仏教者の活動紹介

仏の子どもを育むために

(ぴっぱら2013年11-12月号掲載)

第37回正力賞受賞者の活動 ―浄土真宗本願寺派 教専寺住職 今里晃玄さん―

風光明媚な地として知られる瀬戸内海の沿岸地方。降雨量が少なく年間を通じて温暖なこの地域は、レモンやオレンジ、オリーブといった南国の農産物の産地として知られている。

またこうした気候は、古くからこの地に塩づくりの産業を発展させた。香川県坂出市の一帯にも、江戸時代には広大な入り浜式塩田が造成されている。効率の良い製塩法に変わった現在でも、塩づくりは坂出市の重要な産業のひとつとなっている。

「ここでは昔から、多くの人が塩田で働いていました。小さな子どもを見る人がいなかったために、託児所代わりにお寺が子どもを集めて、面倒を見ていたのでしょう」
浄土真宗本願寺派の寺院、教専寺の住職である今里晃玄さんはそう語る。JR坂出駅からほど近い、静かな住宅街の一角に教専寺はあった。

晃玄さんが教専寺日曜学校の指導者となったのは、今から50年以上も前のこと。以来、寺族や門信徒と協力をしながら、多くの地元の子どもたちを育んできた。日曜学校として登録されたのは大正時代からということだが、晃玄さんが祖母に聞いたという話によると、教専寺はもっと以前から子どもたちの憩いの場であり、教化の場であったという。

●毎週という「安心感」

教専寺では、お正月などを除いては年間約50回、毎週日曜学校を開催している。現在の正式なメンバーは小学生40人ほどだ。
子どもたちは朝9時半にお寺に集まり、お経をあげて仏さまのお話を聞き、ゲームや紙芝居、ビデオ鑑賞を楽しんだり、ドッジボールで汗を流したりしながら、お昼までの時間を過ごしている。

おやつの時間には、夏はアイスキャンディー、冬はたいやき......と、子どもたちは用意されたお菓子を、目をキラキラさせながらほおばるそうだ。
「なにせ毎週でしょう。おやつを決めるだけでもえらいこと(大変)です」と、晃玄さんは笑顔で語る。

最近では日曜学校の後、教専寺に嫁ぎ若坊守となったお嫁さんが得意の勉強を子どもたちに教えている。
お寺という宗教的な空間の中で背筋が伸びるような瞬間を味わい、法話で心を耕し、その上勉強まで教えてもらえるとは、遠くからでも通わせたいと考える保護者が多いのも頷ける。

教化事業や社会事業を行うお寺が圧倒的少数派となってしまっている現在、日曜学校を毎週開催している教専寺のようなお寺は、全国でも稀有な存在だ。
「日曜日に、お寺は必ず日曜学校をやっている、ということを子どもたちはよくわかっています。だから卒業生であっても、日曜は特に気兼ねなくお寺に寄ることができるのです。『今週はテストがあったよ』なんていう何気ない話をしに来てくれたり、悩みを打ち明けてくれたりしますね」と晃玄さん。顔を合わせ、言葉を交わす頻度が高いほどお寺が身近な存在となり、安心感が生まれる。こうしたことが、毎週日曜学校を欠かさず聞く一つの理由となっている。

最近は離婚家庭の子どもも増えていて、胸が痛いという晃玄さん。そうした保護者には、毎週で大変かもしれないけれど、欠かさず子どもをお寺に通わせてあげてよと、お願いするそうだ。
「ここにくれば友だちもいて寂しくないし、大切なことを私たちができるかぎり教えてあげられる。子どもの第2の拠り所になれば」

●「仏さまが見てるで」

ある日、日曜学校で兄弟喧嘩が始まったときのこと。パチン、と兄が弟をたたいたら、弟が「兄ちゃん、仏さまが見てるで」と一言。そう言われた兄は、反論するかと思いきや、「ああそうや、ごめん、ごめん」と謝った――そんなエピソードを、晃玄さんは教えてくれた。こうした子どもたちの姿を見る度に、教化の大切さを再認識するそうだ。

「豊かな世の中になり、目に見えるものしか信じられないという人が増えています。また、仏さまのお話をしても、『そんなものがあるわけがない』と、平気で言われてしまうような時代です。まずは私たち僧侶が、教化に取り組もうとする強い意志を持たねばなりません。小さい頃に仏さまとのご縁を結んだ子は、大切な教えを疑いなく吸収し、人格の土台を築くことができます。『自分は仏さまといつも一緒だ』という安心感、そして『仏さまはいつも自分をご覧になっているから、よい行いを心がけよう』という気持ちを、自然に育むことができるのです」

晃玄さんの思いは、青年僧侶の頃から変わらない。30代の頃、子ども教化に取り組むお寺が周囲に少なかったことから「これはいけない」と、仲間の僧侶とともに小さな車を運転して四国中の同宗派のお寺を巡り、日曜学校の開設をお願いしていったという。

「今思えば、若い者が情熱だけでよくやったもんです。『がんばっとるな』と言われたり『ヒマやなぁ』と言われたり......お寺さんの反応はいろいろでしたが、戦争がきっかけで日曜学校を休止してしまったところも多かったので、『懐かしいなあ。せっかくだから始めようか』と言われた時は嬉しかったですね」

こうした働きかけが実を結び、四国4県の同宗派の寺院のうち、50件ほどが日曜学校を始動、または再始動してくれたそうだ。このことは、四国の教区における浄土真宗本願寺派の日曜学校の連盟「少年連盟」を再結成することにつながり、以来、下火になっていた子ども教化の連帯の輪を、全国に広げていく契機ともなった。

また教専寺では、小学1年生から6年生までの間に、200回以上日曜学校に通ってきた子どもたちには、「参拝旅行へのご招待」というお寺からのご褒美を用
意している。

宗派の本山である京都の西本願寺に参拝できるのは、毎年3、4人の子どもたち。「仏の子どもが育ちました」と、子どもたちとともにご報告とお礼をして、子どもたちの一番食べたいものを食べ、行きたいところに行って小学生最後の思い出を作るのだそうだ。「太秦の映画村に、保津川下りに......思えばいろんなところに行きました」と、幸せそうに微笑む晃玄さん。その表情からは教化の根本は愛情であることを、改めて伺い知ることができる。

子ども教化への情熱をもって損得抜きに行動する晃玄さんの姿は、お寺と子ども教化、またはお寺と社会事業について考えるとき、一つのヒントを私たちに与えてくれる。

●目指すべき慈悲行とは

たとえば、教専寺日曜学校の会費は月々100円だという。経費は、ほとんどがお寺の持ち出しである。そして毎週、日曜日の半日以上を日曜学校の活動に捧げ、事前の準備としては、お話もプログラムも、おやつについても考え、用意しなくてはならない。

これを効率と経済性だけを基準として考えるなら、やらないですむなら「得」だし「楽」だとも言える。しかし、目に見える利益を度外視して取り組むことは、仏さまの価値観を掲げるお寺だからこそできることだ。「教化についていろいろなことを言う人がいますが、『やれる者だけがやる』これだけです」と、晃玄さんは断言する。

お寺のありかたが多様化する今、それぞれのお寺にとって、今後進むべき道が厳しく問われている。東日本大震災の際には、被災された方が極限状況にあっても助け合い、譲り合う姿に世界中から賞賛が寄せられたとの報道があった。古からの仏教国である日本では、和合と共生の教えが連綿と伝え継がれてきたのだろう。

これからも、決してその教えの灯を絶やしてはいけない。菩提心を持って子どもたちを我慢強く導くこと。これこそが、お寺が目指すべき最高の慈悲行であると、晃玄さんの後姿は私たちに教えてくれる。

耳を傾け、全身で寄り添うこと 子どもたちに第2のふるさとを ―児童養護施設 手まり学園