仏教者の活動紹介

自然という真実にふれながら ―自然学舎「真塾」―

(ぴっぱら2006年1月号掲載)

長良川の流れとともに

幻想的な灯りの中での鵜飼で知られる長良川。名水100選や、河川で唯一「日本の水浴場88選」にも選ばれているこの清流は、多くの支流を抱きこみながら伊勢湾に流れ込んでいる。
その流れは、岐阜市の中心部で、伊自良川という支流と合流して川幅を拡げる。その合流した流れを挟んで、遠く岐阜城を望むことのできる河原沿いに建つのが円成寺だ。まさに水と緑に包まれた寺である。
この寺の住職は小林宏昭さん。だが、「こばやしひろし」という名で知る人も多い。小林さんは、演劇の世界では知る人ぞ知る存在なのだ。高校教員を10数年勤めた後、僧侶と演劇者という二足のわらじを履いて40年になる小林さんは、劇団「はぐるま」で、自らの手による創作劇やミュージカルを数多く上演している。また、中国の演出家との交流や、歴史や戦争を考える作品など、その活動は注目を集めており、サントリー地域文化優秀賞など、受賞歴も多い。
そして住職だけでなく、円成寺自体も、二足のわらじを履いていると言えるかも知れない。浄土真宗本願寺派の寺院として地域に根付く一方、多くの若者たちが暮らし、集う場ともなっているからだ。
この円成寺を舞台として、若者たちが描き出す人生劇を見守るのが、自然学舎「真塾」のスタッフだ。堀無明さんを代表として、精神科医や臨床心理士・教師など、さまざまなスタッフや支援者が、若者たちの演じる人生を見守っている。

自分と同じ悩みだからこそ

代表の堀さんは、勤めていた会社を退職して、親戚である小林さんの寺を借り、1984年2月から学習塾を始めた。「自分の青年時代と変わらない悩みや迷いを持っていた」という若者との出会いがきっかけだった。
高校を中退した2人の若者と、寺で生活をともにしながら学ぶこの塾には、次第に不登校の子どもたちが集まるようになる。やがて、20代前半で進路の決まっていない人や、ひきこもりの人たちも足を運ぶ場となっていった。数年もすると、学習塾から、若者たちと共に生活することを主体とする滞在型施設へと活動がシフトしていった。現在では、不登校の子どもに対応するさまざまな施設が各地に生まれて来たことから、まだ人びとの理解が比較的浅いひきこもりの若者たちを中心に受け入れているという。
活動内容が広まるにつれ、地域の精神科医や臨床心理士など、病院関係者とも連携を取るようになり、子どもや若者たちを紹介されるようになった。その医師たちも、自分の子どもの不登校や統合失調症など、身を持って子どもの生き難さと向き合ってきた人たちが多いという。
これまで、滞在だけでなく通ってきていた子も含めるとおよそ500名がこの塾を訪れてきた。対人恐怖で安定剤が欠かせない子、統合失調症を抱える子、15年以上もひきこもっている人など、さまざまな悩みのある子どもや若者が、自分で生活するすべを身につける中で、仕事への助言や学力面でのサポートなども受けて、自信をもって生活を送れるようになっていった。

自然という真実にふれて

現在は、18歳から41歳までの3人がここで生活を共にしている。とは言え、彼らはお客さまではない。買い物や洗濯・掃除、食事やお弁当作りなど、一人で日常生活が営めることがここでの活動の眼目だ。また、工房での仕事や自然農法による野菜や花作り、野山での山菜採りなど、地域の自然を生かした活動の中で、喜びをもって毎日の生活を送ることを目指している。寺から少し離れた藤橋村にある山小屋を借りての自然体験なども、自然と人との相互のつながりを感じる貴重な場となっているという。
さらに、日々の生活に埋没することなく、植林活動をはじめ、いじめや差別などの社会問題にも関心をもつことを勧めている。中国や朝鮮半島、沖縄などの戦争の犠牲となった地への訪問や、一人旅などをする中で、さまざまなことに気づいていってほしいと堀さんは言う。
「最近は、自らの強固な殻にとじこもる青年が多いように感じています。競争による上昇志向や、一方での横並び意識などの結果なのでしょうか」と、青年たちの心を憂いつつ、そんな彼らを癒す自然の力を信じているとも語る。
「上下、優劣などへの「こだわり」「不安」が彼らの苦しみのもとだと思います。星空の下、大自然の中の自分に気づき、「違ったままで皆同じ」という世界に気づくことで、そんな「こだわり」の世界から抜け、解放されて、自然という真実に基づいた、「まわり」を気にすることのない生活ができるようになると思うのです」
物や情報があふれる、何が「ほんもの」かわかりにくい時代の中で、自然こそが変わらず真実、「ほんもの」であった。行き場を見失った若者たちに、それにふれることで生きている喜びを感じてほしい。そんな熱意が伝わってくる。

寺という空間

堀さんは、朝7時から夜9時まで寺で若者たちと過ごしている。堀さんが寺の近くにある自宅に戻ると、後は小林住職との時間だ。子どもたちは、堀さんに言えない不満などがあれば、小林さんに愚痴をこぼすこともある。小林さんはそんな彼らの精神的な支えとしてサポートしており、このよい形での連携によって、バランスの取れた状態が保たれていると言えそうだ。また、お勤めのできる子は、朝のお勤めを一緒にしているそうで、寺という空間が、彼らの生活に一本の支柱を与える役目をしているのかもしれない。

「ほんもの」を示す役割を

今後、仏教を学びたい一般の若者も対象にしていきたいと語る一方で、真塾の活動を次第に他のスタッフに任せて、自らは、在日朝鮮人のことや中国残留孤児のことなど、戦争の負の遺産についての活動に重点を移していきたいという堀さん。演劇に打ち込む小林さんとともに、堀さんの、自らが常に問題意識を失うことなく歩む姿勢は、きっと若者たちにも伝わっていることだろう。
堀さんたちの若者に語る言葉が力を持っているのは、そんな、二人の中に光る「ほんもの」があるからだと、きっと気づいているはずだ。そして、その「ほんもの」を自らも求めて、今日もこの寺に集ってくる。本来、寺はそうした役割も果たすべきなのだとあらためて感じさせられた。(渉)

(ぴっぱら2006年1月号掲載)
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