仏教者の活動紹介
共に生き・共に育ち合う ―了見寺日曜学校―
(ぴっぱら2005年8月号掲載)
大学生と共に
多くの大学に、児童研究部や児童文化研究部などがある。いずれも、子どもたちとの交流を楽しむ部活動として、着実に伝統を重ねているところが多い。
もし機会があって、都内にある大正大学の児童研究部の部室を訪ねることがあるなら、「練馬の了見寺」という名前を話に出せば、在校生・卒業生問わずに反応があるに違いない。
「来週、日曜学校にスタッフとして行くんですよ」「いろいろ勉強させてもらいましたねえ」「卒業して以来ごぶさたしていますが、井口先生はお元気ですか?」――大学生たちとともに子ども会を運営している了見寺は、知る人ぞ知る、子ども会の老舗なのだ。
さまざまな協力の中で
都営大江戸線も開通して数年、少し前までは畑も残るのどかな住宅街だった東京都練馬区も、昨今大きく変貌しつつある。練馬駅前も、エレベーター完備のバスターミナルが整備され、都心に直結したベッドタウンとしての顔が整ってきた。そんな街の変貌を駅前から見つめ続けてきたのが、真宗大谷派了見寺である。
昭和に元号が変わった年に先代住職・井口得雄師が説教場を設けたのを縁として、この練馬の地に根を下ろした了見寺。そして終戦後、門徒や地域の人から求められていた子どもの保育の場を、と練馬和光保育園を設立したのが、得雄師の息子・文雄さんだった。大谷大学を卒業したばかりだった文雄さんは、保育園設立と同年の昭和30年9月、小学生のための日曜学校も設立する。
以来50年、数年の休止期間はあったものの、綿々と日曜学校は続いてきた。現在も、30-40人の子どもたちが、毎月2回の日曜学校を楽しみにしている。
この日曜学校を、住職の井口文雄さんや、文雄さんの長男の量寿さんとともに運営しているのが、大正大学児童研究部の学生たちだ。設立当初は文雄さんが中心となって運営していたものの、参加する子どもたちも増え、昭和39年に亡くなった得雄さんの後を継いで翌年住職になったこともあって、人手が足りなくなってきたのを機に、スタッフとして協力を仰ぐことになった。数名の学生たちが中心となって、ゲームや遠足、料理体験や林間学校など、さまざまな企画を寺と協働して行っている。
「ここでスタッフとして活躍してくれた仏教学科の学生が、卒業後、自分の寺で日曜学校を開いてくれたりもしました。最近は仏教や寺院とは直接縁のない学生も増えましたが、彼らにも仏教を伝え、「お寺の」日曜学校としての意義やあり方を伝えていくことが大切だと思っています」と語る文雄さん。子どもだけでなく、スタッフになる学生たちにとっても、仏教に出会う重要な機会となっているようだ。
また、学生たちを通して、他の寺院日曜学校との交流も図られている。埼玉県西川口の西福寺・東京都目黒区の祐天寺・浅草の共生日曜教苑も、大正大学の学生との協働で日曜学校を運営していることから、これら四カ寺の日曜学校の校長会・連絡協議会が定期的に持たれている。地域も宗派も異なる寺院との交流の中でも、話題となるのがスタッフとなる学生の育成や子どもたちの現状だそうだ。
「日曜学校のスタッフだけでなく、保育園の保育士たちにも、仏教の考え方や、子どもから学ぶ姿勢などを伝えていきたいですね」と、保育園の園長も務める量寿さんは語る。
開かれた寺として
文雄さんは、住職として、また数年前まで務めていた保育園の園長としてだけでなく、保護司や民生委員など、地域の中でも幅広く活躍してきた。それは、地域で必要とされたためだけでなく、僧侶としても必要なことだと考え続けてきたのだと言う。
「住職が寺だけの世界に閉じこもらずに、地域の中でさまざまな分野に身を投じて役職を得ることで、外部の人に寺や仏教を理解してもらうきっかけにできます。一般の人は、お寺に期待していないように見えて、実は期待しているんです。地域とともに作り上げる仕事の中で、より期待してもらえるようにするためにも、寺の外の〔俗〕の世界につながっていないといけないのです」
了見寺の持つ80年という歴史は、寺院として見れば決して長いものではない。しかし、了見寺が地域でいかに信頼され、人々の生活に根付いているかを見れば、地域とともにあるということは、時間の積み重ねではなく、人と人とのつながりだということがよくわかる。それをつむぐのは、地域環境などの条件ではなく、僧侶の側の姿勢次第だということなのだろう。
親世代との交流の中で
地域の中で、また、日曜学校や、保育園で保護者たちと接してきた中でも、仏教の必要性を感じることが多いと文雄さんも量寿さんも口を揃える。
「核家族化などで、家庭に仏壇がなくなり、学校でも公立の場合にはなかなか宗教的な畏怖の念は教えられなくなっています。今の親の世代も、その中で育ってきていますから、目の前のこと意外のつながりや縁を感じられないようですね」
量寿さんが、保育園入園のための面接に訪れた保護者と廊下ですれ違っても、挨拶をされないことがあったという。面接に同席していなかった量寿さんを園長だと気づかなかったとしても、園長であるかどうかにかかわらず、その日にそこれ出会う縁を大切にすることができないのだろうか、と文雄さんも首を傾げる。
「保育園でこそ、親とのコミュニケーションが重要だと感じています。また、そのような親の世代と積極的に交流を持って、親の意識を変えていくことは、宗教の場である寺院としても、重要な使命であると思いますね」
共に生き・共に育ち合う
親鸞聖人が大切にした言葉に、「自信教人信」(自ら信じ人を教えて信ぜしむ)というものがある。日曜学校の学生スタッフや保育士、保護者たちに仏教を伝える大切さを語る井口さん親子は、子どもたちに仏教を伝え「教えて信ぜしむ」ためにこそ、育てる側がまず「自ら信じ」なくてはならないと感じているのだろう。
しかし一方で、「自信教人信」の言葉には、人に教えることで、自らの信も深くなるという意味合いもあるという。僧侶として寺に閉じこもるのではなく、地域の子どもたちや学生・保護者、人びとすべてと「共に生き、共に育ち合う」中で、互いに信を深めていきたい。そんな井口さんたちの願いは、確実に実を結んでいると感じられた。(渉)