シンポジウム・講座
2010.10.20
第1回仏教教化事例発表大会「仏教を社会に活かす実践者の連帯」
全青協と臨床仏教研究所が主催した「第1回仏教教化事例発表大会」が、10月5日午後1時から、東京・芝の東京グランドホテルで開催されました。
全国で活動している僧侶が宗派を超えて集まり、それぞれの教化事例を発表し、意見を交換する試みは、仏教界でもこれまで例がありません。全国から集った150人を超える参加者は、自らの活動の糧として、当日発表された事例を熱心に聞き入りました。
開会のあいさつで、全青協事務総長・臨床仏教研究所所長の齋藤昭俊が「ここに、こんなにたくさんの人が集まったことは、仏教界にとっての光明である」と語ったように、社会に対する僧侶の思いが結集した大会でした。
ツナガリ社会の回復に向けて
最初に、臨床仏教研究所理事でもある駒澤大学名誉教授の奈良康明さんによる基調発題「ツナガリ社会の回復に向けて」が行われました。
冒頭で奈良さんは、一昨年、秋葉原で起きた無差別殺傷事件の容疑者の言葉「現実の世界では嫌になることがあっても人に話せない。現実の世界から逃げて、ネットの世界に入りこんだ。誰でもいいから、かまって欲しかった」という言葉をあげて、現代社会がバラバラ社会であることを述べ、次のように語りました。
――うちのお寺に来る若い人の中にも、自分のことを人にあまり話さないという人がいます。よく聞くと、いろいろ話すと叩かれるから黙っていよう、ということのようです。
しかし、面倒なのであまり人と関わりたくないという人も、やはり誰かにかまって欲しいのです。それでインターネットの世界に入り込んでしまうのではないでしょうか。
梵網経の中には帝釈の網という譬喩が出てきます。帝釈天がこの世界に網をかけるという話です。その網の編み目のひとつひとつが人間だと言います。
この話の語ることは、「すべては関わりあっている」ということ、そして「個の集合が全体ではない。個の関わり合いの総体が全体である」ということです。
また最近は、「共創」ということが言われるようになってきました。人間は、たくさんの細胞があつまってできていますが、そのたくさんの細胞のひとつひとつに一切の無駄はありません。それぞれに働きあいながら身体という全体を創り続けているということです。
帝釈の網の視点から見ても、共創の視点から見ても、現代社会はほんとうにバラバラの社会です。
ツナガリ社会を取り戻すためには、他者に対する暖かい関心を持つことが大切です。
「愛の反対は憎しみではない。無関心だ」というマザーテレサの言葉を聞いたとき私は大きな感銘を受けました。仏教的には愛を慈悲に置き換えることもできます。
困っている人に対して、何もできなくても、いっしょに苦しんであげることができたら、ずいぶん世界は暮らしやすくなります。現代の私たちに求められていることは、「他者に関心を持とうよ」ということです。「おせっかいを焼きましょうよ」ということです。これこそが慈悲の実践です。
今日、私は「草の根的おせっかい運動」を提唱させていただきます。
先日お亡くなりになった松原泰道先生が「一人では何もできない。しかしその一人が始めなかったら、何もできない」といことをおっしゃいました。一人ひとりが、草の根でおせっかいを焼くことが、この社会を変えていくはじまりなのです。
様々な実践活動
基調発題に続いて、28名の発表者による、それぞれが実践している教化事例について発表する分科会が、三会場に分かれて行われました。
第一会場では主に「青少年教化」に関わる活動、第二、第三会場では、人々の悩みに答えたり、若者のこころの問題を扱う活動をはじめ、地域の世代間交流や生活困窮者支援など、多岐にわたる活動について発表が行われました。
この中からいくつかの発表をとりあげて報告します。
御園生亮観さん(天台宗東光院)は「『ほとけの菜園』の運営」と題して、お寺を縁にした農作業体験の活動について発表しました。
現在この「ほとけの菜園」には、幼稚園生・小学生から中高年まで幅広い年齢層の人が、檀信徒を中心に約80名参加しています。この参加者らが、年間を通じて、そば、ジャガイモ、タマネギなどを栽培しています。そして農作業を仲立ちとして年代を超えた?がりができ、子どもたちにも年配の人をいたわる心が生まれていることが報告されました。
江田智昭さん(一般財団法人 仏教総合研究所)の発表は「プロジェクトダーナ東京」。プロジェクトダーナ東京とは、浄土真宗本願寺派の僧侶11人が中心となって寺院近郊の高齢者福祉施設で行う傾聴ボランティアのことです。
活動希望者の近郊の高齢者福祉施設に、「傾聴ボランティアをさせていただきたい」と連絡して、活動場所を確保した上で、月に一回、施設を訪れ、高齢者の話に耳を傾けています。
活動を始めたころは、施設管理者や高齢者にも、僧侶が来るということに対して若干の警戒心があったと言いますが、今では、「他の施設にも来てもらいたい」と求められるほどに理解してもらっているようです。
石原顕正さん(日蓮宗立本寺)の発表は「災害と社会実践活動」。石原さんは、阪神・淡路大震災を機縁に、「(特活)災害危機管理システムEarth」を立ち上げました。活動には、檀信徒も参加して、物心両面での支援を行っています。そして活動を通して、「支援する人は、実は支援される人に支えられている。活動を通して、他人の幸福を願える人を増やしていきたい」との思いを持つようになったそうです。
細川公英さん(真宗大谷派順教寺)は「子どもたちと共に生きることを学ぶ」と題して発表を行いました。
順教寺では子どもたちを集めて「じゅんきょうじ 絵本の会」を行っています。本堂に子どもたちが集まり、まず一緒に正信偈を唱えます。そして絵本の読み聞かせを行っています。細川さんはこの絵本の会について、「子どもたちは、みな素直に阿弥陀様の前で手を合わせる。私はその姿にいつも感動させられる」との思いを語りました。
角出誠堂さん(浄土宗長泉寺)は「子ども会の活動を続けて五十年」と題して発表を行いました。角出さんは五十年にわたって、杉の子こども会を続けています。長期にわたって続けられた理由について、「それぞれの家庭や学校、その他いろいろな方々に協力していただいたこと、同時に期待していただいたこと」と語っています。
平野仁司さん(浄土宗宗仲寺)の発表は「宗仲寺の土曜教園」。宗仲寺は、幼稚園を運営していますが、卒業生をその後も教化育成していきたいとの思いで、月一回の子ども会である土曜教園を続けています。宗仲寺には、土曜教園を含め11の団体があり、この諸団体が相互にかかわりあって、宗仲寺の活動を盛り上げているとのことでした。
和田崇淳さん(浄土真宗本願寺派妙休寺)の発表は「影絵劇による仏教的情操の育成」。和田さんは、「かげえ劇さわらび」という劇団で、影絵劇を行っています。「影絵は夜、暗い中で行うため、宗教的な雰囲気を出しやすい。お寺で行うには最適」と影絵劇のすばらしさを語りました。
根本紹徹さん(臨済宗妙心寺派大禪寺)の発表は「生きれない理由」。根本さんは、主にインターネットを通じて、自殺志願者が語り合えるコミュニティづくりをしています。SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)やブログ、メール、電話などを利用して相談に対応し、実際に集まっての合宿やキャンプなども行っています。「こうした人たちにとって必要なことは、自分をわかろうとしてくれる人が一人でもいること」との信念を持って、活動を続けているとのことでした。
青江覚峰さん(有限責任中間法人IBA)の発表は「新たな試みの展開」。IBAは、「彼岸寺」というホームページを柱に活動を続けています。ホームページで「仏教周辺コンテンツ」を提供すると共に、インターネット上だけでなく、お寺で行うオープンテラス、コンサートなど、活動は多岐にわたっています。
仏教を社会に活かしたい
分科会終了後の全体会では、同研究所研究委員である石上和敬、鈴木晋怜、小谷みどりにより総括が述べられました。
石上は「みな本来的なお寺の活動と新しい活動を連携させて、無理なく行っている。それが続けることの秘訣だと思う」、鈴木は「お寺の力、僧侶の力というものが、とても大きいことを感じた。宗教的な雰囲気の中で、宗教的な人が行うことに、大きな力がある」、小谷は「僧侶によって、問題意識、興味関心あるところは違うと思うが、みな共通していたのは『救いたい』という気持ち」と述べました。
そして当日の司会進行を務めた神仁(全青協主幹)は、「奈良先生が基調発題で『草の根的おせっかい運動』の話をされたが、今日この会場にいる人はみなおせっかいな人たち。この一人ひとりが集まって、点が線になり、線が面になっていく。そしていつか社会に変革をもたらしていくのだと確信した」と述べました。
閉会の挨拶では同研究所理事・立正大学名誉教授の渡邉宝陽さんが、「普通のお寺の行事だけでは我慢できずに、仏教をこの社会に活かそうとしている僧侶がたくさんいる。それを本当に嬉しく思う」と結びました。
また、全体会終了後の交流会では、飛び入り参加も含め70人もの参加者が集まり、杯を片手に談笑、宗派や世代を超えた活発なやりとりが交わされ、参加者同士、再会を誓い合う姿もあちらこちらで見られました。
大会で発表を行った28人はみな、社会の中で失われつつある「ツナガリ」を取り戻そうと、地道に努力を続けている僧侶です。コミュニケーションが難しくなっている現代だからこそ、お寺や僧侶が核となってコミュニケーションを促すことが求められています。その意味で、お寺と僧侶という存在の可能性を感じることのできた大会でした。