仏教者の活動紹介
流れに随って生きる ―報四恩精舎―
(ぴっぱら2004年10月号掲載)
四国の自然に包まれて
穏やかに微笑む表情の中に、どこか厳しさを感じさせるまなざし。ドラマに出てきそうな長い長い廊下を伝った奥の部屋で出迎えてくれたのは、そんな絵に描いたような「お坊さん」だった。
この「お坊さん」が、曹洞宗大本山総持寺で後堂という要職に就く野田大燈師だ。後堂とは、総持寺で修行する僧侶たちの指導役、いわば校長先生か教頭先生といったところだろうか。
そんな役職につく人なら、お寺の生まれで僧侶のエリートコースを歩いてきた人と思いがちだ。しかし実際には在家出身の野田さん。香川県高松市に構える自坊「報四恩精舎」を場とする、子どもたちを支えるさまざまな活動実績が評価されて抜擢された。野田さんの口からは思いがけない歴史が語られる。「私のお寺は最初、大きなしょうゆ樽でしたよ」。サラリーマンから、意外な縁で出家した野田さんは、文字通り無一物から修行を重ねてきた、たたき上げの僧侶なのである。
それから30年。香川の山中で、しょうゆ樽から始まった「報四恩精舎」は、いまや「財団法人喝破道場」と「社会福祉法人四恩の里」を併設し、不登校や虐待・ひきこもりなどの苦しみを抱える若者たちの成長の場になっている。弘法大師も眺めたであろう四国の山々が、若者たちの悩みを受け止め、彼らを守り育てているのだ。
無からの出発
野田さんは20代で医療品販売の会社を興し、病に悩む人々と出会う中で、気づいたことがあった。病気で苦しい、治りたいと言いながら、本当には治りたくないという気持ちがある人がいる、と。病を抱えることで周囲に優しくされ、気をひくことができるという思いが、本心から治りたいという気持ちにブレーキをかけるのだ。それは、薬や医療品では治すことのできない心の問題である。
そんな経験から、人の心や、心を見つめる禅に関心を持った野田さん。人の紹介で、後に師匠となる栗田大俊老師と出会い、聞くところによると師匠との酒の席で、「酔った勢いで」出家が決まった。29歳のときだ。
出家して入った瑞応寺専門道場での修行の中で、人は4つの恩に支えられて生きていると気づいたという野田さん。「父母の恩」「地域や社会の恩」「ふるさとの恩」「自然の恩」に生かされていることを自覚し、その恩返しをしたい、また恩返しをする人を増やしたいという願いから、道場建立を発意する。そうして生まれたのが「報四恩精舎」である。それがなぜ「しょうゆ樽」なのか。
「お寺といえば檀家に支えてもらうのが普通ですが、新たにお寺を作って檀家を持とうと思ったら、どこかのお寺から檀家を取ることになる。それはいやだったので、できるだけお金を使わない、自給自足を目指したのです」
土地は高松市五色台に父から遺されたものがあったが、建物はない。建てるお金もない。そんなぎりぎりの状況の中での発想だった。しょうゆ屋から無料でもらったしょうゆ樽の家。そこから始まった僧侶生活は、托鉢や寄付を募ることで次第に安定していく。
そんな中で、人の紹介で預かった不登校の子が、修行道場と同じような生活を共にする中で、元気を取り戻すということがあった。
「私は何をしたわけでもないんですよ。昼夜が逆転しがちな彼らも、否応なく朝早く起こされ、規律正しい生活をすることで体力がつき、心に自信が持てるようになったんです」
次第にそんな野田さんを理解する人が増え、必要に応じてプレハブやお風呂なども提供するが現れるようになり、道場はできあがっていった。やがて県の指導もあって、「財団法人喝破道場」を設立。大勢の子どもたちが禅道場の生活の中で成長し、巣立っていった。
自然の力を借りながら
しかし平成に入った頃から、次第に子どもが変わってきたと感じるようになったという。
「かつてのように規律正しい生活の中で厳しく叱咤激励するだけでは、子どもたちに伝わらないようになってきたのです。ガラス細工のように繊細な子が増えてきましたね」
カウンセリングなど、専門的なケアの必要性を感じるようになってきた中で、情緒障害児短期治療施設(情短施設)という存在を知る。そこで社会福祉法人「四恩の里」を設立し、「若竹学園」が誕生した。全国から不登校や虐待を受けた子どもたちが専門家に見守られながら成長する場として、地域に受け入れられ、人々に支えられている。
野田さんはさらに、今年10月から、県立の児童養護施設「亀山学園」の園長も任されるなど、子どもたちのために奔走する日々が続く。
義務教育の年齢までは行政も何かと手をかけますが、現状の法の中では、中学を卒業した年齢になるととたんに相手にされなくなってしまう。不登校からそのままひきこもってしまい、十年二十年経ってしまったという人が大勢います。そんな、法の網の目にかからない子たちをどうしたらいいか、考えています。テクニックだけでは治せない。自然の力を借りるしかないんです」
統合失調症を患い、何をするにも5分くらいしか集中力が続かなかった子にハーブの手入れをしてもらったところ、30分経っても「飽きない。もっとやりたい」と言って作業を続けていたという。世間でアロマテラピーともてはやされるハーブの力を実感した野田さんは、さっそくハーブ園を作り、ハーブを活用した喫茶店をオープンさせた。
「喫茶店はひとつの社会です。掃除をし、整理整頓をし、調理も必要です。何よりお客さんから注文をとったり会計をしたりといった会話があります。ひきこもりの子たちが社会に出て自分で生きていくためには、まず社会を学ばなくてはなりませんが、喫茶店はその場として最適ですよ」
流れに随って生きる
野田さんの視野は、若者たちだけにとどまらない。現在、高齢者がいわゆる老人ホームに入ろうとすると、ほとんどの施設では一人での入居が条件となっている。そこで野田さんは、夫婦や兄弟姉妹・友人などペアで入れ、しかもお客様扱いせずにできる範囲で働いてもらうことで、充実して生活できるような施設を計画している。さらに、高齢者のペアにひきこもりの若者をつけ、互いの交流を図ることも構想中だ。
「本当は子どもなんて嫌いなんです。ただ、目の前にこういう問題があるから、せざるを得ない。目の前のことをやっているうちに30年経ってしまいました」と笑う野田さん。禅の言葉で言う「随流去」(流れに随う)とはこういう生き方なのだろう、と感じさせられる笑顔だった。(内)