寺子屋ふぁみりあ
2011.01.20
人、みなに美しき花あり ~仏教の人生観・人間観~ (1)
2月12日(土)に「人、みなに美しき花あり ~仏教の人生観・人間観~」と題して、妙厳寺住職・大多喜南無道場主の野坂法行師によるセミナーが行われました。
「山寺留学」のはじまり
山寺留学は、千葉県・大多喜町の山間部にあります妙厳寺で行っています。
山中といっても広い敷地があるので、そこでは子どもたちがどんなに大きな声を出しても、近所から苦情が来るなんてことはありません。ですから、子どもたちにとっては伸び伸びとした活動ができる環境です。本来お寺とは檀家さんだけでなく、さまざまな人が集まる場所なのです。
この山寺留学を始める頃には、このようなことをよく耳にするようになりました。子どもが、飼っているカブトムシが死ぬと(動かなくなるから)、おばあさんに「電池が切れた」と言うのです。そういう話を結構聞くようになったのです。なんでも人間の力でできるという思いになり、物事の実態が見えなくなっているのですね。
こうした子どもたちがこのまま大人になったらどうなるのだろうと、とても心配になりました。結果は今出ていますね。政界でも財界でも、いろいろなところで。なんのための政治なのか、国会なのかと感じるのは私だけでしょうか。そうしたことから、お寺で子どもを預かって、いろいろな体験をさせる「山寺留学」を始めました。
大人の世界
2千数百年続いている仏教が、人間とか命とかをどのように観ているのか。仏教の人間観や生命観をみなさんと一緒に考えさせていただいて、それがみなさんのお役に立つならばいいと思います。
子どものこと以前に、大人の世界がおかしい。子どもは大人社会の鏡・写し絵でもあります。自殺者が年間3万人を超えて十年以上になっているなど、大人の世界がおかしくなっているのではないでしょうか。
今の社会は、グローバリゼーション、経済効率第一主義で、お金が儲かれば「勝ち組」とされ、それが最大の価値にされています。「勝ち組」「負け組」という言葉もおかしいことです。今、お金を儲けることだけを考える拝金主義が蔓延しています。
その例として、過去に健康を害するおそれのある成分が入った食品を安価に輸入して、それを通常の価格で平然と流通させたこともあります。それが国民の健康を害することになるのに、何の罪の意識がありません。儲かればいいというだけの感覚です。
また、自分を育ててくれた親なのに、亡くなったあと放置していて、年金だけは平気で受け取っているという怖るべき感覚も広がっています。
問題児を抱えて相談にくる親御さんで「欲しいものは何でも買い与えて、何の不自由もさせなかったのに、どうしてこういうことになってしまったんでしょうか?」と我が子のことを嘆く声をよく耳にします。でも、それは違うと思います。子どもは親との心の交流を求めているのに、私たち大人はお金や物が豊かでさえあれば良いという価値観をもっています。人間としてどう生きるのか、他の人とのかかわりをどうしたらいいのかという、根本のことが教えられていません。経済の論理ではなく、それぞれの命が大切にされることが大事なのではないではないでしょうか。特に団塊の世代は、「儲かる」「儲からない」という意識がとても強いように思います。その世代の親に育てられた子は、どうなるのでしょうか。
宗教とは何か
宗教とは、人間としてこの世に命を授かった自分がどう生きるのかを考える根本の教えです。いわば自分が、またそれぞれの人がかけがえのない存在という自覚を促す、そういうものだと思います。 宗教の「宗」には根っこ、根本、大本といった意味があります。人間が、人間として、人間らしく生きるために承知しなければならない根本の教えということです。これが宗教の基本的な定義だと思います。
学校では知育だけになりがちでが、宗教は徳育を担っています。本来の宗教はそれを承知することによって、個人には心の安らぎが、その個人が構成する社会には安定と秩序をもたらすものです。日蓮聖人は鎌倉期で一番社会性をもった宗教者といわれますが、「立正安国」といって、人間が、人間として、人間らしく生きる基本をきちんと皆がわきまえることが安穏な社会、国、世界をつくることだと言われたのです。