あおぞら奨学基金
2021.03.04
東日本大震災から10年 -今、私たちにできることとは
東日本大震災から10年を迎えようとしています。2011年3月11日に発生した、日本国内観測史上最大規模となるマグニチュード9.0の大地震は、巨大な津波を引き起こし、三陸の沿岸地域を中心とした太平洋沿岸の各県に甚大な被害をもたらしました。
この災害によって、関連死を含めて1万9729人もの尊いいのちが失われ、行方不明者は2559人にのぼっています(昨年3月1日現在)。
また、津波によって引き起こされた福島第1原子力発電所の事故では、全電源喪失による炉心溶融が起こり、大量の放射能が放出されました。周辺に住む大勢の方がたは突然の避難生活を余儀なくされ、現在でも「帰還困難」とされている地域が残っているのはご承知の通りです。
政府は、発災翌年に復興庁を発足させ、被災者の生活支援や公共インフラの整備などに取り組んできました。しかし、毎年やってくる震災発生日の前後を除いては、震災に関連する報道を目にすることは少なくなってきています。現地の復興状況は現在、どのようになっているのでしょうか。また、被災された方がたの生活は、どのように変化してきているのでしょうか。
◆データで知る被災地の現状
発災当時には、各県あわせて47万人もの避難者が発生したと言われています。被災した方は、避難所での生活からプレハブの仮設住宅等での生活を経て、住宅再建や災害公営住宅などへの移住を進めてきました。
復興庁が発表した、昨年9月末時点での公共インフラの復旧・復興の進捗状況によると、災害公営住宅や高台移転による宅地造成は、調整中のものなどを除けば計画戸数がすべて完成し、被災地域の住まいの整備はおおむね完了しているとあります。
町づくりに関しても、学校や病院施設の復旧はほぼ完了し、防潮堤の整備などの海岸対策は、計画していた箇所すべてが既に着工しており、7割以上は完成しているといいます。
交通インフラはというと、直轄国道は完全復旧し、県や市町村が管轄する道路も復旧工事はほぼ完了しているということです。昨年春には、原発事故の影響で震災以来不通となっていたJR常磐線の富岡駅から浪江駅間(いずれも福島県)の運行が再開され、実に、9年ぶりに全線が復旧しています。
このように、データを見る限り、住宅をはじめ生活に欠かせない公共インフラや産業の再生に関しては、かなりの割合で復興を遂げたと言える状況のようです。
◆被災者アンケートから見えるもの
被災地の復興は、その苦境を目の当たりにした日本中の人びとの願いです。全青協でも、発災直後から被災地域の会員寺院に状況確認を行い、携行缶にガソリンを詰めるなどして燃料を持参しながら、食料などの支援物資を避難所に届けました。
また、プライバシーを保つことの難しい避難所生活のなかで、特に子どもたちが大人に気を遣い、子どもらしくのびのびと過ごせていないという状況を耳にしたことから、会員の有志やボランティアとともに度々、避難所等を訪れ、一緒に運動したり、歌を歌ったり、子どもたちの大好きなバルーンアートを作って遊んだりしました。
限られた時間の中、決して十分とは言えない支援であったかもしれませんが、このような関わりをさせていただいた私たちが気になるのは、家族を失うなど、言葉では言い尽くせないような辛い経験をした方がたが、震災から時間を経てどのような心境で過ごしているのかということ、いわば「こころの復興」についてです。
NHKが一昨年12月から昨年1月にかけて実施した、岩手県・宮城県・福島県などの被災者や原発事故の避難者4000人を対象としたアンケート(「東日本大震災9年・被災者アンケート」)には、政府や自治体の復興データだけでは計り知ることのできない、デリケートな心情が表れていました。
◆地域で異なる復興実感
このアンケートでは、震災後の暮らしぶりや気持ちについて、「住まい」「仕事」「家計」などの各項目別に、復興を実感できたか、そしてそれはいつの時点であったかを聞き取っています。高い割合で「復興を実感できた」と回答された項目は、「すまいの問題が最終的に解決した(75%)」「毎日の生活が落ち着いた(66%)」などでした。
それに対して、実感できたと答えた人が少なかったのは、「地域経済が震災の影響を脱した(18%)」「自分が被災者だと意識しなくなった(38%)」「地域の活動がもとに戻った(43%)」「家計への震災の影響がなくなった(45%)」といった項目です。
住まいや公共インフラなどのハード面ではある程度、復興が実感されている一方で、地域の経済や住民同士のつながりに関しては、震災前の状況には戻ってはいないと感じている人が多いことがわかります。
さらに、アンケートを県別に見ていくと、大きな違いが見られました。
「すまいの問題が最終的に解決した」という項目の回答は、岩手県が81・4%、宮城県が83・0%であったのに対し、福島県は55・8%と、数字に大きな開きがありました。
「もう安全だと思った」という項目では、岩手県が48・9%、宮城県が55・0%であったのに対し、福島県は30・6%と、やはり低い割合です。「地域の活動がもとに戻った」という項目でも、岩手県が43・5%、宮城県が57・0%であるのに対して、福島県は23・3%でした。
復興実感の一応の目安ともいえる、50%に達した項目は、宮城県が12項目中10項目、岩手県が7項目であったのに対して、福島県は4項目に留まりました。収束まで長い年月がかかるとされる原発事故の影響が、色濃く反映されているようです。
福島県の帰還困難区域は現在、県内の7市町村にあり、福島県全体の面積の2.4%程度、337平方キロに及びます。政府は、さらに除染や公共インフラの整備を進めて住民が戻れる地域を増やしていくとしていますが、どれだけ待てば良いのか、具体的には決まっていないのが現状です。
県外へ避難している福島県の避難者数も、昨年末で未だ3万人弱を数えています。廃炉作業が続く中、目に見えない放射線への不安などから、何をしたら安全な暮らしができるのかという安心への道筋が見えづらいことが、福島の方がたのこころの負担となっているようです。
◆私たちに何ができるか
震災から時間が経過したことで、被災地域でも世代交代が進んでいます。被災地域はもともと過疎化、少子高齢化の進行が懸念されていた場所ですが、安定した仕事や生活の便を求めて若い世代の流出が進んでいると言われています。
地域の核となる若い世代に定着してもらい、いかに地域を盛り上げていくか、地元自治体をはじめ多くの人が考えていかねばならない問題です。また震災後には、さまざまなストレスが要因となり離婚した家庭が増えました。全青協が実施している「あおぞら奨学基金」でも、ひとり親家庭の苦境が際立っています。
加えて、昨今の新型コロナ禍です。勤務日数を減らされたり、雇い止めに遭うなどした非正規就労のひとり親とその子どもたちは、まさに今、極めて厳しい状況に置かれています。順調な復興をうたう政府の統計には表れてこない現実が、被災地域には存在しているのです。
被災したすべての人のこころの復興を目指すのは、たいへん難しい課題です。しかし、私たち一人ひとりが震災の出来事を過去のものとせず、できること、持てる力を捧げていくことが大きな支えとなることは間違いありません。