寺子屋ふぁみりあ
2012.05.20
「ひきこもり」にもきっと意味がある
平成24年度最初の「寺子屋ふぁみりあ」は、こどもソーシャルワーカーの菱沼智明先生を講師にお招きし、「『ひきこもり』にもきっと意味がある」とのタイトルでご講演いただきました。
講演の抄録
私は「子どもソーシャルワーカー」という肩書で活動しています。不登校の子どもの家庭教師をしたことをきっかけに、ひきこもっている当事者のサポート活動や、親の会などの活動を20代前半から行ってきました。
最近は、電話相談を受けることが多いです。一晩中、電話が鳴りやむことはありません。
相談内容も多岐にわたっていて、いじめ、不登校、友達関係から、精神疾患を抱えた方の相談もあります。
現在、人とつながる方法は多種多様です。
例えば、インターネット電話のスカイプもありますし、「鉄コン」という、鉄道を通じた出会いの場もあります。
最近気になるのは、占いとか、危なげな方にすがってしまって、その方に金銭的にも時間的にも費やしてしまって、ヘトヘトになっているんだけど、離れられない人が多いです。
保護者の方も、お祓いみたいなものにすがっても、何もならない方が多いですね。
20年前と今とでは、相談できる場所がいっぱいできてきています。その代り、混乱したりすることも多いですが。
講師が紹介されている平成8年の新聞記事より
当時出会った子どもたちは、今二十歳くらいになっており、それぞれ自分の道を見つけていきます。自分の道を見つけた子どもたちの特徴としては、自分がひきこもっている状態や、学校に行かないことを責めなくなっている。
「ま、いいか。」「自分はこれでいいんだ。」という感じです。
自分を肯定できている子どもたちは、何かを見つけていきます。但し、周囲の大人が望む方向ではありませんが。
電話でも、直接会ったとしても、「こうしなければならない」「もう、無理」「自分はこんな状態じゃダメ」という思い込みにすごく縛られている人が多いです。そんな思い込みを壊していく作業をしています。
さをり織りを紹介する新聞記事より
「さをり織り」ってご存知の方、いらっしゃいますか?
何らかの障害を持っている方が講師になって、さをり織りをやっている記事があります。
こういう場所でも、人と人がつながる場であり、自分を表現するきっかけになる場でもあるように思います。
街を歩いていても、さまざまなお店が一杯ありますし、社会とのつながり方もいっぱいあります。
人は表現者です。と、子どもたちに言ったりするのですが、自分で何かをしたい、何かを表現したいという希望を持っている人が多いように感じます。
ひきこもりもひとつの表現として見ると、ひきこもりって一括りにする必要は全然なくて、同じように、それぞれ違う表現があるのかなと思ったりします。
ひきこもりが百万人とか言っていても、あまり意味がありません。
「生きる・生きてる」は、「表現している」そのものということですよね。
問題とか困難とかにぶつかると、分析や追求してしまうのですが、表現というふうに見て、良いも悪いもありません。
変わらないってことはありません。
生きてる時間は長くないし、悩み事や問題探しや分析に時間を費やすより、自分を表現することに時間を使いましょう。
そうすると、自分を客観的に見れたり、評価できるようになります。人間というのはいろいろなことがあるのが人生ですので。
自分の表現を見つけるためのキーワードとして、「好奇心」「感じ(フィーリング)」「言葉(自分が使っている言葉や相手が言う言葉)」「考えない(『考えるな、感じろ。』)」「楽」があげられます。
人と言うのは、生きてる限り表現するものです。
紹介文献
「不登校・ひきこもりを生きる」高岡健
「わたしの小さな古本屋」田中美穂
「DREAM TRAIN」中井精也
「うめめ」梅佳代
講師ブログ「さすらおう」http://ameblo.jp/hc2215/