寺子屋NPOプログラム

2000.10.23

寺子屋NPOセミナー「もう一つの学びの場を創るために」

はじめに

――私たちスタッフは、セミナー準備のため大阪に向かっていた。私たちを乗せた新幹線が大阪に近づくにつれ、雨が降リ始めていた。会場となる應典院ホールの入り口脇にたたずむお地蔵さまが、雨に濡れてどこかさびしげに見えた。

お地蔵さまも見守る中、應典院ホール(大阪市天王寺区)で、10月23日・24日、寺子屋NPOセミナー「もうひとつの"学びの場"を創る」が開催された。

このセミナーは、会場となった應典院内の應典院寺町倶楽部と、大阪青少年教化協議会・全青協の共催で、オルタナティブな教育の在り方を考え、寺院がどのように関わっていけるかを模索するために開かれたものである。

13万人を越えたと言われる不登校の子どもたち。そしてその一方で、年間、交通事故死者数の3倍にのぼる人々が自ら死を選んでいる。子どもも大人も、現在の社会のありかたに息苦しさ、生き苦しさを覚えていることを表す、象徴的な数字と言えるだろう。

「現代社会はもう行き詰まっている。だから現状維持では何も良くならない、変化が必要だ」と彼らは身体を張って、生命がけで訴えているのではないだろうか。

では、どうすれば変化がもたらされるのだろう。そして仏教者は、寺院はそのために何ができるだろうか。教育という、次の時代を作るためのフィールドを基点に、変化していくためにはどう考えたらよいか、何が必要とされ、何ができるかを知るために、今回のセミナーは企画された。

そしてこのセミナーは、全青協が提唱している「寺子屋NPOプログラム」の一環でもある。お寺が場を提供し、地域社会とNPO的な横のつながりを持ちながら、子どものための新しい居場所を創ること。それによって、衰退しつつある現代の寺院をも復活させたい、というのがこの「寺子屋NPOプログラム」の趣旨である。これは、かつて地域の中で寺院が果たしてきた癒しの場としての、あるいは教育の場としての役割を現代市民社会の中に再生しようという試みなのだ。

今回のセミナーは、この「寺子屋NPOプログラム」への理解を深めてもらい、推進を図る目的もあった。

【知る】オルタナティブ教育とは

今回のセミナーは、【知る】【考える】【体感する】の3つのプロセスを経ながらテーマにアプローチできるようになっている。そこで、まず【知る】ために、大阪女子大学助教授で、日本ホリスティック教育協会代表でもある吉田敦彦氏に、「オルタナティブ教育とは何か」をレクチャーしていただいた。

オルタナティブ(alternative)とは、「既存のものに代わる、代替の」「選択肢」といった意味で、一般的には「もうひとつの」と訳される。だが、何に対する「もうひとつ」なのだろう。

人類の文明史を説明しようとする時、よく使われるのがA.トフラーの「第三の波」だ。農耕・牧畜が中心となった前近代の波が衰退するのと比例するように、産業革命ごろから機械工業を中心とする近代の波が隆起してきた。同様に、近代文明の波が衰退するのに比例して隆起してくるのがポスト近代の波である。

このポスト近代の波を作りだしていくのがオルタナティブな志向であり、現代は近代からポスト近代への波の変わり目にあるのだという。つまり、ここで言うオルタナティブとは、近代社会に対する「もうひとつ」であると言える。

この3つの波を教育という視点から説明するため、前近代の例としてグアテマラ、前近代から近代への端境期の例としてメキシコがそれぞれあげられていた。

マヤの人々が昔ながらの生活を守りながら暮らしているグアテマラ。ここでは子どもたちは、親のしている織物や釣りを真似して、遊びながら、生活の中で必要になる技術を覚えていくという。

 

カナダの先住民を調べたある研究者によると、「教える」「教わる」という言葉が当初からあった民族はあまりないという。しかし、「学ぶ」という言葉はどこにでもある、と。前近代には、子どもは大人の様子を「真似び」ながら学んでいくものだったのである。

一方、近代化の波に乗ろうとしていたころのメキシコでは、就学率は高くなっているが、子どもたち自身は前近代的な感覚を色濃く残している。

子どもたちは授業時間になっても、バレーボールが終わっていないなら試合を中断したりしない。彼らに言わせると、「時計の時間」はその日の「生きている・生きられる時間」をスムーズにするために作られたのだから、時計を優先するのは本末転倒だというのだ。

また、運動会の練習をしても、メキシコの子どもたちは本番さながらに騎馬戦を始めてしまう。彼らには、「将来のために今何かをやる」という発想はない。「未来中心」ではなく「現在中心」の人生観がそこにある。

しかし、いわゆる「先進国」のように、工業生産や官僚制といった近代化が始まると、人々のライフスタイルもこれに合わせて変化せざるを得なくなる。そのために生まれたのが、近代の公教育システムである。

近代の公教育は、「暮らしの中だけでは学べないが将来必要になるかもしれない知識・技能を、効率的に、大勢に対して等しく画一的に、教えることの専門家によって、生活とは隔離された場所で教育する」のが特徴と言える。より近代化に沿うように、「近代化の機関車」としての教育が求められたのである。

だがそれも、やがて近代化が頂点に達すると、不登校の子どもたちの存在が象徴するように、近代の波とは違った動きが現れるようになってきた。これは、工業生産のような第二次産業から、サービス・情報といった第三次産業中心に社会の産業構造が変化する中で、オルタナティブなものが志向されるようになってきたためである。これがポスト近代の波の現れだと言える。

では、オルタナティブ志向とはどのようなものだろうか? 具体的には、さまざまなエコロジー運動や生活協同組合の活動などが挙げられるだろう。それらに共通するのは、近代のさなかにあったような「反○○」に留まった反対運動ではなく、「オルタナティブ(代替的)な」事例を「自分や身近な人たちのために」「草の根レベルで」「プロセスを重視しながら」創り出そうとする姿勢である。

これを教育の場に振りかえって考えると、自ら死を選んだり、不登校という形で「脱産業社会」「脱学校化」を叫んでいる子供たちが欲している教育こそが、オルタナティブな教育であるということができるのではないだろうか。

【考える】お寺とNPOの協働を考える

レクチャーで、オルタナティブな教育の場の意義やあり方を「知る」ことができた。次に、寺院で何ができるかを【考える】ため、実際に活動している方々の事例報告をはさみ、パネルディスカッションを行った。

レクチャー講師の吉田先生をはじめ、フリースクールの草分けとして15年間「東京シューレ」を続けてきた奥地圭子氏、関西NGO協議会事務局長で應典院寺町倶楽部の理事も務める榛木恵子氏の3人をパネリストに迎え、全青協の神仁がコーディネートを務めた。

まずパネリストから、各々これまでに行ってきた活動が紹介された。奥地氏は、東京シューレが担っている現在の役割として・不登校の子どもやその親に対する理解を広める・学校だけではないオルタナティブな教育の形を提案する・親・市民の立場で必要な機関を創り出せることを提示する、という3点をあげた。

パネリストのみなさん 榛木氏は、関西NGO協議会が行っている関西NGO大学で應典院の秋田光彦住職と知り合い、クリスチャンでありながら應典院寺町倶楽部の理事になったという経緯を説明し、「関わり」を大事にしたいと語った。

吉田氏は、「もうひとつの学びの場」というフリースペースに創設時から関わる中で、「オルタナティブ」の指す「もうひとつ」が何に対するもうひとつなのか、より積極的にどこへ向かうのかを考えた末、ホリスティック教育にたどりついたと説明した。そして、すべてはつながっている、という「縁起」の考えがホリスティック教育と共通していることに気づいたと語った。

東京シューレでは、子供たちが主体的に物事を決めているという。それでは無秩序になるのではないだろうか。しかし奥地氏は、「大人がいいと思うことをやれば子どもがよく育つ、というのは大人側の大きな誤解。主体が子どもであれば、彼らはストレスを感じたり荒れる必要もないのでは」と述べた。

また榛木氏は、関西NGO大学に集う若者たちは、他者との関わりの中から物事を解決する力を見出していくという。

東京シューレにせよ、NGO大学にせよ、子供たち・若者たちが「自分で考える」ことを知る場になっている点が重要であるように思われた。

さて、実際に寺院と地域社会との協働を考えるにあたって、参加者にお寺に求めることを聞いてみた。

聴き入る参加者 京都から来たという女性は「京都にいると、寺には観光地か祇園で遊んでいる坊さんといった悪いイメージしかない。本来仏教者は地域と密着した活動をしていたはずだから、そこに立ち戻るための(今回のセミナーのような)努力は意義があると思う」と語った。

これに対し、同じく京都から来たという僧侶は、「(日本と違って)韓国の寺院は、一般の人々が仏教者をどう見ているかという意識を強く持っている。日本の寺院も門を開かないといけない」と反省を込めて応えた。

また、長年教師をしてきたというある女性は、「今子供たちが荒れているのは、かつてのような権威を子どもに示せていないからだ。お寺も含め、権威を取り戻す必要があるのではないか」と訴えた。

これには、おそらくパネリスト共通の認識だろうと前置きして、コーディネーターの神が、「権威に拠って立つピラミッド的な社会はもう限界に来ているから、今回私たちはNPOという横のつながりを考えようとしている」と答えた。また、奥地氏も「権力めいた強い上下関係ではなく、信頼感や尊敬といった形でなら、大人と子どもも、人々とお寺もいいつながりになれるのではないか」と述べた。

お寺に対する思いとして、吉田氏は「近代は世俗化し、宗教性を排除する時代だった。排除された宗教者たちは、新しい視点から宗教の再生を試みることが必要」と指摘した。

また榛木氏は、「宗教には懐の深さが必要。そこへNPOという形で市民一人ひとりが入っていくことこそが、協働し、共存していく意味なのでは。そうすれば寺院の鐘の音に人々も共鳴して集まってくるだろう」と述べた。

そして奥地氏は、「寺には場があり、特別な文化がある。この資産を生かして、大人も含めた人々の悩みを受け止める場になってほしい」と期待を寄せた。

観世音菩薩は、音を「聞く」のではなく、「観る」と書く。その観音さまのように、相手の気持ちを感じて・観じていくことが仏教者には必要なのではないだろうか。聴いて欲しいという人々のニーズは確実にある。だから、それに対して寺院はより門を開き、互いに縁をつないでいくことが重要であるように思われた。

【体感する】寺子屋創りワークショップ

参加型ワークショップ 翌24日には、寺子屋NPOを【体感する】ために、主に寺院関係者や活動者が中心となって、寺子屋NPOを実際に創るためのワークショップを行った。寺院での青少年教化活動が衰退している原因を考え、班ごとに、その解決のためにはどうしたらよいか話し合った。

少子化や受験戦争といった「社会的な要因」・寺院側に怠慢や多忙といった問題があるという「寺院側の要因」・企画や運営の手法に問題があるといった「技術的な要因」の3つが原因として挙げられた。さまざまに立場や価値観の異なる人々が対策を話し合うことで、互いの意見を聞き合い、認め合うというNPO的な手法を肌で感じているようだった。

おわりに

――雨は前夜のうちにすっかりやんでいた。すべての片づけを終了したスタッフが、明るい日射しに微笑んでいるようなお地蔵さまにご挨拶して外に出ると、10月とは思えないほどまぶしい青空が広がっていた。

今回のセミナーのような試みを通じて、21世紀の子どもたちの行く末が少しでもこの青空のように晴れやかで明るいものになって欲しい、そのために今ますます考えなくてはならないのだ。そう気持ちの引き締まる思いがするような青さだった。

寺子屋NPOフォーラム「お寺と市民の協働を考える」
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