寺子屋ふぁみりあ

2015.08.25

平和を願い 平和に生きる

 8月6日の「寺子屋ふぁみりあ」は、NPO法人・くだかけ会主宰の和田重良先生をお招きし、「平和を願い 平和に生きる」というテーマでご講演いただきました。先生は、都会を離れた山の中で、農作業や養鶏を中心に、ひきこもり経験のある若者たちと共同生活をされています。「寺子屋ふぁみりあ」にも毎年お越しくださり、"大自然の中で生きる"ご自身の経験をもとに、ユーモアを交えながらたくさんのお話を聴かせて下さいます。

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 和田先生は「こころの平和」をテーマとして活動を続けていらっしゃいます。「こころの平和」を得るためには、「平和を願うこと」と「平和に生きること」、この二つが大切となります。「平和を願う」とは、「生きていく方向を得ること」であり、「自分はこっち向きで生きよう」という方向を決めることが願いであると、先生はおっしゃいます。そして、「平和に生きる」ためには、平和に生きることを具体的に体験してみることが重要であり、まさに、山の中での生活は「平和に生きること」そのものであるといいます。

 ひきこもり状態の方は「こころの平和」を得ておらず、その「こころ」には不安や焦燥が潜んでいると、先生は指摘されます。それでは、なぜ不安や焦燥が起きるのかというと、その原因は自分と他人を比較してしまうことにあります。他人との比較に埋没すると、自分防衛がはたらき、自分を守ろうとしすぎてしまいます。すると、心にロック(鍵)がかかります。

 心のロックは、やみくもに外そうとしても外れるものではありません。親が干渉しすぎて、無理に原因究明をしようとすると、ますますロックがかかってしまいます。心のロックはひょんなことから外れます。山の中で、自然と戯れているうちに心のロックは外れていきます。心のロックが外れるのは、理屈ではなく、本気で何かに没頭したときであり、心のロックが外れた先には自由な世界が待っています。心が自由になると、色々なやりたいことが顕われ、そのやりたいことを自由にやることこそが「平和に生きる」ことであると、先生は述べられています。また、ロックを外すポイントは「自分を捨てること」にあり、自分というのは捨てても捨てても捨て切れるものではないので安心して捨てて良い、とアドバイスいただきました。

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 さらに、教育についても言及がありました。教育の目的とは「競争に勝つこと」「結果を求めること」ではなく、「自己形成」であると、先生は強調されます。教育の目的が競争や結果にあると、意味のないことはなるべくやらないようになり、ケチくさく生きてしまいます。人生の目的とは他人に勝つことにあるのではなく、自分とは何者であるのかを知ることにあります。今の教育は人生には答えしかないという傾向にあります。そうではなく、人生にはたくさんの宿題があり、その宿題を丁寧にこなしていくことが自分の生きていく方向性を見つけることにつながります。ケチくさい根性を捨てて、目の前にあることに真面目に向き合っていくことが大切です。最後に、そのための出発点を、和田先生の「生活つづり(標語カレンダー)」からいくつかご紹介します。

「山を掃く」

誰も見ていない誰もほめてくれない山の中 それでも人は山を掃く

      掃いても掃いても葉が落ちてくる それでも人は毎日山を掃く

 

「両手を使い 真正面に」

  自分を活かすには 何ごとも両手を使って 真正面に人生に向かってみる

       食べることも 生きることも 勉強も 仕事も

 

「目の前にあることをする」

  目の前にやるべきことがある 遠くの理想もよいけれど 

      今、目の前にあることを まず、しよう  

                   ご飯を食べ終わったら 食器を片付けること それがよいこと

 次回の「寺子屋ふぁみりあ」は9月3日、講師に本願寺派浄円寺住職で府中刑務所教戒師の芝田正順師をお招きし、「「ガッショウ」という言葉から見えてくること」というテーマでご講演いただきます。

生きづらさを抱えた若者たち~ひきこもりと自殺を急ぐ若者の心に通底するものについての臨床心理学的考察~ 「ガッショウ」という言葉から見えてくること
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