仏教者の活動紹介

境界を乗り越えて平和を築く ―平和を学び・考え・願う青年仏教者の集い―

(ぴっぱら2006年4月号掲載)

ゆるやかに集うサンガ

時には都心の寺院に、時にはネット上に集っては語り合われる仏教者の集まりがある。宗派も立場も世代も越えた人々の集い。共通するのは、仏教への思いと、平和を願うこころだ。
世界中が震えた2001年9月11日の同時多発テロ。それから約半年後の2002年3月19日、アメリカはテロの首謀者捜索のためとして、イラクへの攻撃を開始した。世界中のさまざまな立場の市民が、それぞれの思いを胸に、「ブッシュ大統領、どうか攻撃しないでくれ」「争いは争いを解決しない」と訴え続けていたにもかかわらず――。
日本でも、大勢の市民の手で反戦・非戦を訴える集会が開かれ、3万人とも5万人とも言われる人々がピースウォークに参加するなど、平和と対話を願う声が強く街中に響いていた。
その中には、自らの宗教的信念に基づいて平和を訴える人々もいたことだろう。どんな宗教も、争いを推奨してはいないのだから。決して目立つほどではなく、また目立とうともしていなかったけれど、争いを厭い、平和を願う宗教者は大勢いたはずだ。折りしも攻撃開始はお彼岸の時期。仏教に思いを寄せる人々も、何かをせずにはいられないと行動を起こし始めていた。
そういった仏教者の中から、アーユス仏教国際協力ネットワークと全青協の関係者を中心に、「とにかくまずはみんなで行動しよう」と集ったのが、「平和を学び・考え・願う青年仏教者の集い(平仏集)」である。宗派や立場にかかわらず、さまざまな人が参加した。伝統的な宗派の寺院に属する僧侶もいれば、宗派や組織の枠を越え、ただ仏教の平和的な思想に共感して参加した人もいる。イラクへの攻撃を憂い、平和を願って集結したこの集いは、その目的ゆえに、何ら格式ばった組織も規則もなく、ただほとけの教えと平和を願うこころだけでつながった、現代のサンガとなったのだった。

イラク攻撃に対する行動

イラク攻撃反対の意思を表明し、何よりも「戦火に苦しむ人々の思いを少しでも共有したい」という思いで、攻撃開始直後からまず始まったのが、リレー断食だった。
参加者1人ひとりが、一週間ないし3日間ずつ交代で、一切の食物を摂らずに生活する。この行動は、参加者それぞれに、毎日当たり前に食事ができるありがたさや、それをもたらす平和の大切さを実感させ、また、イラクだけでなく世界各地で戦禍や飢餓状態にある人々の苦しみに、少しでも寄り添おうとするこころを与えてくれたという。
ブッシュ大統領が5月1日に戦闘終結を宣言したことで、5月末でリレー断食はいったん終了する。その後も泥沼化していくイラク情勢に、平仏集の参加者の中から、「なぜこんなことになってしまったのか?」という疑問が高まっていった。思いに駆られて行動した時期が過ぎ、検証と思索の時期に入ったといえるのかもしれない。
そこで、原点に戻り、アメリカの思惑や世界情勢を基本から学び直そうと、2002年9月11日の同時多発テロ一周忌に併せて行われたのが、「9・11結集!2002」であった。釈尊入滅後、弟子たちが釈尊の教えを確かめ合って経典を編纂した集まりを結集と言う。平仏集による現代の結集もまた、それぞれの立場を超えて、釈尊の説いたほとけのおしえと平和への願いを確かめ合う集いとして催されたものといえる。
第一部では、恵泉女学園大学助教授で市民外交センター代表の上村英明氏を講師に、9・11が起こるに至った世界の歴史的背景やグローバル化の波などについて学び、仏教者はどう考え、何をするべきかを話し合った。その後、宗派の枠を越えた形での法要を行い、この1年の間に世界で失われた、あらゆるいのちを悼んだ。

世界を想像し平和を創造するために

「9・11結集!」によって気づかされたのは、平和を考えるには、あまりにも世界の現状を知らない私たちの姿だ。そこで、実際に平和のための行動を起こすためにも、より世界の現状についての学びを深めたいという声があがり、全6回の連続学習会が企画された。この中では、アフガニスタンや中東情勢、グローバル化の実態などの世界情勢だけでなく、日本と同じように戦争放棄を掲げた憲法を持つコスタリカの事例を学んだ上で、では実際に行動するために、仏教者としてどのように考えるべきか、という点まで視野を広げた。
これらの学びを通して、知らないことを知るだけでなく、知らなくても想像する力が、私たちが平和を創造するために何よりも必要だという意見が深まった。そこで、2003年9月には、世界を感じ、そこで暮らす人々を想像できるようになることを目指したイベント「平和をつくるSOZOフェスタ」が催された。SOZOは、想像・創造を意味し、また、相・造=お互いに造り上げていくという意味もこめられている。
フェスタの中では、オウム信者に取材した映画『A』『A2』の監督として知られる森達也さんを発題者に、アメリカとオウムに共通する点などを語ってもらい、「9・11結集」の講師であった上村さんと、平仏集呼びかけ人の神仁が加わり、同じく呼びかけ人の松本智量が司会を務め、トークライブが行われた。さらに、世界11カ国の映画監督が9分11秒ずつ製作して話題となった映画「セプテンバー11」の上映・イラクや北朝鮮など世界各国の子どもたちの絵画展・アフガニスタンなどで撮影された長倉洋海さんの写真展など、日本に暮らしていると分からない世界各国の暮らしを感じ、想像できる企画が催された。
その後、9・11テロ三回忌となる2002年9月11日には、会場となった常円寺境内に多くのキャンドルを灯して、前年同様、宗派を越えた形での万灯法要を営んだ。

壁や境界を乗り越えて

SOZOフェスタに参加した、ある女性の感想が印象的だった。
「お坊さんというと、法事のときにお経をあげるだけというイメージだったけれど、この集まりでそのイメージが変わった。お坊さんて、こんなこともするんですね」
中には、このイベントで初めて僧侶と会話したという参加者もいて、図らずも一般と乖離した仏教者のあり方が浮彫りとなった。
平仏集ではその後も、北朝鮮やインドでNGO活動を行っている韓国の僧侶を招いてのシンポジウムを2004年10月に開催するなど、国や宗派の枠を越えて世界の平和を考える行動を続けている。現在は、日本国憲法について考えを深める自主学習会を重ねており、憲法とはそもそも何か、なぜ今改憲論が浮上しているのかなど、各自の疑問を踏まえて思考を深めている。
私たちはみな同じように平和を願い、同じように暮らしている。それなのに、僧侶であるとか宗教が違うとか、国が違うなどと言っては自らのこころの中に壁や境界を築いているのだ。その壁に気づき、乗り越えていくことが、平仏集の目指す平和への道なのだろう。身分や所属に関係なく法を説き続けたお釈迦さまも、現代に生きていればきっと同じようになさったのかもしれない。(渉)

(ぴっぱら2006年4月号掲載)
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