仏教者の活動紹介
社会に根ざした仏教を ―曹洞宗―
(ぴっぱら2005年10月号掲載)
「同事行」としての教化
仏教が大きく栄えた鎌倉時代に道元禅師によって日本に伝えられた曹洞禅。曹洞宗は、福井県の永平寺と横浜市の総持寺を総本山とし、禅はいまや「ZEN」として、日本だけでなく海外でも着実に広がりを見せている。
しかし、現代の日本では、心のよりどころを求めながらも、伝統宗教からは距離を置こうとする人が少なくない。その中で、どの宗派も、現代社会に合った形でどのように人びとに教えを伝えていけるかを模索している。
曹洞宗においては、2004年から教化のテーマに「同事行」を掲げ、具体的な課題を「人権」「平和」「環境」の3つに定めて、現代社会の中で教えに基づいた活動を通じて、人びとに教義をひろめようとしている。
「人権」の分野では、多くの宗派でも力を入れている同和問題を中心に、いわゆる差別戒名の実態調査を行ない、問題への認識を広めて改正を奨励したり、また長野の寺院で表面化した過去帳への差別的な記述についても率直に反省と謝罪を行なったりするなど、過去の過ちと向き合い、学ぶ姿勢を示している。
また、「平和」の分野では、イラク攻撃や、自衛隊のイラク派兵が決まった際に、「平和的解決を求める決議文」や「世界平和を願う曹洞宗の祈りと誓い」などの文書を発表し、宗派として不戦と平和を求める姿勢を明確にしてきた。
峰の色 谷の響きも 皆ながら
このような人権や平和については、他の宗派などでも同様の取り組みが見られるが、「環境」の分野の活動は、全国におよそ1万の寺院を擁する曹洞宗ならではの特色を持っている。
宗派を挙げて環境問題に取り組むにあたり、曹洞宗では、道元禅師の「峰の色 谷の響きも 皆ながら わが釈迦牟尼の 声と姿と」という和歌などを引用してその動機を説明している。道元禅師は、北陸の峰々に自然を感じ、その自然の中に釈尊の声や姿を見出していた。いま、破壊されつつある自然の実態を知ることは、単なる社会問題への認識にとどまらず、そんな開祖の思いに共感するためにも重要なことなのだという。また同時に、このような自然との共生は、禅の精神であり、曹洞宗の教えでもあると位置づけている。そして、この2点を認識した上で、一人ひとりの自覚と行動を促すことこそが、現代の宗門の役割であるとして、環境問題への取り組みが始められた。
全国1万カ寺の実践によって
「グリーン・プラン」と名づけられたこの活動は、大きく二つに分けられる。身近でできる環境への配慮を行動に移すことを目指して、「グリーンライフ」を心がけようという活動。そして、酸性雨の実態を調査する「グリーンウォッチング」である。
グリーンライフの試みとしては、次のようなものがある。
- まわりの樹木・植物を大切に育てましょう
- 水の出しっぱなしを止め、調節コマをつけたりして大切に使いましょう
- 電機のスイッチはこまめに切りましょう
- ゴミは分別分類して出しましょう
- 余りものが出ない食事を工夫しましょう
- 風呂の湯を洗濯・掃除・水まきに利用しましょう
- 排水口にゴミ取りのネットをつけて、下水道を守りましょう
- 空き缶やタバコのポイ捨てをやめましょう
- 除草剤はできるだけ使わないようにしましょう
- 自動車のエンジンは不要の時は止めましょう
このような具体的な実践項目を示して、行動することを推奨している。また、仏教とはイメージが結びつきにくく、身近に感じられないこのテーマを、釈尊や開祖の教えに基づきながら、決して縁のない問題ではなく、仏教者として果たすべき課題であると説いている。
これらの方針に賛同し、曹洞宗婦人会は水を汚しにくいせっけんやアクリルたわしの使用を呼びかけるなどの行動を始めている。もし、全国の曹洞宗寺院が実際に少しでも節約や環境への配慮を実践することになれば、1万カ寺というその寺院数が力となって、遂げられる環境保護の実績はかなり大きなものになるだろう。その意味でも、宗派を挙げてこの問題に取り組む意義は大きい。
雨水の中に法を見る
さらに、全国に点在する寺院数が大きな役割を果たしているのが、「グリーンウォッチング」である。全国の曹洞宗寺院に、酸性雨の実態調査を呼びかけ、平成10年から14年の5年間、日本各地257箇所の寺院や教化センターで雨水のpH値の測定を行なった。観測地はほぼ全国に及び、その観測地点数は環境庁の10倍に及んだ。この大規模な調査によって、大都市や市街地・農村部や山村・海浜地域など、地域の特色によって分類・研究することができたという。また、年間を通して継続的な調査を行なったことで、季節による変動など、より多角的な研究も行なうことができた。
現在、pH値だけでなくより詳細な成分分析をめざして、第二次観測の準備が進められている。
奈良大学の西山教授は、この酸性雨の調査活動について、規模の大きさだけでなく、国の手に拠らない、民間の調査である点を評価している。
「環境を保全し、美しくすばらしい自然と調和した生活を目指す願いは全国民のものであり、その環境を良くするも悪くするも国民一人ひとりであるとの視点に立って、宗教者に課せられた課題として取り組まれています。(中略)曹洞宗によるこの調査が契機となって、環境保全への取組がさらに全国民のものとなり、環境が改善されることを願ってやみません」(1998年度調査報告書に寄せて)
環境保護活動などと大上段に構えることは、国や政府に任せることで「私たちには関係ない」といった意識が国民の中にあることを、研究者・環境庁なども危惧しているからこそ、このような民間調査への評価が高まるのだろう。
それは実は、環境問題などにとどまらず、どのような課題であっても言えるのかも知れない。「誰かがやってくれる」「自分には関係ない」......。私たちがそんな気持ちでいる限り、環境も人権も平和も守られず、喪われる一方なのだろう。
それらの問題に気づき、取り組むことは、仏教離れを嘆く仏教者にとって、自分の問題に取り組むことにもつながるのかもしれない。関係ないというのではなく、自分ごと、同事行として仏教者が社会問題に取り組むことは、仏教の教えの実践につながり、ひいては仏教の価値や重要性を伝え広めていくことになるのではないだろうか。曹洞宗という大きな宗派が、宗門としてその点に気づき、動き始めたことは、あるいは日本仏教界の大きな転機となるかもしれない。期待の膨らむ取材となった。(渉)