仏教者の活動紹介
アジアはこころで結ばれる
(ぴっぱら2014年7-8月号掲載)
第38回正力賞受賞者の活動 ―アジア仏教徒協会「ミャンマー子ども基金」―
「仏陀がお手伝いされているのですね」と、アジア仏教徒協会の副会長で曹洞宗本光寺の前住職、小島宗光さんは、ミャンマー人のスタッフから活動中に何度となく言われたそうだ。「こんなに嬉しいことはなかった」と、小島さんは当時を振り返って語る。
アジア仏教徒協会は、設立以来32年、ミャンマーを中心とするアジア地域で、戦没者の慰霊と、発展途上地域の衛生・医療・教育の分野で支援活動を行ってきた仏教者による団体だ。
海外支援を行う団体は、NPO、NGOを含めて国内に多数存在している。普段、そうした団体の活動内容を見聞きすることがあっても、遠く離れた異国の出来事をわが事のように感じ、思いをはせ続けることは容易ではない。しかし、その活動によっていのちをつないでいる人が、地球上に大勢存在することもまた事実なのだ。同会は、5000キロ離れたミャンマーとどのようにご縁を結び、関わりあうことになったのだろうか。
●はじまりは平和祈念から
アジア仏教徒協会は、佐賀県伊万里市を中心とした曹洞宗寺院の僧侶が作った「伊万里の文化を昂める会」を前身としている。青少年のための研修会や文化講演会などを行ってきたが、1970年代の終わりごろから、第二次世界大戦中に激戦地となった国々への慰霊法要が何度となく計画されるようになった。
たとえばミャンマーにおいては、連合軍との戦いの末、20万人もの日本兵が亡くなっている。そしてミャンマーへと送られた兵は、九州地方出身の人も多かったそうだ。「同じ町内の100人もの人がミャンマーで戦死した」という話もあり、現地への同行を申し出たり塔婆を託したりと、慰霊法要の話は、またたく間に地元へと広まっていった。
戦後60年が経った今、特に若い世代にとっては、「慰霊」という言葉自体があまりピンとこないかもしれない。しかし、戦争で親や家族を亡くしたり、戦争の爪あとを生々しく見つめてきたアジア仏教徒協会のメンバーにとっては、犠牲となった方々に追悼の祈りを捧げて、僧侶としてできる限りのことをしたいという思いは、共通のものだったという。
亡くなった人たちを弔い、恒久的な平和をつむぐにはどうしたらよいのか。ビルマ人の僧侶に相談したところ、パゴダ(仏塔)がよいのでは、との答えが返ってきた。熱心な仏教国であるミャンマーでは、パゴダに祈りを捧げることは日常的なことだという。日本と違って、死者のための読経をする習慣のないミャンマーで慰霊の火を絶やさないためにも、そして、両国が平和への祈りを捧げ続けるためにも、メッティーラという地にあるパゴダを、仏教国である両国が力を合わせて改修しようという方針となった。こうして、ミャンマーでの一回目の戦没者慰霊法要の翌年、アジア仏教徒協会が結成された。
以来、メンバーは寄付を募り、時に私財を投じながら、パゴダの改修建設に向けて奔走する日々を送った。会の設立から5年後となる1987年、ミャンマー中央部のメッティーラの地に、ついに、日本・ミャンマー両国民の力による、白く輝くパゴダが完成した。
●子どもたちに健康を、教育を
会の目的はいったんこれで果たされたかのようだったが、メンバーのこころには、別の思いが生まれていた。それは、この地を訪れるたびに感じる、ミャンマーの圧倒的な貧しさを何とかしたい、というものだった。
たとえ水道水であっても、浄化装置がないために水は緑に濁り、生活用水を汲む湖は、排水が流れ込むためひどく汚染されていた。それでも人々は、そうした水を口にするほかなかった。特に影響を受けていたのは幼い子どもたちで、当時の乳幼児の死亡率は、日本の100倍という状態だったそうだ。
そこで会では、浄水技術に詳しい知人や大学教員など、知る限りの協力者に依頼して、浄水器設置を目指すこととなった。完成した第1号機が寺院の境内に設置されたのは1996年のこと。以後、3機の浄水器がパゴダの建設されたメッティーラ市内に設置された。
水でさえもこうした状態にあった現地では、病気になっても、満足な医療が受けられるはずもなかった。
メンバーは、AMDA(アジア医師連絡協議会)の医師と接触し、どうすれば現地の人たちに衛生的な環境と医療を提供できるかということを相談したという。その結果、アジア仏教徒協会をはじめとする3つの支援団体が協力して、「ミャンマー・ヘルスプロジェクト」がスタートすることになる。
このプロジェクトは、水、医療、教育を三本柱に、現地の人たちの安全な生活を実現させようというもので、アジア仏教徒協会に特に委ねられたのは、現地の子どもたちの教育環境づくりだったそうだ。
現地では、お金がなくて学校へ通えない子どもたちも多い。メンバーが視察したのは、お寺を解放して子どもたちに勉強を教える、いわば昔の日本の寺子屋のようなところだった。アジア仏教徒協会の会長で曹洞宗西蓮寺前住職の茨木兆輝さんは、子どもたちの輝く瞳とその知識欲に感激したという。
会で初めて建設したのは、「菩提樹小学校」。若いお坊さんが先生となる、児童250人余りの学び舎だ。今日までに5校の学校が完成しているが、中には、曹洞宗大本山永平寺の寄贈による「永平寺総合小中学校」のように、ミャンマーの国内でも5指に入る大規模校も含まれる。
「子どもたちのプレゼントとして、絵の具やクレヨン、画用紙などを持っていったことがありました。どんな絵を描いたのかと楽しみに見てみると、画用紙の中に小さな枠が描かれ、その中に小さな絵が描いてあるのです。不思議に思って現地の先生に尋ねると、いままで、小さな紙しか与えられてこなかったので、大きな紙のままでは描けなかったのでしょう、と言われてしまいました」
これまで、のびのびと絵を描くことができなかったミャンマーの子どもたちを不憫に思うと同時に、なんとかこの国の子どもたちが健康に育ち、自分の可能性を伸ばす環境を作ってあげられたらという思いが強まったと、茨木さんは語る。また茨木さんは、1個の100円ライターが子どもの家族1週間分の生活費になったということで、彼の国へ渡る時、いつも大量の100円ライターを持っていったそうだ。
●アジアの架け橋として
曹洞宗の僧侶が中心となって結成したアジア仏教徒協会は、今日では臨済・真言各派、浄土宗、浄土真宗本願寺派、正法事門法華宗など、宗派を超えた賛同者を得て活動の場を広げている。2005年には、「ミャンマー子ども基金」を設立。ミャンマーの子どもたちが進学したり、就業のための知識や技術を学んだりするための支援基金が提供されている。今では「アジアファンド」として、ミャンマーだけではなく、他国の子どもたちを支援するための準備も行われている。
また10年ほど前からは、韓国、曹渓宗の外郭団体とともに、青少年を交互に派遣してお寺での滞在やホームステイをしてもらう「日韓青少年グローバルリーダーキャンプ」も行われ、若者たちの交流と研修の場になっている。
「私たちは『アジア仏教徒協会』と、名前だけは大きい団体なのです」と小島さんは笑うが、仏教者としての想いを胸に、草の根的な取り組みを続けてきたからこそ、息の長い活動が実現したのだろう。今後は、子どもの先天性の心臓疾患などを治療したり、ミャンマー人の専門医を育てたりするプロジェクトを支援したいそうだ。
草創期からのメンバーは高齢となり、故人となった方も多い。しかしその信念は、若手のメンバーにも連綿と受け継がれている。「アジアはこころで結ばれる」。多くの人がそう思い、行動することを願ってやまない。