東日本大震災支援

2011.11.11

被災者支援のためのグリーフ(悲嘆)ケア入門講座

2011年3月11日に起きた東日本大震災では、およそ2万人もの死者・行方不明者を出しました。突然の災害により自分の身内を一瞬の間に失ったその悲嘆の深さは、第三者には計り知れないものがあることでしょう。しかしそれでも、第三者にできることもあるのではないでしょうか。とくに宗教者には、災害時ばかりではなく平常時から、さまざまな悲嘆に対するケアが求められています。
全青協では去る11月24日に、東京の本願寺築地別院を会場として「被災者支援のためのグリーフ(悲嘆)ケア入門講座」を開催しました。講師は、上智大学グリーフケア研究所所長の高木慶子さん。高木さんはご自身、17年前に神戸で阪神淡路大震災に遭い、ご自身間一髪のところで命拾いをしたという経験があります。
その後、2005年に起きたJR福知山線脱線事故の際には、JR西日本から依頼され、ご遺族のグリーフケアにあたりました。今回の東日本大震災でも、岩手県の釜石市を中心に、定期的に被災した方々のグリーフケアに取り組んでいます。

悲嘆とは何か

講座の冒頭で高木さんは、「悲嘆とは、人が親しい人や大事なものを喪失した時に体験する複雑な心理的、身体的、社会的反応」「それにより対人関係や本人の生き方に強い影響を与えることが明らかになっている」と、まず説明をしました。
そして、悲嘆を引き起こす原因について、次のような7種類の分類を示しました。

  1. 愛する家族や親戚、友人などを喪失=死別、離別(失恋、裏切り、失踪)
  2. 身体的喪失=病気による衰退や身体の一部の喪失(子宮・乳房・頭髪など)事故による負傷
  3. 所有物の喪失=財産、住居、仕事(リストラ)、ペットを失うなど
  4. 環境の喪失=転勤、転居、転校などによる親しみなれた地域社会や故郷などとの別れ
  5. 役割の喪失=地位、役割(家庭内での役割、子どもの自立。定年など)
  6. 自尊心の喪失=仕事の失敗からくる名誉・名声のはく奪。災害時、避難所などでプライバシーが守れない。悪口、うわさ話。
  7. 社会生活の安心と安全の喪失
    「今回の大震災では、多くの被災者の方々がこれら7つのすべてを失った」と、高木さんは語ります。多重的な喪失が人に与える心的ダメージは、想像を絶するほどのものでしょう。ある調査によれば、人が4つ以上のものを同時に喪失すると、自死へ到る可能性がすこぶる高くなると報告されています。その意味では、仮設住宅などに閉じこもりがちになるこの冬場に、自死を選択する方々が増えることも充分に予想されるところです。
    被災された方々が、自死や孤独死に追い込まれないためにも、今まさにこのグリーフケアが重要になって来ているのです。

悲嘆は正常な反応

高木さんは、悲嘆が個人に対して大きな影響を与えることを指摘する一方で、「これはだれもが家族や親しい人を亡くせば、淋しい悲嘆を体験するもので、これ自体は正常な反応であり、ごく当然な人間の感性でもある。悲嘆そのものは病的なものではない」とも言います。つまり、悲嘆そのものが異常なわけではなく、悲嘆が継続することが異常な状態ということになるのでしょう。悲嘆が継続するにより、人は心身の病をしだいに発症していくことになります。
悲嘆感情には、「精神的衝撃、パニック、敵意、怒り、いらだち、辛さ、哀しみ、寂しさ(故人に会いたい)、心身の混乱、後追い自殺願望、自責の念、無念さ、悔しさ、罪悪感、孤独感、虚無感......」などがあります。これらの感情が複雑に絡み合うことによって、遺族を苦しめます。
とくに日本の社会では、「家族との死別を体験し悲しみに沈んでいる人々に対してさえ「あの人は弱々しい人だ」とか「人の前で涙を流すことはみっともない......」などと非難的なことばを投げかける」と、高木さんは指摘します。悲嘆を抱えた人たちが、ある意味で思う存分その思いや感情を表現できる機会と場所を確保することが重要なのでしょう。
日本がまだ大家族制をとっていた時代には、家族の中や地域コミュニティーの中で、それらの感情は癒されていました。しかし、核家族化が進む現代社会にあっては、家族内関係の密度が濃厚になり、亡くなった人への思いが固定化されます。そのため、悲嘆を抱えた方々をケアする第三者の存在が強く求められるようになってきました。

悲嘆を癒すために

では、私たち第三者は具体的にどのようにすれば、悲嘆を癒すための力になることができるのでしょうか?
高木さんはまず、「悲嘆を抱えた方々に寄り添うこと、寄り添うとはその方々の思いを傾聴し全面的に受容すること」だと指摘します。この聴くことによって、「人は自分自身の存在を認められ、ありのままの自分を受け入れてもらえたと実感できる」「人は話すことによって、「気持ちが落ち着き、こころが平安になる。考えがまとまり、整理がつく 。生きる力と意味が湧いてくる」と言います。
悲嘆に寄り添う伴走者になることが、私たちには強く求められているようです。
そしてもう一つ、「喪の作業を援助し支えること」の重要性についても指摘します。日本には、古来、喪の作業に寄り添う習慣や伝統があります。たとえば、人が亡くなった直後に営まれる通夜、葬儀、告別式など。そして、初七日や四十九日、一周忌、三回忌などの回忌法要。また、お盆や彼岸なども喪の作業を営むための重要な機会です。
その時と場に寄り添い支える第三者の存在が、「遺族が喪の作業を健康的に続けていくために不可欠なものである」と高木さんは言います。災害時ばかりでなく平常時においても、これらのことは第三者として、そして宗教者として心がけておかなければならない重要な事柄と言えるでしょう。

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