仏教者の活動紹介

陰徳を積む ―近江 正隆師 日蓮宗法明寺―

(ぴっぱら2002年7月号掲載)

自分に何ができるか

江戸時代から桜の名所として知られる参道を抜けると、正面に清楚なたたずまいの山門が見えてくる。境内には本堂を中心として、日蓮上人をお祀りする祖師堂(安国堂)や鐘楼が建ち並ぶ。法明寺の歴史は開創からおよそ1200年、現在の寺号に改められてからでも、すでに700年の歴史を刻んでいる。雑司が谷の鬼子母神堂――地元の人に親しまれているこのお堂の本坊が法明寺である。日蓮宗の布教活動を武蔵の国で初めて行った寺としても有名だ。
近江正隆さんは、31歳の時にこの寺の住職となった。父親の急逝に伴っての晋山だった。当時はまだ戦争で被災した伽藍の復興に躍起な時、近江さん親子も本堂の再建に専心していた。昭和38年4月29日の落慶を見た直後の父親の他界だった。以来およそ20年間、近江さんは山門や鐘楼など13もの建物を再建した。
復興を終えるころになると近江さんは、しだいに考えるようになっていった。「人の役に立つことが何かできないか......」と。法明寺は法縁長の寺、法務が多忙なため、なかなか外出することはできない。思い立ったのが点字翻訳のボランティアだった。「これなら寺にいてもできる!」と、近江さんは、日本点字図書館が開講している通信点訳講座に申し込みをする。しかし、法務をこなしながらの勉強はなかなか進まない。課程を終えるまでに1年、ようやく最初の翻訳に着手できるようになった。
「若いころは一日中点訳作業をしていました。凝り性なんですね。しかし、手作業ですから一日かけても打てるのは10ページ分ほど、打ち間違えると1ページまるまる打ち直していました」と、近江さんは当時を振り返る。短編小説の翻訳から始めて、仏教の入門書や外国語の辞典などさまざまなジャンルの点訳をこなしてきた。

点訳コンピュータソフトの導入

そんな近江さんにも、ある試練があった。10年ほど前、『チボー家の人々』45巻を訳しているころから、手の指の腱鞘炎に悩まされるようになった。当時の点訳作業は、「カニ・タイプ」と呼ばれる左右に3本ずつカニの足のようにバーが出た手動の器具を使用していた。ガチャ・ガチャと一文字ずつ、両手でカニ足を押しながらの地道な作業だった。指にかかる負担はしだいに増えていく。疲労が蓄積した結果の腱鞘炎だった。 「これ以上翻訳は続けられないかもしれない......」、そんな不安が、近江さんの脳裏を過ったという。
しかし、苦境にある近江さんに、一つの朗報が伝わった。筑波大学付属盲学校の高村さんという数学教諭が、「コータクン」という点字翻訳ソフトを開発したとのニュースだった。日本点字図書館の機関誌でその情報を知った近江さんは、すぐさまコンタクトをとりソフトを入手した。
以来、カニタイプのバーをコンピュータのキーボードに代えて翻訳作業が今日まで続く。悩まされていた腱鞘炎もしだいに治癒していった。
「コンピュータ化していちばん良かったのは、一度入力してしまえば同じ本を何冊でもプリントアウトして増刷できることです。これは画期的なことでした」、近江さんはそのように喜びを込めて語る。
作業効率は目を見張るほどよくなり、次々と新たな翻訳をこなしていく。
なかでも大作は、『仏教説話体系』270巻。原本は40巻だが、点訳するとおよそ7倍の分量になる。
「宗派に関わらない書籍を――と思って、仏教説話体系の翻訳を決めました。今までに18セット作って仏教系の大学の図書館などに寄贈しました」。
紙、製本、特性のバインダー、経費はすべて近江さんの負担だ。総額にすれば大変な金額になるのだが、それも「お役目」と割り切って、自分のペースでこつこつと楽しみながら翻訳を進めている。
前述の高村さんが代表を務める「辞書パソコン点訳会」にも所属し、他のボランティアと分担しながら外国語の辞書を点訳している。今までにドイツ語などの翻訳を担当した。対象はもちろん視覚障害を持つ若い学生。情報の上でのバリアフリーを実現することが、彼らの社会参加を促す大きな道になる。そんな思いが近江さん活動の原動力になっているのだろう。
ボランティア活動の意味について伺うと、「ボランティアを〝やっています〟というのではなく、自分ができることをすることによって、若い人が喜んでくれればそれでいいんです。彼らが喜んでくれることが、自分の励みになるんですよ」と、答えが返ってきた。これまでも自分の活動について宣伝することはしてこなかったという。陰徳を積む菩薩――近江さんを表するにふさわしい言葉ではないだろうか。

大人こそ我が身を振り返るべし

最後に今の一般の青少年について話を向けた。
「今は精神的に社会全体がおかしくなっていますね。戦後アメリカに骨抜きにされてしまった結果でしょう。政治家や官僚は自己中心的になっていて、自分たちのことしか考えていない。
今ほど教育や家庭のあり方が問われている時代はないでしょう。若い人が、自分に自信を持ったり、誇りを持ったりすることができなくなっています。彼らの親である団塊の世代の人たちが、しっかりと躾や教育を身につけてこなかったことが大きな原因でしょう。
子どもたちを批評する前に、大人が自分の考え方や生き方を顧る必要があると思います」。
さまざまな縁の中で子どもたちは育っていく。その大きな縁を提供するのが、親をはじめとする周りの大人たちだ。大人の生き方に即して子どもも成長する。青少年の問題を考えるということは、私たち大人の生き方そのものを問い直すことなのだということを肝に命じておきたい。
その上で、近江さんのボランティア活動は、私たちに大きな示唆を与えてくれている。(神)

(ぴっぱら2002年7月号掲載)
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