仏教者の活動紹介

真理への目覚めが世界を変える ―サルボダヤ会―

(ぴっぱら2005年2月号掲載)

光り輝く島で

インドの東南に浮かぶ島、スリランカ。お釈迦さまの時代からの仏教が伝わり、国民のおよそ8割が敬虔な仏教徒である。
スリランカの国名の中でもスリは「光り輝く」、ランカは「島」を意味するといい、その名の通り、自然も人の心も美しい国だ。しかしその美しさも、2004年12月26日に発生したインド洋での大津波によって破壊され、3万人とも言われる人命も失われた。その復興支援のため、世界各地のNGOが、現地のNGOの活動支援や直接的な活動を始めている。

農村地域での支援活動

その中で、おそらく多くのNGOが支援の対象とし、あるいは協働で活動しているのが、サルボダヤ会ではないだろうか。スリランカ全土でおよそ1万1400もの村々で活動するこのNGOは、仏教の思想を根底としながら、国民の約8割が暮らすという農村地域での開発支援を行っている。
サルボダヤ会では、人々や地域社会に必要なものとして次の10点を挙げており、これらを満たすために大人や若者・子どもたち、女性たちなどさまざまな立場の人を対象に活動し、支援している。

  1. 清潔で美しい環境
  2. 安全で安定した水の供給
  3. 最低限の衣服
  4. 十分な食料の供給
  5. 基本的な健康管理
  6. 適切な住環境
  7. エネルギーの供給
  8. 基本的なコミュニケーション
  9. 総合的な教育
  10. 精神的・文化的な要求の充足

具体的には、道路の補修、井戸掘りや水路の建設、下水などの設備の設置による不衛生な環境の改善などの物的なインフラの整備だけでなく、栄養や保健衛生などについての教育を大人たちに提供したり、これらの活動全体をまとめることのできるコミュニティリーダーを育成するなど、活動は多岐にわたっている。
また、子どもたちのための活動にも力を入れている。孤児やストリートチルドレン、虐待を受けたり戦乱の被害にあった子どもたちの支援や、栄養失調の子どもたちのための「村の台所」、就学前教育の提供や、母親たち自身の責任で運営される保育園、共働き家庭のためのデイケアセンターなど、さまざまな子どもや母親のためのプロジェクトが運営されている。

人々の自立のために

サルボダヤとは、スリランカの公用語のひとつであるシンハラ語で「すべての目覚め」といった意味を持つ。この「すべて」とは、人間個人の肉体的・心理的・知的・精神的な「すべて」だけでなく、社会全体をも意味している。
サルボダヤ運動創始者のA・T・アリヤラトネさんは「サルボダヤは、すべての存在が『目覚める』社会秩序を創造するために、個人・家族・村・都市・国家そして世界が目覚めていくことで、非暴力による総合的な変革を引き起こすことを目的としているのです」と語っている。
この理念の根底にあるのが、仏教の思想である。カーストや人種、経済的な社会階層をも越えた社会へと改革していくことで、「生きとし生けるものすべてが幸福であれ」という仏教の思想に基づいた社会を目指しているのである。仏教に基づいた社会活動という点で、昨今言われるところの「エンゲイジド・ブッディズム」の先駆けと言える。
そのため、サルボダヤの支援活動は、物資や資金・人手を提供して終わりといった、日本などのODA的な活動とは動機も意味合いも異なる。困っている人のニーズにただ応えるのではなく、人々自らがニーズに気づき、そのために自らで必要な労働力などを提供しあうことを支援するのだ。
「人々が自らの周囲にある課題や、自分の持つ能力に「目覚め」、その解決のために活動し、自立することで、不均衡な社会を変革していくことこそがサルボダヤの目的」なのだとアリヤラトネさんは言う。人々は、その目的のために労働力や時間、思想などを共有し、よそからきたスタッフは、地域の人たちによる農村の発展を「支援」することで、長い月日をかけて人々の自立を促していく。
まず、人々が自分たちの住む村の問題点に気づき、なんとかしたいと考えることから運動は始まる。外から問題を指摘されるのではなく、自発的に「何とかしよう」と考えることが、サルボダヤ運動においては重要なのだ。
そこへ、サルボダヤ会のスタッフが実際に村に入り、率先して最低限のインフラ整備などを住民と協働して行い、その作業の中でリーダーを育成し、年齢や立場によってグループを組織する。そして、それらのリーダーやグループによってさまざまなプロジェクト運営を自立的に行えるようにしていく。
さらに、資金の自立を図るために、「シーズ」と呼ばれる共同体の金融機関を作り、人々の貯蓄や低金利での融資のニーズに応えていく。
その上で、政治的に自立し、外部からの圧力にも対抗できるような組織化がなされ、他の共同体を手助けできるようになれば、サルボダヤ運動が目指す農村の自立が果たされたことになる。

階層の壁を越えて

アリヤラトネさんは、スリランカでも名門とされるナーランダ高校の教師だった。アリヤラトネさんと同じ恵まれた環境に生まれ育ち、エリートとして教育される生徒たちとともに、経済発展から隔絶され、搾取される農村で行ったキャンプが、サルボダヤ運動の始まりだ。人々が自発的に互いの能力を提供し合うこのボランティア的な活動を、「シュラマダーナ」と言う。
アリヤラトネさんがこの活動を始めた1960年代は、人々の階層意識が根強く、このような活動に対する反発もあった。しかし、仏教の思想に基づいたシュラマダーナ運動は、次第に人々の共感を得るようになり、今日では、世界でも有数のNGO活動にまで発展している。

思想や目的の共有を

人々の自発的な問題意識から始まるサルボダヤ運動は、草の根から始まる民主的な運動と言える。その点では、日本でここ数年ようやく定着してきたNPO活動も、同様の動きと言えるかもしれない。しかし日本のそれとサルボダヤ運動とで決定的に異なる点は、共通の思想や目的が存在するかどうかではないだろうか。
日本のNPO活動では、問題意識は共通していても、その問題に対する認識や目指す目標を人々が共有できるようになるまでに苦労している例があるように思われる。互いの認識が異なることに気づかないままに協働し、活動を続けることによって、反目が生じる場合も少なくない。
敬虔な信仰を持つ人の多いスリランカと、宗教を敬遠しがちな日本とでは条件が異なるとはいえ、かつては寺院が共同体の中心的役割を果たしていたことを思うと、日本でも仏教者や仏教的な思想が、日本のNPO的な活動に共有認識を提示する役割を果たせる可能性は充分にあるのではないだろうか。「そのとおりだ!」と、スリランカの人々はきっと言うに違いない。(渉)

(ぴっぱら2005年2月号掲載)
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