仏教者の活動紹介
現代を生きる子どもたちとともに ―真宗大谷派―
(ぴっぱら2005年11月号掲載)
いのちがあなたを生きている
当時の仏教界から迫害を受けながらも、ただ念仏を称えてやまなかった法然上人の教えを受け継ぎ、庶民とともに歩みながら浄土の真宗をひらいた親鸞聖人。2011年には、その親鸞聖人七百五十回御遠忌を迎えるとあって、真宗各教団はさまざまな事業を計画している。
真宗大谷派では、御影堂の修復という大事業をはじめ、「今、いのちがあなたを生きている」をテーマに、宗祖としての聖人とそのおしえに還る重要な機会として、宗派のありかたを見直す動きが活発となっている。
その中でも、次代を担う子どもたちに宗祖のおしえを伝える青少年教化活動については、先に終了した蓮如上人五百回御遠忌の際からその重要性が着目されてきた。
これまで大谷派での教化活動は、スカウトや児童教化、仏教青年会などの5部門が中心となっていた。特に、児童教化の分野では、30教区での児童教化連盟の設置を目指し、寺院が子どもたちの居場所になるように、教区単位から寺院単位へと、より実際的な活動を目指している。また、高校生から大学生が対象の仏教青年会も、教区とは独立した立場で、寺院が青年の居場所となるべく活動を行っている。
しかし、子どもが減っている現状の中で、この数年は、子どもたちという「集団」ではなく、子ども「個人」を支援すること、また「教区」などの組織だけでなく、教化活動をする個々の寺院を支援していく方向へと方針がシフトし始めている。
そこで開設されたのが、青少幼年センター準備室である。
お寺には本来、子どもやお年寄りが集まる居場所という機能があった。子どもたちは、お寺に集まり遊ぶ中で、人間関係を学び、その関係性の中で生きているという感覚を育てていた。現代社会の中で喪われた、このようなお寺の機能の回復、こころを育む場としてのお寺の復活を目指して、センターの設立は企画されたという。
子どもたちに寄り添うために
御影堂の修復工事で活気付く東本願寺の北東に開設されたのが、その青少幼年センター準備室だ。蓮如上人五百回御遠忌を機に、センター設立のための検討委員会が設置され、2002年11月に準備室が誕生した。本山独自の活動として、教化活動の分野での「情報」「支援」「交流」の3点を柱に、既存の教化5部門とも連携をとりながら事業を行っている。
宗派内の寺院で行われている日曜学校や子ども会などの実施状況調査など、寺院を包括する宗派としての事業をはじめ、教化活動を行いたい寺院に対する研修会事業・青少年と直接ふれ合うイベントなど、その活動は多岐にわたる。
これまでの宗派主体の研修会は、全国各地から集まる事情の異なる寺院への情報提供にとどまっており、子どもたちに本当に寄り添うまでには至りにくかった。しかし、このセンター準備室の行う研修会は、「ひとりからはじめる子ども会講習」や「絵本ではじめる講習会」など、単なる研修で終わらない具体的な内容が特色となっている。
「ひとりからはじめる子ども会講習」では、参加者が自ら子ども会開催のための企画案を作成するなど、具体的な研修が行われている。参加した寺院の多くが、研修会終了後、研修した内容や、準備室が作成した資料を参考にしながら、各地域で実際に現場を立ち上げている。現場をつくる中で、「子どもとのお勤めや報恩講にはどんな形式があるか?」「花祭りをやるにはどんな式次第にしたらいいか?」など、具体的な質問を寄せてきているという。
また、「絵本ではじめる講習会」では、幼稚園や保育園で子どもたちと接している方を指導者に、実際的な研修を行っている。また、応募してきた寺院のうち10カ寺に、1カ寺あたり100冊の絵本を本山からプレゼントするという画期的な取り組みも行っている。気持ちはあっても予算がなかったり、具体的なイメージが湧かなかったりする寺院にとって、手元に絵本が届き、その活用方法を研修できれば、文字通りすぐにでも子ども会が始められるに違いない。
彼らの声を聴く中で
このセンター準備室の活動が、これまでの宗派主体の活動と少し異なるのは、「研修」「調査」という形だけでなく、ライブや交流会など、実際に青少年と接する「現場」を作っている点だろう。
例えば、「ライブ・イン・浄土の真宗」と題して、演奏ジャンル・性別・年齢・国籍を問わずに参加者を募集してライブが行われている。若い人たちが、毎日の生活の中で感じていることや誰かに伝えたいことを音楽で表現するための場所として開催され、今年が5回目となるが、年を追うごとに参加グループが増え、ジャンルもロックやフォーク・カントリーからスペインのフラメンコ音楽など多彩な内容となっている。
また、「東本願寺しゃべり場」は、センター準備室隣の総会所を会場に、今年5月から始められた。準備室スタッフをファシリテーターに、20代の若い人たちが20名ほど集い、毎月1回テーマを設けて思いを語り合っている。「若い人たちは、日頃から、共に悩み苦しみ語り合う場を求めているということをあらためて実感させられました」と参加したスタッフが述べるように、心ゆくまで語り合うことのできる、充実した「しゃべりの場」が生まれているという。
他にも、テーマを設けて詩や写真、イラスト・漫画などのメッセージや作品を募集し、青少幼年が自由に表現した思いを直接受け止める場が設けられている。これらはHPや機関誌で随時発表されており、率直な若者の思いが伝わってくる。
ともに悩み ともに生きる
これらの一連の活動に共通するのは、「伝えよう」「教化しよう」という上からの態度ではなく、寺院や青少年の思いやニーズに「応えよう」という姿勢ではないだろうか。
センター準備室は、あくまでもセンター設立の準備機関として、青少年たちと彼らをとりまく環境の実状を知るためにこれらの活動を行っているという見方もできる。だが、実状調査という大人の都合だけで、若い人が実際に集まるとは思えない。「聴こう」という気持ち、こころから「寄り添いたい」という思いがそこになければ、いくら素晴らしい企画を立てても成功はしないだろう。「青少年とともに悩み、ともに生きる」という願いを貫くことで、初めて本当に聴こえてくるもの・聴かせてもらえるものがあるに違いない。
これは、青少年教化に限らず、一般の門徒に対する教化という面でも同じことが言えるのではないだろうか。「伝えたい」という大人(宗派・寺院)の都合よりも、青少年(門徒)の求めるものに「寄り添おう」という姿勢こそが、法話のテクニックなどよりもずっと大切なのだ。庶民とともに念仏申した親鸞聖人のおしえは、このようなかたちで現代に生きていくのだと感じさせられた。(渉)