教育セミナー
2003.03.29
第7回「引きこもりからの旅立ち―Part2―」
全青協では、通算で第7回目となる「教育セミナー21」を、去る3月29日に東京・中央区の築地本願寺で開催した。本セミナーは、21世紀の教育のあり方について、世間的な既成概念にとらわれない自由な発想で考え、対処していこうという主旨で様々な問題をテーマに年4回のペースで開かれている。
前回は、今社会的にも問題となっている引きこもりをテーマに、全国引きこもりKHJ親の会代表の奥山雅久氏を講師に迎え、講演と質疑応答を行った。そこでは、引きこもりの人口が100万人ともいわれるような深刻な現状報告の他、引きこもりに向き合う家族のあり方などについて、切実に悩む家族にアドバイスが送られた。
今回のセミナーでは、引きこもりをテーマにした小林貴裕監督の話題作「home」の上映会と、監督並びに出演者であり引きこもり経験をもつ兄の博和氏を交えたライブトークを行った。
「home」は、引きこもりの兄と鬱病の母、末期ガンの祖母を実家に残し、進学を理由に上京した小林貴裕監督が、カメラを触媒として、失いかけた家族との関係性を再構築していく過程を描いたドキュメンタリー作品。特に作品前半で、母が泣きながら監督に対し助けを求めてくるシーンでは、その切迫した緊張感が参加者にも伝わり、泣き声や嗚咽も聞かれるなど、皆スクリーンに釘付けとなっていた。
左から小林貴裕さん・博和さん ライブトークでは、司会者の「なぜカメラをむけられるのを嫌がる母に対し、撮りつづけたのか」という問いに、監督は「当時、新潟の少女監禁事件などの事件が多発し、引きこもりに対する誤解や偏見が蔓延していました。具体的には、引きこもりは怠け者だとか、弱者が甘えているだけだという意見が多かったようです。しかし、当事者はけっして引きこもりたくてそうなったのではないし、病気でもないし、危険でもないという真実を伝えたくて、辛かったけれどまわし続けました」と、苦しかった胸の心境を語った。
また「コミュニケーション不足であった母は、カメラに話すことで気持ちが楽になったと当時を振り返っています。今考えると、話す場の提供という側面もありました」と結果的に母の苦しみを軽減した効果を披露した。
一方兄の博和氏は「自分にとって現実は自分の部屋でした。非日常が日常でした」と辛かった日々を回想し、引きこもりから脱却した経緯について「自分の弱さを認めることは外に出るよりつらいものでした。そして自分に対し常に怒りがありました」と語り、監督のアプローチについて「カメラが入ってきたということは、私にとって黒船の到来のようでつらいものでした。しかし、私が変化していったというより、弟が変化していったことが、私の居心地を良くしていったと思います」と家族である弟の真剣な姿勢が外に出る第一歩であったことを語った。
参加者との対話を重視したいという監督と博和氏に、参加者から「引きこもりの原因は何でしょうか。私たちが知っておけば引きこもり予備軍の予防策にもなるように思います」との問いかけがあった。それに対し博和氏は「今引きこもりの原因探しをしてどうなるのでしょう。引きこもりには様々な要因が考えられ、ある一面だけで判断するのは固定観念を植え付ける危険性をはらんでいます。原因探し、犯人探しはその人を痛めつけるだけだと思います」と今、その人に必要なケースバイケースの対応を求めた。さらに監督は「引きこもり予備軍という表現が気になります。やはり引きこもりを病気として見ている世間というものを感じます。もっと寄りそう態度がほしい」とかつて不登校のときと同じような社会全般に漂う無理解に、悲嘆な表情をにじませた。
現在引きこもりから抜けだし、世間でいう"普通"の社会生活を送る博和氏だが「いつまた引きこもるかわからない。そういった不安がつきまとう」と話し、家を出ても社会で人間関係を築けなかった場合は、また逆戻りしてしまうパターンも充分ありえることを説明し、多様な価値観を認める社会の必要性を訴えた。
最後に監督は「home」の続編制作の構想を披露し、今後も機会がある限り全国をまわって引きこもりについて議論の場を持ち、社会に理解してもらえるよう努力していきたいと抱負を語った。
全青協では、今後も引きこもりに注目し必要なケアを推進していく為に、不登校や引きこもりに対応する全国の寺院ネットワークの構築を検討している。また、引き続き引きこもりへの理解を訴えていくため、鳥取青少協との共催による上映会も予定している。
引きこもりは別世界の問題ではない。誰にだってありえることと小林兄弟は話す。また、宗教者が引きこもりに対し関心を持ち、関わりを持ってもらえるなら、医者よりも心強いとも話した。愛の反対語は憎しみではなく無関心なのではなかろうか。慈愛を説く仏教者の関わりを期待したい。(総)