難しい。しかし、「最近では親が薬物依存となって預けられる子どもも目立つようになった」「昔に比べて子どもの面会に来る親が少なくなっている」という具体的な話を聞くと、つらい現実が身近なこととして迫ってくる。時代によって、親が子どもを養育できない事情も少しずつ変わってくるのだろう。
ここでは長期の養育だけではなく、1日から7日間以内といった短期間、乳児を預かるショートステイ事業を行っている。また平成11年からは、病気の回復期のために保育所に通えない子どもを預かる、病後児のための保育も実現させた。ニーズの高かったこの病後児保育は、看護師も常駐していることから、地域のお母さんたちの心強いサポート事業となっている。
さらに、育児のことなどで困ったら、24時間、いつでも相談してくださいという相談の電話も受け付けているそうだ。子どもへの暴力、育児放棄、性的虐待などの報道を目にするたびに、「何とかしてあげられなかったのか」と、悔しい思いが募るという理事長の杉田さん。現場の方がたのこうした思いが、子ども福祉の新たな取り組みを生み出している。
◆助け合いの循環を
「本当は、うちみたいな施設があることが、おかしいんです」と語る杉田さん。家族がしっかりしていれば、施設なんてなくていい。でも、今の日本では家庭のあり方がどんどん壊されていっている。その原因のひとつには、日本人から信仰心が失われたことにあるのではないかと、杉田さんは懸念を抱いている。
いのちを大切にしよう、人を信じよう。自分だけでなく、人のために奉仕しよう......。親から子へ、子から孫へと受け継がれてきた大切な教えを皆で実践すれば、一人ひとりが関わり合い、助けあうことのできる社会となるに違いない。杉田さんが長年、顕著に感じているという入所者の深い孤独感も、周囲の人のほんの小さな働きかけによって癒すことができるのではないだろうか。
「そのうち、ここに高齢者のための施設もできればいいなと思っています。子どもから高齢者までが助け合う、そんな循環を地域のなかで実現できれば」(杉田さん)
大念仏寺は、はるか昔からこの地で、融通念仏のみ教えを人びとに伝えてきた。「融通」とは、溶け合い、和合するという意味であるそうだ。
ひとりのとなえる念仏は小さくても、その念仏はすべての人に恵みをもたらし、またすべての人の念仏がたった一人の人を救うものになる――。開創から900年を経てなお、その精神は実践され、多くの子どもと家族の笑顔を支えている。仏教者のあり方は何かということを今、多くの人が見直すときが来ているのかもしれない。