仏教者の活動紹介
出会い・ふれあい・学びあい
(ぴっぱら2010年9-10月号掲載)
第34回正力賞受賞者の活動 ―真言宗智山派大智院住職 長谷川実彰さん―
朝8時、大智院では鐘の合図とともに、子どもたちのお勤めの声が響いた。般若心経をとなえる子どもたちは、どの子も真剣な面持ちだ。「大智院おやくそく!」大智院住職の長谷川実彰さんの大きな声が飛ぶと、「明るいあいさつげんきなへんじ」「きたときよりもうつくしく」「よくかんがえ、すすんで学ぶ」と、子どもたちが手話を交えて唱和した。
●80年を迎えた大智院寺子屋
愛知県知多市。風光明媚な知多半島の中ほどにあるこの街は、名古屋市内から電車で30分ほどのところにある。知多半島は、その昔、弘法大師が東国ご巡錫の途中に上陸された聖地であるとされ、知多四国八十八ヶ所霊場として知られている。ここ大智院も、第71番目の霊場として巡拝者を迎え入れている。
また境内には、盲目の老翁が一心におすがりしたところ、目が見えるようになったということから、盲目者が残しためがねを掛けておられる身代大師、通称「めがね弘法」がまつられて、古くから人びとの信仰を集めてきた。
そんな大智院の寺子屋事業は、今年でちょうど80年を迎えた。地元の子どもを対象に開いた農繁期の託児所を始まりとして、昭和6年、先々代住職の時代に始まった。長谷川さんが寺子屋を引き継いだのは、大正大学に入学した昭和41年のこと。大学では児童研究部に所属し、人形劇レクダンス、ゲームなどを、大勢の仲間とともに学んできた。青少年育成の奥深さとやりがいを感じた長谷川さんは、子ども会指導者やジュニアリーダーの研修で講師を務めるほか、子ども会を全国に広げる活動にも参画するなど、長年、数々の青少年教化事業に携わってきた。
さまざまな試みを経て、夏休みの寺子屋という現在の形に落ち着いたのは平成9年のこと。子どものころをお寺で過ごした大人たちから、子どもたちを「お寺で学ばせ、遊ばせたい」という要望を得たことがきっかけとなった。
●多彩な体験的プログラム
夏休みの寺子屋は5日間。朝の8時に集まり、11時ごろには解散となる。子どもたちと集中的にふれあえる機会を生かし、あいさつや立ち居振る舞いといった礼儀作法に始まり、人と支えあって生きることの素晴らしさや命の尊さなどを、法話や体験プログラムを通じて子どもたちに伝えている。
対象は小学生が中心。はじめは寺子屋の案内状を作って地域の人びとや学校で配って声かけをしていったそうだが、今では告知をすると、毎年参加している常連組も含め、定員の100名はあっという間埋まってしまう。今年も近隣の小学校7校から、総勢117人が参加した。大広間いっぱいに集っている子どもたちの姿を見ると、静かなこの街の、いったいどこからこんなに大勢の子どもたちが集まってきたのだろうと、不思議に思ってしまう。
子どもたちの傍らには、色とりどりの風呂敷包みが置かれている。キャラクターのついたものがあれば、昔ながらの紫色のちぢみ織のものと千差万別だ。
「風呂敷は日本の伝統的な用具です。風呂敷を使うことで、私たち祖先の知恵とその素晴らしさを知り、さらに、『包む・結ぶ』という動作を繰り返すことによって、子どもたちの手先も器用になってほしいと考えています」長谷川さんは参加する子どもたちに風呂敷を用意させ、開期中は筆記用具などの持ち物をこれに包んで通わせている。
「こうやって包むと外れにくいよ」子どもたちに使い方を尋ねると、誇らしげに早速実演してみせてくれた。カラフルな自分だけの風呂敷は、またカバンとは違った愛着を生み出しているようだ。夏休みが終ったあとも、家族や友だちに包み方を披露している子どもたちの姿が目に浮かぶ。体験的な学びの楽しさは、こんなところからも子どもたちに伝わっている。
寺子屋では、こうした「体験」をとても大切にしている。地元の警察にお願いする夏休みの安全指導をはじめ、科学遊びや工作、ゲストのお話会、ミニコンサートなど、多彩なプログラムが用意されているのは、多くの人とふれあい、その人から有形無形の何かを吸収してほしいとの願いからだ。
また、歳の離れた子どもたちが出会うことの少ない昨今、積極的に異年齢の小集団での活動を取り入れ、協力やいたわりの心を学ぶよう工夫されている。
●出会いこそが教育
寺子屋の運営には、毎年20人ほどのスタッフが関わる。保護者や近隣の人たちをはじめ、小学校の先生、大学教授、民生児童委員、樹木医と、その顔ぶれはさまざまだ。
大勢の子どもたちが集まる寺子屋で、スタッフは安全を見守るのはもちろん、子どもたちにきめ細かく声を掛け、時には注意を促すなど、指導の面でも大きな役割を果たしている。
「住職さんに声を掛けられて、昨年からお手伝いしているの」と話す女性は、早朝からかけつけ、朝の出欠をとっていた。子どもたちにとってはおばあちゃんの歳にあたるその女性は、子どもたちが可愛くて、毎日楽しいと、工作に励む子どもたちを眺めて目を細めた。
スタッフとの打ち合わせや反省会は、毎日行われている。寺子屋開催の前日には大智院に集い、指導者研修会を行って注意事項などを確認するほか、実際にどのプログラムを行っていくのかを、話し合いながら決めていく。長谷川さんは、残念ながら今年「不採用」となった、段ボールいっぱいの工作の試作品の山をこっそり見せてくれた。参加する子どもたちは、本当に幸せである。
また、子どもの健全な育ちのためには、保護者への働きかけが不可欠であると考える長谷川さんは、寺子屋の開期中に「保護者の集い」も設けている。
そこでは寺子屋の趣旨を説明するほか、子育てやしつけなどについても膝を交えて話し合う。「わが子を育てるだけが子育てではありません、周りの子にも目を向け、互いに関わりあうことでどのように成長しているかを見守ってください」と、毎回15〜20人ほどの保護者に語りかける。
「出会いこそが教育である」と考える長谷川さんは、保護者にも寺子屋への積極的な参加を呼びかけている。大勢の人たちのあたたかいまなざしがあってこそ、子どもは安心してのびのびと育つことができる。同時に、この活動を通じて大人たち自身も成長する機会にしてもらえたらと考えている。
家で待つ保護者に対しても、開期中は毎日、その日の出来事を記した「寺子屋通信」を発行する。子どもたちが帰るときに手渡しをするため、寺子屋と同時進行で制作は大忙しだ。かつて小学校教諭を務めていた長谷川さんならではのきめ細やかな心づかい。寺子屋と家庭を結ぶ通信を、子どもたちは毎日大切に持ち帰っている。
●今こそ、宗教教育の視点を
作業以外の時間には、いつも誰かしらが長谷川さんにまとわりついている。楽しいお話で子どもたちを笑わせる長谷川さんだが、甘い顔ばかりではない。「コラ!」と注意を受けげんこつのまねをされると、長谷川さんの〝本気〞を感じた子どもたちはどきどきするが、反面、心なしか嬉しそうでもある。長谷川さんと子どもたちの間には、親に対するのとはまた違った緊張感、そして信頼感があるようだ。学校の先生たちが寺子屋をよく見学に訪れる、というのもおおいにうなずける。
長年にわたり受け継がれてきたこうした活動は、「お寺だからこそできた」という。「道徳教育では、人に迷惑をかけてはいけない、と教えますが、宗教教育はというと、『人は迷惑をかけながら生きているんだ、それを自覚しなさい』と教えます」今こそ、宗教教育の視点が大切ではないでしょうか、と長谷川さん。「最初の一歩がなければ、その先もない」と、地域と手を携えて教化をすすめるその姿勢に、宗教者としてのあるべき姿を見ることができた。