寺子屋ふぁみりあ

2018.01.11

どうして生まれて来たの?!

 2018年1月11日、平成29年度第九回目の寺子屋ふぁみりあが開催され、善行寺住職の成田善真先生に、「どうして生まれて来たの?!」と題してご講演いただきました。
 以下は講演の抄録です。

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長女が小学生の時期、ふと私に聞きました。「お父さん、どうして生まれて来たの?」私は恥ずかしながら、その時はっきり答えられなかったのです。

皆さんもお子さんやお孫さんから、「なんで生きているのか」「どうして生まれて来たの」と尋ねられた時、どう答えますか。

 

なかなかこの問いは、本当に難しいと思います。どうして生まれて来たのかとか、どうして生きているのかというのは、ある面、自分の意識を超えた世界です。気づいたら生まれて、物心ついて、生きていた訳ですから。

でも、この答えをちゃんと見つけることができなければ、生きて行けないというか、何か難しいことにぶち当たった時に、乗り越えて行けません。

 

浄土真宗を開かれた親鸞聖人は、この世に生まれて来た意味、どうして生きているのかを、「正信偈」にお示し下さっております。

 

如来所以興出世 唯説弥陀本願海

(にょらいしょいこうしゅっせ ゆいせつみだほんがんかい)

 

意味:お釈迦様がこの世に生まれてきた理由は、ただ阿弥陀様の救いを説くためであった。

 

この世というのは、「仏説阿弥陀経」に「五濁悪世(ごじょくあくせ:五つの濁った世界が、時代が経つにつれてはびこる)」と示されています。五濁とは、劫濁(こうじょく:時代が濁っていく)、見濁(けんじょく:物の見方考え方が濁っていく)、煩悩濁(ぼんのうじょく:煩悩がますます盛んになっていく)、衆生濁(しゅじょうじょく:人間の資質が低くなっていく)、命濁(みょうじょく:命が短くなっていく)という五つの段階です。

 

私は初めてこの話を聴いた時、医学が進歩して平均寿命が延びているのに、なぜ命が短くなっていくのかと疑問に感じたことがありますが、真宗大谷派の藤原鉄乗先生はこう仰っており、なるほどと思いました。「いつまでも死にたくない死にたくないと、百歳まで生きてもそれは若死である。いつ死んでもいいと、今日一日を喜んで生きれる人は、天寿を全うした人である。」すなわち時代が経つにつれて、生まれて来た意味や、どうして生きているのかという意味が、どんどん分からなくなるということでしょう。

 

私たちは、ただ何となく事実として生きているのではなく、大きな意味の中で生きている訳です。あなたの命を必ず救う。あなたの命を必ず仏様として仕上げると。その阿弥陀様の大いなるお慈悲の心に出会われたのが親鸞聖人。そして同じように浄土真宗の教えをいただいた私は胸を張って、自分が生まれてきたのは、阿弥陀様の救いに出会うためと言えます。

私たちがすることは、御恩報謝の中に生きることです。ありがとうございます、南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏と、手を合わせてお念仏を唱える。仏様の話を聞いたからといって、苦しみや悩みが無くなる訳ではありません。けれども苦しみや悲しみを、喜びや勇気に変えて下さるのが、阿弥陀様の大いなる働き(本願力)です。

聴くことから始まるコミュニケーションPart2 『こうありたい』と声をあげること
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