仏教者の活動紹介
寺の枠にとらわれずに ―神宮寺―
(ぴっぱら2001年5月号掲載)
さまざまな活動の中から
どこか上品な趣のする松本城を横目に、北へと車を走らせると、由緒ありそうな宿やホテルが建ち並ぶ温泉街が現れてくる。湯煙の香る浅間温泉だ。その街並みから少し外れたところに、神宮寺はある。こぢんまりとした印象のする、いわゆる寺らしくない寺だが、その外観からは想像もつかないほど多彩な活動がここでは行われている。
神宮寺は寺としてのあり方からしてユニークだ。スタッフや住職の給料はもちろん、寺の運営に関するすべての経理を公開し、新しい葬送や墓のありかたを提唱している。檀家からの年会費は、季刊誌「僧伽」の発行という形でほとんど相殺されてしまうという。また、神宮寺の中に置かれた「尋常浅間学校」は、永六輔氏を校長に、無着成恭師を教頭に迎えて1997年に開校した。以来、講演や対談、コンサートなど40回以上の「授業」や「特別授業」に、のべ1万6000人が出席している。
住職の高橋卓志師は、さらに、長野県NPOセンターの代表をも務め、NPOという新しい活動形態の可能性を追求している。そしてまた、アクセス21という組織で、タイのHIV感染者への支援の一環として、現地の感染者の手で作務衣を製作して日本で販売する活動を始めるという。これは住職の妻・正子さんが中心となって進められているそうだ。
高橋師が提示して下さった「神宮寺機能図」は、寺と住職が中心となって縦横に矢印がのびていて、寺を拠点としながらも、その枠にとらわれずに実にさまざまな活動が行われていることを物語っていた。
ただ受け止めて
「ついこの間まで、24歳の女の子が一緒に生活していたんですよ。家族じゃないですけどね」
こんな話が何気なく出てきた。チャイルドラインという、子どもたちの声を聞く電話相談の活動に関わった中で、高橋師に相談にやってくる若い人がいる。「自殺したい」と夜中でも電話がかかってくることもあるし、さまざまな事情から一時的に神宮寺に「避難」して、しばらく生活を共にすることもあると言う。
「カウンセラーや精神科医などの専門家に相談もしていますが、できるだけ彼らの気持ちをそのまま受け止めて聞くようにしています」
悩みや問題を抱えた他人を、生活の中で受け入れていくというのは、それだけでも並大抵のことではないだろう。さまざまな活動を積極的に広げながら、そのような難しいこともさらりと受け入れている。「いろいろと大変なんですよ」と言いながらも、その笑顔は活力に満ちていた。
神宮寺の活動はあまりに多岐に渡っていて、住職夫妻とスタッフ4名で運営されているとはとうてい想像できない。それらの活動すべてに住職は直接関わり、把握している。「ご自分の中で混乱しませんか?」と尋ねると、「そんなことはないですね」と即答された。本当にしたいこと、求められていることがはっきりと見えていればこそだろう。そしてそういった、確固とした思いに基づいて生きるさまが、若者たちからも信頼されているのかもしれない。(内藤)