仏教者の活動紹介
今ある縁を支え、新たな縁を結ぶ ―社会慈業委員会 ひとさじの会―
(ぴっぱら2012年11-12月号掲載)
第36回正力賞受賞者の活動〈青年奨励賞〉
東京には、大阪の釜ヶ崎、横浜の寿町と並んで日本の三大寄せ場と呼ばれている労働者の町、通称、山谷という地域がある。建設ラッシュに沸いた高度経済成長期には、この地に全国から労働者が集まり、ビルを建て、高速道路を作り、復興する東京を支えていた。しかし、それから半世紀が経とうとしている現在の山谷に、かつての活況を想像することは難しい。
●活動の契機とは
ひとさじの会は、生活困窮状態にある人の支援を行う団体として、2009年、若手僧侶によって設立された。会では月に2回、お寺の境内に集まっておにぎりを作り、路上生活者に配って歩く、炊き出しと夜回りの活動を中心に行っている。僧侶が中心だったこの会も、現在では学生や主婦、大学教員、サラリーマン、元路上生活者など多彩な顔ぶれにより支えられている。また大学のボランティアセンターからの要請を受け、大学生ら若者を積極的にボランティアとして受け入れている。
路上生活者を「おじさん」と呼ぶ、ひとさじの会事務局長の吉水岳彦さんは、山谷地区にある浄土宗光照院の副住職。会設立のきっかけは、生活困窮者の支援に取り組む団体の人に、路上生活者や身寄りの無い方たちが入るお墓を作って弔いたいが、どうしたらよいかという相談を受けたことだった。
路上で生活する人たちは亡くなると、火葬場の空き時間に荼毘に付され、弔われることもなくどこかの無縁墓に納められる。そんな現状に心を痛めた団体関係者と僧侶たちは、光照院に「結の墓」と名づけられた共同墓を完成させた。
これを契機に、自らも支援団体とともに炊き出しや夜回りに参加するようになった吉水さんたちは、現場で多くの路上生活者と触れ合ううちに、自分たちが仏教を学び始めた時に教わった「無常」や「苦」というものを、机上ではなく現実のものとして知ることとなった。
「山谷で生まれ育った私にとって、おじさんたちの存在は普通のことでした。小学生のときは、子どもたちを見ようと、小学校の校庭のフェンスに鈴なりになっているおじさんたちがよくいました。今思えば、故郷に子どもを残してきていた人も多く、懐かしかったのでしょう。幸せだった自分の子ども時代を思い出していたのかもしれません」
地域には、今も日雇い労働者のための簡易宿泊所が多く立ち並ぶ。しかし、歳をとったり病気になり働けなくなったりして、宿泊所に入れず路上に出る人は後を絶たない。
「おじさんたちは、臭いとか汚いとか言われますが、本人たちもつらいんです。お風呂にだって入りたいんです。彼らは怠けていると思われていますが、多くの人はできる仕事を一生懸命しています。こうした人たちを排除するのではなく、つらさを抱えているのであれば少しでも寄り添いたいと考えました。阿弥陀さまの目から見れば、みんな失敗もするし悪いこともする、同じ弱い人間なんです」
●現実の「苦」に接して
活動日には、境内にお昼ごろから人が集まってくる。お米を研ぐ人、洗い物をする人、他のメンバーにお茶を入れてあげる人など、手の足りないところを見つけてはそれぞれの仕事をこなしていく。初参加の人がいれば一人ぼっちにならないよう、誰かが声をかけ、話の輪に加われるように気を配る。
10代の若者から高齢者まで、年齢も属性もまったく違う人たちが和気あいあいと作業をしていく様子は、知らない人が見たら、一体何の集まりだろうと不思議に思うことだろう。こうして出来た200個もの特大おにぎりは、参加者一同でお経をあげ法要をした後、山谷や浅草周辺で手分けして配られる。
活動開始から3年が経ち、すっかり顔見知りとなった路上生活者も少なくない。「おう、いつもありがとう」と声をかけてくれる人、「隣のやつの分ももらっといていいかな?」と、不在の仲間を気遣う人も。身体の調子が悪いと聞けば、風邪薬や胃腸薬など、常備している薬から合うものを差し上げる。困りごとや相談があれば話を聞き、必要があれば専門機関につなぐこともある。順調に見える夜回りの活動だが、時にはつらい出来事に遭遇することもある。
公園を回っていたある日、吐血をして、明らかに具合の悪そうな人がいたそうだ。看護師のメンバーが、すぐに危険な状態であると判断、救急車を呼んだが、その人は「絶対に病院なんかに行きたくない、放っておいてくれ、あっちへ行ってくれ」との一点張りだった。救急車が行ってしまってからも、しばらく周りにつきそっていたメンバーだったが、本人の意志は強く、仕方なく一旦帰ることにした。翌朝すぐに現場へと向かったメンバーは、早朝にその人が息を引き取ったことを、仲間の路上生活者から聞かされたという。
「私たちは、本当は最期までその人に付き添っているべきだったのではないでしょうか。今も、答えは出ていません。その方にとって、果たしてどうするのが最善だったのか、メンバーとその後も話しています」と吉水さん。どうしようもないことにぶつかるほどに、仏教者として謙虚でなければならないという思いが深まっていく。
●支え合えることを喜ぼう
ひとさじの会は路上生活者の支援だけでなく、東日本大震災では、震災発生直後から寺院や檀信徒に支援物資の提供を呼びかけ、他団体の協力を得ながら食料や物資の輸送を行ってきた。また、全青協などとも協働し、現地での炊き出しや子ども会など、被災した方のこころに寄り添う活動も行っている。
また今年からは、岩手県の大船渡市や陸前高田市一帯の気仙地域で、地元の方のこころの拠り所である観音霊場を再興させようという、被災地での新たなプロジェクトもスタートさせた。
「私たちの会では、大きなことをしようとは決して考えていません。また、生活困窮者支援にしても被災地での活動にしても、大上段から『救おう』とするものでもなければ、無力だからとつらい状態の人に何もしないのでもありません。今あるご縁を支え、新たなご縁を結び、私たちも互いに支え合えるご縁であることをともに喜びたいのです」
炊き出し夜回りに参加したボランティアの人数は、のべ1000人を超えた。会が大切にしている等目線の姿勢が、支援者の側にも心地よさを感じさせているような気がしてならない。助け合い、学び合いながら社会を過ごしやすいものにしていこうという真摯な思いは、僧侶や一般の別なく、多くの人に社会活動への一歩を踏み出す勇気を与えている。会の活動は、まだ始まったばかりだ。
●学生ボランティアの声●
淑徳短期大学こども学科 佐藤綾香さん
路上生活者の方の中で1番長くお話しをした人が1人いました。その方はベンチに座っていました。おにぎりやお茶を渡すととても喜んでくれていました。見た目は本当に普通のおじさんで服装もしっかりしていました。
ひざをついて話していると、その方は私たち2人の顔をみて「かわいい顔してるねぇ〜AKBにいそうだよ。なかなか人と話す機会もないからさ、ちょっと聞きたいことがあるんだけど...最近高校生たちに石を投げつけられてね...そういうことよくあるんだけど、もし君たちが僕と同じ立場だったらどうする?仕返しってしてもいいのかい?」と言われました。
はじめに答えたのはNさん。「私は仕返ししません。もししたら、今度はもっともっと仲間をつれて倍返しされるかもしれないから。それに仕返ししたら高校生と同じレベルになっちゃう。とにかく悪循環だと思います」と言っていました。
まさか質問されるなんて思ってもなくて私はどうしようかと考えている間、Nさんはスラスラ答えてすごいと思いました。それに私も同じような考えをまとめていたのでまたどうしようと悩んでしまいました。私の番になって思いきって素直な気持ちを言いました。
「私だったら...きっと泣いちゃう。悲しくて辛くて泣いちゃうと思います」
こんな答えでいいのかなあと不安でしたが、その方は、うんうんうなずきながら聞いてくれました。そして「そっかぁ〜泣いちゃうよね。そうだよね、悲しいときは泣いた方がいいよね。どうもありがとう」と逆にお礼を言われました。うまく伝えられなかったけど、素直な気持ちを言えてよかったです。
ニュースでも路上生活者をおそった事件があり、心苦しいものばかりで、その度あのおじさんを思い出します。関われてよかったです。