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「少年の犯罪と仏教―子どもたちの"痛み"を聞く―」
青少年問題フォーラム
2001.11.29~2001.11.30
第7回青少年問題フォーラム
「少年の犯罪と仏教―子どもたちの"痛み"を聞く―」
10代の少年少女たちによる非行、犯罪がマスコミでクローズアップされることが多くなりました。賛否両論のあった少年法も改正されました。
子どもたちが非行、犯罪に走った背景には、家族を含む大人や社会の様々な問題があります。彼らの行動は、「助けて!」という心の叫びであるともいわれています。
今年のフォーラムでは、こうした子どもたちに焦点をあて、少年犯罪の現状を学習するとともに、彼らの抱えている"痛み"や"苦しみ"や"生き方"に、仏教者としてどうかかわるのか、また寺院がその受け皿(場)としてどのような可能性をもっているのかを考えました。
去る十一月の二十九日と三十日の両日、東京・築地本願寺において、第七回青少年問題フォーラムが開催された。七回を迎える今年度は、「少年の犯罪と仏教―子どもたちの"痛み"を聞く」をテーマとした。子どもたちが非行、犯罪に走った背景には、家族を含む社会や大人の問題が大きく、彼らが起こす様々な行動は、「助けて!」という心の叫びであるといわれている。今回は、こうした子どもたちに焦点をあて、少年の非行、犯罪の現状を学習するとともに、仏教者として彼らにどうかかわるのか、寺院がその受け皿としてどのような可能性をもっているのかを探ることとした。
少年の"痛み"を聞く
初日は、富士短期大学助教授・後藤弘子氏の基調講演からはじまった。後藤氏は、まず「少年事件の凶悪化、低年齢化については、報道とそれによって大人が感じる不安感が作り出した神話でしかすぎない」と、最新の統計資料を用いてそのからくりを訴え、「少年法の厳罰化は、子どもを大人と対等とする傾向。これは、大人側の責任放棄にもつながる」と問題提起。また、「非行少年は、家庭、学校から排除され居場所がなく、権力関係以外で話し合える大人もいない」ことを指摘、「お寺は、そうした彼らの居場所となり、お坊さんには、一方的でない、相手の声も聞く対話型の仏教をしてほしい。」と提言した。
基調講演に続いてスライドを用いて研究委員らによる、3ヵ所の取材報告が行われた。国の施設である「多摩少年院」は、弓山達也氏が、「少年院の役割は社会にソフトランディングさせること。少年の償いは長い旅。社会においては、強制や権力ではなく心でつなぐNPOがあるといい」という林次長の談話などを紹介した。独特な"石磨き"を主な日課にしている家庭裁判所補導委託先「仏教慈徳学園」は、鈴木晋怜氏が、「学園は花輪次郎・きみ子夫妻と息子家族の熱意に支えられた家族運営(民間施設)である」と報告し、「家庭(学園)の中で、自分たち家族と"共生苦楽"をすることで、少年は心を開き、その実像を理解、調査することができる。さらに回復まではかれるようになる」と語る花輪氏の実践や思いを伝えた。寺院活動としては「大多喜南無道場」が紹介され、編集プロダクション代表の梅中伸介氏が1泊2日の体験取材を通して、山寺(道場)で生活している少年たちの声などを伝えた。
この後、参加者がそれぞれ班に分かれて座談をし、「子どもの引きこもりなどが問題になっているが、実はお寺も引きこもっているのではないか」などの意見が出された。夕食をはさみ、弓山達也氏のコーディネートで、「元非行少年と語る」と題した二人の青年から生の声を聞く時間が設けられた。大正大学1年生の石川剛さんは、中学2年の夏に、部活の先輩に誘われて行った集団での窃盗、恐喝、暴行体験を語った。そして、その後担任の薦めで進学した宗門高校で出会った仏教と、好きなヒップホップ音楽のもつメッセージ性が自分の中でマッチし、現在にいたっていることなどを語った。現在寺の副住職をしている石神真さんは、自分は無軌道の非行少年ではなく、ある種の美学を持つ不良少年だったこと、そのため喧嘩はよくしたが、恐喝などは絶対しなかったことをまず語った。その後、中学時代に不信感から先生を殴り新聞沙汰になり、高校ではぬれぎぬから無期停学にされたこと、その後大谷派の専修学院で仏教に出会い、現在の自分があることなどを語った。二人に共通しているのは、師の生き方を通して仏法に出会ったことであり、こうした出会いが、いかに大切かをあらためて感じる機会となった。
仏教者と寺院の可能性を探る
2日目のパネルディスカッションは、鈴木晋怜氏の司会で、「仏教者と寺院の可能性を探る」ことをテーマに、日々少年と接している4人が登壇した。自ら「町の親父」と称す保護司の永井輝道氏は、「寺院の多くは檀家がある。50人の若夫婦と語れば、100人の子どもが救われる」と提言。家庭調査官の井上博道氏は「少年には、やり直そう!という決意が必要。そうした決意は人の"言葉"がきっかけとなる」と語ってから、「僧侶は心に届く"言葉"を語ってほしい。そして、お寺は物理的に開放するだけではなく、僧侶の生き方を見せるような開き方をしてほしい」と訴えた。また、僧侶で保護司、教誨師をしている小宮一雄氏は、「寺院活動の可能性は無限大、活動の基本は、自分は何を大切にし、如何に生きていくかという日常の生活につきるのでは」と語った。全青協の神仁は、全青協が提案している「寺子屋NPO」について、市民と協働して進める新しい寺院活動の必要性を訴えた。
最後のまとめとふりかえりの時間では、参加者が小グループに分かれ、「では自分はこれからどうするか」というテーマで思いを語り合い、グループ内でまとめた決意表明を全体に力強く発表し、フォーラムは終了した。
この青少年問題フォーラムは、個々人が、青少年の"痛み"と向き合い、そこで生まれた思いをどのようにかたちにしていくかを大切に考えている。その意味で、フォーラムの真の成否が問われるのは、これからなのではないだろうか。(と)