仏教者の活動紹介
鼓禅一如 ―曹洞宗 潮音寺―
(ぴっぱら2002年6月号掲載)
観音様の坐禅会
黒潮おどる太平洋の遠州灘に突き出た渥美半島の突端――愛知県渥美町は、自然豊かな環境を生かして農業・漁業・観光を中心に発展した風光明媚な町である。この町のほぼ中央に曹洞宗潮音寺は位置する。境内には芭蕉の高弟である杜国など俳人の句碑が立ち並び、俳句寺としても有名ある。
住職の宮本利寛さん(55歳)は、20代から30代にかけて宗派の研究機関に所属し、現代社会における教化のあり方ついて研鑚を深めた。昭和50年代の初めにこの町へ戻ると、すぐさま「子ども日曜参禅会」を立ち上げ、夏と冬には坐禅合宿も行うようになった。
当時は世間の一般的な風潮に呼応して、渥美町でも校内暴力や家庭内暴力が盛んな時代。子どもたちをめぐる環境は、とても荒んだ状況にあったという。宮本さんは、「子どもたちに学校や塾以外の場で 心の豊かさ を学んでほしい」と参禅会を始めたという。
宮本さんのこのような思いに対する周囲の人たちの理解も深く、ある檀家さんが「それでは」と、子どもたちが観音様の前で坐禅をできるように、観音堂を新たに寄進してくれた。以来20年余り、毎週日曜日の早朝に20名程の子どもたちが潮音寺に集い、坐禅を通じて一人ひとりの情操を深めている。
太鼓のリズムで般若心経
一方で宮本さんは、「地域の人たちが集う交流場として寺を開放したい」と、昭和53年に「観音まつり」を企画する。子ども会を中心として、ちびっこのど自慢大会・絵画展・歌謡ショーなどを行い、寺院の新たな教化活動の可能性を追求するようになった。
このまつりがきっかけとなって、57年には、坐禅会に参加する子どもたちを主体に「願成観音太鼓」が結成される。
「観音まつりでいろいろな芸能を紹介するなかで、この町に伝統としての芸能が育っていないことを感じました。当山はもともと祈祷寺だったので、祈祷太鼓をアレンジして、子どもたちによる芸能太鼓を創作しようと思い立ったんです。」
レパートリーは「黒潮太鼓」「祈願厄除け太鼓」「願成観音太鼓」など八曲。すべて宮本さんによる作曲だ。祈祷太鼓のリズムがベースになっているため、太鼓に合わせて般若心経を唱えることができる。
41人のメンバーのうち、現在、小中学生は20人。最年少は小学校4年生だ。小さな身体で2本のバチを持ち、勇壮な太鼓の音を鳴り響かせる。「人前で太鼓を叩く時はとても興奮する」と話してくれた。
設立から20年たち、設立当初小学生だったリーダーの一人は31才になった。彼らのようなベテランが、新たに入ってくる小学生の指導にあたっている。世代間のリレーがうまく行われているようだ。
練習は水曜日と日曜日の週2回。宮本さんもリーダーに厚い信頼を置いており、水曜日の練習の指導は彼らに委ねている。
近年、日曜学校子ども会を開催する寺院が減少してきている。その一つの理由として、少子化の影響が挙げられるが、その他に、若手の指導者不足という深刻な状況がある。その原因は、常に寺の住職が第一線にあろうとするため、若いリーダーが育たなかったことが大きい。現場で子どもたちに接していたいという熱い思いが、結果的に子ども会の減少を引き起こしているという現実は誠に皮肉なものである。
観音太鼓の世代間リレーは、伝統としての郷土芸能に育てたいという宮本住職の願いの現われと言えるだろう。
ボランティアとしてはたらく
願成太鼓の演奏活動は、年60回近くにもなるという。10年ほど前に購入したマイクロバスに太鼓を積んで、全国各地を駆け巡る。その中には高齢者施設の慰問や宗派の大本山での奉納演奏なども含まれている。阪神淡路大震災の折にも、神戸の長田区で演奏活動を行った。
宮本さんはパフォーマンスとしての太鼓ではなく、太鼓を通じたボランティア活動としての意味を子どもたちに伝えている。
「渥美の大自然と観音さまを賞賛する心が溶け合い、子どもたちによる新しい芸能として年数開の施設慰問を行っています。ボランティア活動を通じて、子どもたちに郷土愛・連帯感(協調性)・慈悲の心を学んでほしいと思っています。」
演奏の絶頂期になると直径6メートルもある折りたたみ式の扇が開き、色彩鮮やかな観音さまが現れる。支援者の一人でもある石仏彫刻師が、一ヵ月かけて描いた仏さまだ。お年寄りたちは思わず手を合わせ、涙を流して感謝する人もいるという。
宮本さんは言う。「太鼓も禅も同じひとつの道なんですよ。私は 鼓禅一如 だと思っています」。
茶禅一如、剣禅一如という言葉は聞いたことがある。しかし、鼓禅一如とは、宮本さんならではの実感がこもった言葉だ。どの道を辿ってもゴールはひとつ、すべては真理の表れなのだから。
時空を超えて思いは拡がる
今年になって参加するようになった小学生二人に「太鼓と坐禅とどちらが面白い?」と聞いてみた。答は予想どおり、「太鼓」と返ってきた。その理由は「太鼓を叩いていると気持ちがスッとする」「坐禅は足が痛い」というものだった。子どもとしては当然の感想だろう。しかし、こんな子どもたちの反応も、宮本さんは一向に意に介さない。
鼓禅一如であれば、どちらが上でどちらが下ということはない。無理やり子どもたちに禅を押し付けることは、むしろ仏縁を断ち切ってしまうことにつながりかねない。人それぞれ入りやすいところから入り、仏にふれていく。そのような柔軟な姿勢が、今、多くの指導者に求められているのだろう。
日曜参禅会は今年で25年、観音太鼓は20年、この節目に正力松太郎賞も受賞した。喜びにあふれた宮本さんの妙なる思いは、「太鼓や坐禅を通じて、一人でも多くの子どもが、細く永く仏にふれていくこと」である。
最近リーダーの一人が、となり町で太鼓の指導をしたいと言い出した。自分で稽古場を作り子どもたちを育てて行きたいそうだ。四半世紀の活動を経て、宮本さんの思いは、地域や世代を超えて着実に広がっている。(神)
※正力賞受賞者のご紹介 第26回正力松太郎賞