寺子屋ふぁみりあ
2016.01.22
あの時は、それから、今は...
12月3日の寺子屋ふぁみりあは、ひきこもり経験のある青年3名をお招きし、「あの時は、それから、今は...」というテーマでご講演いただきました。3名それぞれがご自身の経験をもとに、当時の想いや今に至る経緯を誠実に語ってくださいました。
今回はインタビュー形式で、司会者の質問に対し、3名それぞれの方に順番に答えていただきました。
Q.ご自身のひきこもり経験と、脱するに至るまでの経緯をお話ください。
Aさん
私のひきこもりは、大学受験の失敗によって始まりました。私は当時、有名大学への進学を志望していましたが、なかなか思うようにいかず、息詰まり、勉強も手に付かなくなっていきました。予備校に通っていましたが、次第に通っていても意味がないと思うようになり、ついには辞めてしまいます。予備校を辞めたことによって、何もやることがなくなりました。また、外出する機会も減り、人間関係が途絶えると、気持ちも沈みこみ、ひきこもるようになります。
私は母子家庭で育ったのですが、母親との関係もうまくいかず、二人暮らしの中で家庭内暴力を振るうこともありました。私がひきこもっていた時代には、まだ「ひきこもり」という言葉がなく、「プー太郎」と呼ばれるものでしたが、そんな状態を1年半ほど続けました。
ひきこもりから脱したきっかけは、有名大学を諦めたことにあります。ひきこもり生活を続ける中で、次第に「まずは、今の状況を脱しなければならない」と思うようになり、ハードルを下げてでも大学に入り、母親と離れて暮らすことを、第一の目標にしました。そこで、偏差値は低くても良い教育をしている大学を探しました。その大学というのは、仏教系の花園大学なのですが、そこに進学することができ、福祉を専攻しました。入学当初は人と目を合わせるのも大変な状態だったのですが、何とか通いきり、無事に卒業することができました。
Bさん
私は現在32歳で、今でもまだ半分はひきこもり当事者です。現在は、「ひきこもり大学」というイベントや、「親の会」や「当事者の会」など、ひきこもりに関するイベントで体験発表をさせていただいております。また、東京で二か月に一回開かれている「ひきこもりフューチャーセッション"庵"」という大きなイベントで運営のお手伝いもしています。私は定職に就いているわけではないので、肩書きとしてはニートになると思うのですが、このような形でちょこちょこ活動させていただいております。
振り返ると、幼少時代から対人関係に強い恐怖心があり、比較的早い時期から学校に行けなくなりました。親も覚悟していたのか、不登校に関する勉強をしてくれていたようで、無理に学校に行かせようとか、外に出そうとされることがなかったので、割とすんなり不登校になり、だんだんと家で過ごすようになっていきました。
私の場合は、親の理解もあり、プレッシャーをかけられることもなかったので、家の居心地が良く、家を居場所に年齢を重ねていきました。それでも、20代に入り、同年代の人が就職をするような年齢になると、「このあと自分はどうなるんだろう」と、将来に対する不安が急速に大きくなっていきました。また、その頃はちょうど、親の年齢が定年に近づく時期でもあり、そのことも将来に不安を感じる一つでした。親との関係は良好でしたが、親以外との接点がまったくなく、社会とのつながりがないことに対するプレッシャーも強くなっていきました。もともと外に出るのが怖いというのはあったのですが、強迫性障害も相まって、いろいろ確認しないと不安でどうしようもなくなりました。例えば、トイレをするのに何時間もかかるとか、何をするにも時間がかかり、生きているだけで苦痛な状況で、どんどん外に出るのが怖くなっていきました。一度外に出なくなると、恐怖心も強くなり、たとえ外に出ても電車に乗れないとか、人のいる場所には行けないという期間が7~8年続きました。
このような状況が続く中で、20代後半になると、「このままいてもらちが明かない」「思い切って開き直らないとどうにもならない」と思うようになりました。そのとき初めて、ひきこもり当事者の集う場所を具体的に調べ始めました。それから一年ぐらいは、頑張って通ってはやっぱりだめで再びひきこもり、ということを繰り返しました。それでも次第にいろいろな場に行けるようになりました。何も理解のない場所に行くのは怖かったので、ひきこもりに理解のあるであろう場所に行くようにしました。何回か行くにつれて、仲の良い人もでき、友人関係も多くなっていきました。人間関係は苦手でも、もともと喋ることは好きだったので、そのうちにひきこもり関係のイベントなどでスピーカーをさせてもらえるようになりました。今現在も学校に通ったり定職に就いたりしているわけではありませんが、ひきこもりに関するイベントというのは思いのほか多く、結構忙しく充実した日々を送ることができています。
先ほどお話しましたように、私は支援機関に通っていたのですが、その際にはあまり支援色が強すぎないところを選んでいました。私の場合は、ひきこもりから脱するときに、「就労」は念頭に置いておらず、まず人に慣れることが先決だと思っていました。小さい頃から登校経験がほとんどなく、家族以外と話す経験があまりにも乏しかったので、とにかく人に慣れる、人とコミュニケーションを取ることに慣れることを目標に通っていました。そのため、「社会に出るためのトレーニング」みたいな機関は肌に合いませんでした。
人との関わりがない中で、どうやって支援機関を知ることができたのかというと、私は幼少時代からあまりにも対人恐怖が強かったので、当時から両親が心理カウンセラーに相談をしており、その方に紹介していただきました。また、両親がインターネットで調べてくれました。両親は調べてきたところを私に伝えるときに、事実だけを簡潔に述べ、「ここに行ってみたらどうだ」といった意見まで言わないでくれたのですが、それが良かったのかもしれません。
Cさん
私がひきこもるようになった経緯は、小さい頃から「自分は何で生きているんだろう」という存在論的な不安を常に抱えており、小学生から不登校ぎみで、学校に行けないことがしばしばありました。また、母親がエホバの証人という新興宗教に入っており、「もうすぐ世界は終わる」というような終末論をたたき込まれていました。そのせいもあってか、うつ病を患い、人間関係をうまく築くことが苦手でした。
中学生になって思春期に入ると、異性との関係やスクールカーストに悩まされ、人間関係もどんどん悪化していきます。女性恐怖症で、学校では異性と話すことができず、クラスにも溶け込めずに、気がつくと一人ぼっちになっていました。そのような中で、あるとき、一人ぼっちの状況から脱しようと思い、道化を演じようとします。とにかく下ネタを言いまくり、目立とうとしました。しかし、それがエスカレートしすぎて、「あいつは変人だ」という噂が学校中で広まり、さらに孤立してしまいます。それでも道化を続けるうちに、何人かは友達ができました。しかし、精神状態は追い詰められ、うつ病も悪化し、過呼吸を生じるようになりました。
高校生になると、とうとう道化を演じる自分に耐え切れなくなり、パニック障害を発症しました。そこからひきこもり生活が始まり、高校も二年生のときに中退しました。ひきこもっている間は、社会に出ることは諦めていたのですが、なんとか社会で生きていく方法はないかと、ギターの練習をしていました。しかし、そのうちに、ギターの練習をしていても、社会で生きていくことは無理だということに気づき、「死」を意識し、自殺を決意しました。
長くひきこもっていると頭が悪くなり、まともな思考ができなくなっていきます。そのときに、「よくわからないけれど、神様がいる」と思ったんです。そして、せっかく神様がいると思ったならば、本当の意味で神様がいると気づくために生きていこうと思うようになりました。この「神様を信じる」ということが、私にとってひきこもりを脱する一つのきっかけとなりました。
高校を中退していたので、その後、通信高校に通い直し、大学に入るために勉強しました。その際、予備校には通わず、インターネットで情報を集めながら独学で勉強しました。今の時代、インターネットを利用すれば、独学でも自分に合った勉強方法を見つけることができると思います。
大学には入ることができたのですが、一度中退をしていることによって同級生より年齢が上であることや、過去にパニック障害を患っていることが気になり、なかなか友達ができず、大学内を逃げ回っているような状態が続きました。そして、1年後にまたひきこもるようになってしましました。その頃は、一日中インターネットを見て、ダラダラしているような生活でした。そのうちに、再び自殺を考えるようにもなりました。すると、また神に目覚めました。二度目の目覚めです。「今この瞬間に神様を信じる道を選ばないと、この先ずっと苦しみ続けることになる」という教えを見つけ、それを見つけたときに強い恐怖感に襲われました。しかし、結果的には、その恐怖感が私の背中を押してくれ、それがきっかけで再びひきこもりから脱することができました。
ひきこもりから脱したあとは就職活動を始めました。就職活動を始めた当初は、まともに人と話すこともできず、自己紹介すらできないような状態でした。それでもとにかく面接には行こうと決めて、「今日は自己紹介だけしよう」「今日はこの質問には答えられるようにしよう」と、毎日必ず目標を決めて、それをクリアするようにしました。結局、半年ほどで百社以上の面接を受けました。最初の頃はほとんど落ちましたが、最終的には三社受かり、無事に就職活動を終えることができました。私は就職活動をコミュニケーション能力を磨く修行であると捉えていました。今はその延長として、IT企業で営業職のインターンシップをしています。
Q.お話を聴くなかで、動き出すきっかけの一つに、ひきこもっていることへの恐怖心があるように思ったのですが、皆さんのひきこもりを脱したきっかけを教えてください。
Aさん
ひきこもっていると、どこかから突き落とされたような感覚になり、強い精神的不安に襲われることがあります。そのような苦しみから脱するには、ひきこもり状態から抜け出すしかないと思い、そのためには大学に入ることが一番だと感じ、それが動き出すきっかけとなりました。有名大学は難しいので、少し偏差値を下げて、「大学に入る」ということを優先しました。精神の安定を得るために大学に入ったことが、私のひきこもりを脱する一つのきっかけになっています。
Bさん
ひきこもっているときの心理状態は独特で、なかなか説明するのは難しいのですが、家で長くひきこもっていると本当に息苦しくなります。「今日も一日生きなければいけない」「なんでこんなことをしているんだろう」と、毎日同じことを繰り返し考えます。その中で、息苦しさがピークに達したとき、ふと「この状況はすべて自分が選んだものだ」という思いに至りました。それまでは「社会のせいだ」「親のせいだ」と思っていたのですが、すべては自分の責任だと感じるようになりました。そうすると、「自分の人生は、自分しか変えることができない」と思い、「自分のやりたいようにやるしかない」と思えるようになって、気持ちが楽になりました。
Cさん
私は、完璧主義な性格から、「将来はいい大学に入って、いい企業に入る」という想いを持っていました。しかし、現実と理想との違いに自信を失い、現実逃避をするようになりました。そのときは、自分がうまくいかないのは、「社会のせい」「他人のせい」と思っていましたが、それを一旦止めて、現実の自分を受け入れるようにしました。「このままではまずい」という恐怖心が、ありのままの自分を受け入れて、現実と向き合う勇気になったのだと思います。
あともう一つのきっかけは、先ほどお話した神への目覚めです。
Q.親の対応で良かったこと、良くなかったこと、あるいは、親からどのようなことをして欲しかったのかを教えてください。
Aさん
私は母子家庭で母親と二人暮らしだったのですが、母親は精神医学にまったく興味がなく、仕事をしていたので子育てに関わることも多くありませんでした。また、ヒステリーをぶつけられることもありました。それが良くなかったことだと思います。
良かったことは、学歴主義の母だったにも関わらず、偏差値の低い大学に行くという選択肢を与えてくれ、学費を出してくれたことです。
Bさん
私は、ひきこもりに理解のある両親で恵まれていたと思います。一番ありがたかったのは、「不登校はうちの子じゃない」とか「働かないなら出ていけ」ということを一度も言われなかったことです。また、衣食住を無条件に与えてくれ、その点における不安がまったくなく、親が元気なうちは物理的に死ぬことがないという安心感が支えになっていました。
良くなかったというか、困ったことは、「私は何をすればいい?」「協力するから、あなたが楽になる方法を教えて欲しい」などと言われることです。ひきこもっている人の大半は、親に対する罪悪感を持っていると思います。ただでさえいつまでもお世話になっていることに引け目があるのに、その親から「どうして欲しい」というさらなる欲望を求められることは、苦しく、心の負担になってしまいます。
放っておいてくれというのではないのですが、心配されすぎると負担になるので、適度な距離感を取りつつ、親自身にも楽しく生きて欲しいと思います。
Cさん
私の家族は機能不全家族のような状態で、父親は機嫌が悪いと家族に当たって家をぐちゃぐちゃにしたりするような人でした。私自身も虐待のようなことをされたこともあり、それがトラウマとなっていろいろな恐怖症が生じた時期もありました。家族にどう接して欲しかったかを考えると、小さい頃はとにかく放っておいて欲しかったです。何かすると父親に殴られるし、母親からもエホバの証人の戒律に縛られることがあったので、自分の好きなようにさせて欲しかったです。逆に大きくなってからは、どうして自分はこんなに苦しいのか、もう少し理解しようとする姿勢を見せて欲しかったです。また、少しでも助けようと行動して欲しかったです。
ひきこもりの経験は三者三様であり、すべてを一概にまとめることはできませんが、ひきこもりを脱するきっかけには、「現実を受け入れ、ありのままの自分と向き合う」ことがあるように思います。理想を求めてプレッシャーに苦しむのではなく、また、何でも社会や他人のせいにするのではなく、ありのままに自分自身を見つめ、一歩踏み出す勇気を持つことが大切です。ご家族には、関わりすぎるのでもなく、放っておくのでもなく、適度な距離感を保ちながら、ご家族自身が楽しく生きることが求められています。また、ご家族自身が支援機関とつながりを持ち、様々な情報を備えていることも重要です。
今回は、元当事者の方が講師ということで、いつも以上に参加者が多く、ご自身のお子さんには聴きづらいような当事者の思いを聴くことができました。参加者のアンケートからも、大変有意義な会になったことが伺えました。講師の三名の方には、勇気をもってお話いただいたことに、心より感謝申し上げます。