寺子屋ふぁみりあ

2010.06.29

問うてみませんか?家庭の場(1)

「寺子屋ふぁみりあ」6・7月例会は、大正大学名誉教授・吉澤英子先生によるご講演「問うてみませんか?家庭の場」でした。
講演内容を抜粋してご紹介致します。

いま、家庭は?

講演中の吉澤先生と参加者

皆さんは、家庭に対してどんなイメージをお持ちでしょうか。家庭とは、少なくとも二つの条件を整えていることが必須といえましょう。一つには「安心して生活が営める場である」ということ。もう一つは「安定した家族関係が保たれて、心的な居場所がある」ということです。

新宿駅から東京都庁に向うトンネルは、今は整備されてとてもきれいになっています。かつてはホームレス状態の人たちが大勢おり、中には、母子のホームレスとなった人たちもいました。その関係は、たとえ親密な親子であっても、「家庭」とは言いません。外敵から守られる場所があってこその「家庭」なのです。

家庭には本当にたくさんの機能があります。なかでも男女の結びつきが基本となる性的機能、そして、子どもを産み育てるという生殖機能は固有の機能です。

また、家庭を営むためにはお金が必要ですから、経済機能も備わっていなければなりません。この中には、生産と消費という行動が含まれています。そのほかには、教育、保護、休息、娯楽、宗教的機能(家の特色)などが内包されていると考えられます。

また、現在では経済機能の中でも、特に「消費」の機能が拡大しているように見えます。物質的な価値観が強まり、いわば親の見栄がふくらんできているのではないでしょうか。「消費」が膨らみすぎると営みのバランスがくずれ、家庭内にトラブルが起こりやすくなります。

そして、「教育」や「保護」といった機能は、いまや学校や社会福祉施設など、家庭外にゆだねられるようになってきました。施設などは、昔は孤児のためのものでしたが、いまは虐待など問題のある家庭が増えて、両親がそろっていても家庭での両親による養育機能が果せず、そこを利用せざるを得ないというケースが後をたちません。「休息」についても、かつてはあたり前であった一家団欒という状況が、いまはすっかり失われているようです。

以上のように、本来あった家庭の機能が、現在ではかなり変化してしまっていす。同様に、子育てに関する価値観も、子ども側に立ってのものではなく、大分以前とは変わってきました。

"何気なく"という行為ができる子ども

社会を作ってきたのは私たち大人ですので、現状の子どもたちの問題現象を「なんとかしなきゃ」と思いますが、これはたいへん難しい問題です。戦後の教育では、「個」の確立が叫ばれ、「対等であれ」ということが強調されてきました。対等というのは、横並びということです。親の権限はあまりなくなり、目上の人をうやまうという、かつてあたりまえだったけじめがすっかり失われてしまいました。家庭での親との関わり方が、外での日常生活の態度にも如実に表れてきています。

大きくなって、集団の中で人との関わりがうまくできる子どもと、うまくいかずに自分の中にこもってしまう子どもの現象が顕著になってきています。そうした子どもたちを見るにつけ、「家庭での生活体験から学ぶべきことは、一体何なのか」と思わされます。家庭が安定し、居場所として機能している、そして、家族関係が健全に保たれている家庭で過ごしてきた子どもは、社会の中で、やはり何かが違うようです。

一般的に言うと、思いやりがある、そして、人の心をおもんばかり、"何気なく"他人に援助の手を差し伸べることができるようです。人間は、"何気なく"手が差し伸べられて、"何気なく"言葉をかけることができる、「何気なく」自然体であるということが大切なのです。家庭の機能を考える上で、そこがきめ細かくできるには、子どもたちにどのように関わっていけばよいのかという問いかけを申し上げたいのです。

(2)へ続く
問うてみませんか?家庭の場(2)
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