仏教者の活動紹介

観音さまの慈悲につつまれて ―浅草寺福祉会館―

(ぴっぱら2005年12月号掲載)

人々に慕われる寺として

推古天皇の時代、今の隅田川から引き上げられたという観音像をご本尊とする浅草寺。現在は聖観音宗大本山であるこの寺は、爾来、「浅草の観音さま」として親しまれ、震災や火災など幾多の困難の度に、下町の人々の信仰に守られて再建を果たしてきた。そんな下町の象徴として名高い雷門の前には、今日も国内外からの観光客がカメラ片手に集まり、彼らに声をかける人力車の車夫たちが、半纏姿も勇ましく門前を行き交っている。
今では、そのような観光地としての印象が強い浅草寺だが、観音さまの慈悲を人々にという精神から、さまざまな福祉活動が行われてきたことは、あまり知られていないのではないだろうか。
明治43年(1910年)、隅田川が氾濫し、多くの人々が被災した際、浅草寺の中に救護所がつくられ、無料で診療が行われた。これを端緒として、浅草寺はさまざまな社会事業を行ってきた。(この診療所は、救急指定の総合病院である浅草寺病院として今も存続している)
その後、大正12年(1923年)、関東大震災の年には、非行少年の保護訓練施設である「施無畏学園」・被災児童の託児所としての「浅草寺保育園」(現「浅草寺幼稚園」)・浅草寺コドモ図書館(現「浅草寺こども図書館」)がつくられ、翌13年(1924年)には、女性のための相談宿泊所である「婦人会館」や、労働者の簡易宿泊所として「三軌会館」も設立された。婦人会館は、かつての遊廓・吉原が近かったことから、そこで暮らし、身寄りのなくなった女性たちなど、困難に直面した多くの女性に対して生活相談や職業紹介を行い、宿泊保護施設としての役割も果たした。
昭和に入ると、知的障害を持つ子どもたちのための「浅草寺カルナ学園」が施無畏学園の中に併設され、また「児童教育相談所」も婦人会館の中につくられた。
いずれも、震災や水害などの被災者や地域に暮らす女性や子どもの抱える問題に応えるため、地道で大切な事業が行われてきたといえる。

現代の課題の中で

戦時中は病院以外の施設は閉鎖を余儀なくされたが、戦後の昭和33年(1958年)、婦人会館と児童教育相談所の活動を受け継いで生まれたのが「浅草寺相談所」である。これが現在の「浅草寺福祉会館」の前身となった。
現在では、婦人会館の活動の流れを汲み、生活や法律に関する相談事業を基本としながら、一方で福祉・文化事業として、仏教や文化を学ぶ「教養講座」や「家族を考える講座」を定期的に開催している。
また、子どもや若い人を対象とした「みるプログラム」「きくプログラム」「つくるプログラム」として、毎月の映画鑑賞会や年2回の人形劇・パネルシアター・音楽などの鑑賞会や、子どもたちが貼り絵などを楽しむ会を開催している。子どもと大人の相互交流を通じて育ち合う場を提供することを目的とした「ポケットひろば」では、ボランティアと国際協力の視点から、「絵本大好き!日本からアジアのこどもたちへ」と題し、今年で2回目となる絵本づくり体験プログラムが行われた。

他機関とのネットワークの中で

中でも近年力を入れているのが、他の機関とのネットワーク作りだ。「思春期関係者ネットワーク」と題されたこの活動は、思春期の子どもたちに接するおよそ50箇所の関係機関や関係者との連携を目指して、年4回、参加機関が活動紹介や子どもたちの実状報告を行う研修会を開いている。
今年で7年目となるこの会では、参加者は年を重ねるごとに多彩となってきている。現在では、浅草寺がある東京都台東区を拠点とする機関や人々を中心に、スクールカウンセラーや養護教諭、保護司などのほか、児童館や子ども家庭支援センターなどの公的施設や精神保健福祉センター・保健所・精神科クリニックなどの保健医療施設、さらにボランティアセンターやフリースクールなど、活動分野の枠を越えて、思春期の子どもと向き合う現場の人々が集う場となっている。

課題の共有から得られるもの

もともと、関係機関などへの会場提供も行っている浅草寺福祉会館では、地域の児童館活動のためにも場所を提供していた。そこで出会った児童館職員と話し合う中で、児童館にも福祉会館にも不登校の相談が多く寄せられていることなど、課題が共通することが分かってきた。また、他機関との連携や情報交換がうまくできずにいるため、相談を受けた機関が、各々の機関の中だけで問題を抱え込んでしまいがちなことにも気づいたという。この経験から、子どもや親と接する支援者どうしが課題をシェアし合うことで、視野を広げることができるのでは、という思いから、ネットワークづくりが発案されたという。
子どもたちのために活動している支援者たちは、目の前の子どもたちのためにいつも全力投球しており、支援者に対する支援や他機関との連携などは、どうしても二の次となってしまう。しかし、このネットワークでは、ネットワークを作り、互いの支援や連携を図ることも、子どもたちのための重要な支援の一つと捉えている。
実際に、他の機関や関係者との交流の中で、自分たちだけでは気づかなかった視点を与えられたり、参考となる情報を得られることも多いそうだ。また、他機関との連携を取ることで、それぞれの活動分野ではフォローしきれない事例をすくいあげ、制度のはざまで支援の届かない子どもたちに手を差し伸べることがかなうようになる。まさにセーフティーネットの役割を果たすことができている。

子どもの利益を最優先

現段階では、研修と情報交換の場として活用されているこのネットワークだが、今後は、機関どうしの連携の場として、参加者がそれぞれの立場から役割を果たすことのできる、真の「ネットワーク化」を目指したいという。民間の立場を生かし、公的・民間の枠や制度のしがらみにとらわれることなく、子どもたちの利益を最優先した活動が目標だ。
ネットワークに参加している児童館のあるスタッフが、アンケートにこのように書いている。
「ネットは、取り囲むネットではなく、子どもが背負った重くて大きい荷物を引っ掛け取り去るネットであったらいい」
――大人になってしまった私たちは、子どもが背負う荷物が見えなくなっている。互いに連携し、交流する中で、その見えなくなってしまった互いの眼を開きあい、束縛するのではなく、救い上げるネットとなっていくこと――人びとの助けを求める声を「聞く」のではなく、こころを「観じて」くださる観音さまのもとでなら、それは、きっと難しいことではないだろう。
子どもたちを救いたいという気持ちは、観音さまこそ強く抱いているのだから。(渉)

(ぴっぱら2005年12月号掲載)
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