仏教者の活動紹介

共に生き、共に学ぶ ―シャンティ国際ボランティア会―

(ぴっぱら2006年9月号掲載)

教育はこころの糧

決して遠い過去の話ではない。'70年代後半、東西冷戦の表舞台となったカンボジアでは、ポルポト主導のもと、僧侶を含む知識人や反政府関係者の弾圧、そして大量虐殺が行なわれた。内戦が激化するにつれ、多くの人びとが隣国タイやベトナムへ逃れ、周囲には大規模な難民キャンプが形成されることになる。
1980年、過酷な生活環境にある難民の人びとを救済するため、曹洞宗内部の組織として「曹洞宗東南アジア難民救済会議」が発足した。会議に参加した青年僧侶や主婦、学生ボランティアはさっそく支援のために難民キャンプへと赴いた。しかし、当時の日本において「国際協力」という考えはいまだ市民からは遠い存在であった。また、現地ではすでに他の団体、国際機関、NGOが救援活動を開始していたのである。 ボランティアの人びとはいざキャンプに入ったものの、経験・ノウハウの未熟さから「いったい自分たちに何ができるのか」という課題に直面してしまったという。
最低限いのちを繋ぎ止められる環境作り、そういった基本的なニーズに対する支援は欧米をはじめとする国際機関やNGOが行なってきた。そこで、他の団体が"必要と感じながらも手が回らない活動"――伝統文化支援と教育支援に着目。現地に赴いたボランティアを中心に任意団体として「曹洞宗ボランティア会(SVA)」が結成された。
「食物を体の糧とするならば、教育はこころの糧となります」そう話すのは、SVA元緊急救援室室長で、現在は国内事業を担当する関尚士さん。
教団から離れ、任意団体として再出発したSVA。長期化することが予想される難民キャンプの中でも人としての尊厳を見失わずに生きていけるようにするにはどうしたらいいか。キャンプの中で生まれ育つ次世代の子どもたちを、両親や祖父母が誇りを持って育んでいけるような環境作りとアイデンティティーの継承を目指して、「絵本~読み聞かせ~図書館活動」が第一歩を踏みだした。

活動の連鎖

現在SVAではカンボジアに留まらず、タイ・ラオス・アフガニスタン・パキスタンといったアジアの広い範囲でさまざまな活動を展開する。図書館事業や学校建設事業、国際交流に人材育成事業など、それぞれの国に合った形でプロジェクト実施している。しかし、カンボジアから始まった伝統文化・教育支援という基本理念が揺らぐことはない。それを根に、SVAが今まで行なってきた取り組みはすべてが繋がりあっているという。図書館活動ひとつとってもそうだ。
現地に絵本を届けるためには、絵本を生み出す作家の育成から、子どもたちに読み聞かせる先生の訓練、図書館の運営、それらを支えるサポーターの存在すべてが繋がることではじめて支援活動となる。
そもそも"支援"とは、一方的に受けたり、与えたりするものではない、共に問題と向かい合いながら何をすべきかを考え、相互に作用し合うこと――。
関さんは言う。「SVAだからこそできること、それは運動体としての役割です。支援活動を通じて、ある時は日本社会にメッセージを投げかけ、またある時はそれを社会化させることで、直面している問題や課題を含めた社会のうねりを作る。それは海外支援活動に集約されるのではなく、"支援"活動の連鎖という大きな流れの中で、日本とアジアの接点を作る黒子のような役割です」

こころに帰るもの

運動体としての役割を担うSVAの活動は、海外だけにとどまらない。SVAでは、11年前、阪神淡路大震災を契機に設置された緊急救援事業として、昨年三宅島島民帰島支援活動を行った。
2000年、島民が待ち望んだ全島民非難指示が解除され、島民の帰島が始まった。有毒の火山性ガスが充満する中でも、帰島を望む高齢者は予想以上に多かった。どんな環境にあったとしても、三宅の風を感じたい。想像を遥かに超える故郷への思い。日常生活に占める地縁・血縁の重さから何が見出せるのか。「支援」活動を通じて、常に自分のこころに問われるものがあるという。
「災害時に現れる弊害は、日常世界の縮図でもあるんです」と、関さんは言う。
昨今、日本社会では地域コミュニティの崩壊によって、孤独に追いやられるお年寄りや、子どもたちが犯罪に巻き込まれる事件が急増している。特に子どもの危機に対して、その解決策として、大人は子どもを守るというもっともな理由を掲げ、登下校中でも子どもたちを監視するようになった。それでは根本的な解決にはならないと関さんは苦言を呈す。
「登下校の間は、子どもが親の目を離れ、子どもたちだけで冒険できる貴重な時間です。子どもはその冒険の中で、多くの失敗・悪戯をしながら成長していくんです」
大人ではなく子どもたちを中心として、自然に防犯の基礎となる住民組織を作るにはどうしたらいいか。その新しい切り口での試みとして「防災寺子屋」を始めた。
町のどの場所に防災施設や避難場所があるか、地域住民も一緒に町歩きをすることで、人の和、子どもを守る町の和を生み出していけるよう働きかけを行っている。
SVAが活動拠点とするカンボジアやラオスなどでは、子どもたちは、学びたくても学べない、学校に通いたくても通えないという物理的に抑圧された環境にある。逆に日本では、学べる環境にあるはずなのに学校に行けない不登校の子どもが増えている。
アジアと日本の子どもたち、互いが抱える問題を共に向かい合いながら、互いのこころを橋渡しする。その活動の結集とも言えるのが「アジア子ども文化祭」だ。そこには、日本を含むアジアの子どもたちが寝食を共にし、相互交流を深める舞台がある。それはまさに、SVAが掲げる「共に生き、共に学ぶ」活動といえるだろう。

宗派を超えて

現在は宗教、宗派を問わない団体であるSVA。そこで、あえて宗教者とはどのような役割を担えるのかを関さんに聞いてみた。すると、若者が自分を見失いやすい昨今、彼らが自身の存在意義を見出す可能性を示唆してほしいとのこと。さらに、若者がこころの葛藤の中で救いを求める声を受け止める立場として宗教者に期待を持ちたいという。
「宗教者には、生きた人にどれだけ向き合えるのかが求められていると思います。現在、寺院は生き残りかけた危機的状況にあると思います。この危機感を好機と捉え、社会へメッセージを発信する立場として、社会のうねりを作る旗振り役として積極的に活動の輪を広げていってほしいと思います」
国境や伝統、文化をも越えたもの、それは時として絵本であり、時として人であった。人それぞれが担う役割を、伝え、繋いでいくことで生まれるうねりの中で、自分は何ができるのか。自分はそのうねりの中でしっかり立っていることができているのか。今一度自分の足元に目を向けたいものである。

(ぴっぱら2006年9月号掲載)
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