寺子屋ふぁみりあ
2016.01.22
やさしさこそが大切で、かなしさこそが美しい
新しい年を迎え、1月7日、今年初めての寺子屋ふぁみりあが開催されました。今回は、浄土真宗本願寺派の僧侶で、東京拘置所で教戒師も務めていらっしゃる平野俊興師をお迎えし、「やさしさこそが大切で、かなしさこそが美しい」というテーマでご講演いただきました。
平野師は冒頭で次のようにおっしゃいました。
近年、日本という国は、そこにいる人びとが煽られて生きているように感じます。本来の日本は、穏やかなことを願う「鎮めの文化」にありました。しかし、近年の 日本は「煽りの文化」になっているように感じます。今の私たちを見ると、「人生、頑張らなきゃダメ」「人生、勝たなきゃダメ」というような風潮の中で、いつも慌ただしく生きているようです。勝つことだけを目標にするような人生では、いつか挫折してしまいます。もちろん、人生において「頑張ること」や「勝つこと」も大切ですが、もっとゆっくり静かに人生を見つめることがあってよいのではないでしょうか。
「煽りの文化」と「鎮めの文化」では、私たちの感じ方も変わってきます。例えば、何かを手にしたとき、煽りの文化では、「自分の力で得たもの」だと感じます。一方、鎮めの文化では、「ご縁によって頂いたもの」だと感じます。頂きものだと感じることで、感謝の念が生じ、今度は自分の頂きものを他の人びとへと振り分けることができます。物だけに限らず、言葉や気づきも含めて、ご縁で頂いたものを自分自身でどう活かしていくのかが大切です。
このように、私たちは生きている中で、たくさんものを、言葉を、気づきを頂いています。その中で、たくさんの頂きものに感謝し、自分だけのものにせず、多くの人に振り分けていかなければなりません。本当のやさしさとは、一方向だけでなく、全方向に向けることのできるやさしさです。そして、さまざまなご縁の中で、自分の気持ちと相手の気持ちが向き合ったときが、本当の意味での出会いであるそうです。
平野師は、自らの頂きものとして、今回のテーマでもある「やさしさこそが大切で、かなしさこそが美しい」という言葉を紹介されました。この言葉は、生まれつき脳性麻痺を患い、15歳の若さで亡くなった土屋康文くんの書いた詩の一節です。康文くんは、自らの病気によって母親に負わせてしまった悲しさと、母親から受けたやさしさを通して、「おかあさん、ぼくが生まれてごめんなさい」という詩を綴りました。康文くんは、自分の人生をしっかり見つめ、悲しさから逃げることなく、悲しさを受け入れたことで、本当のやさしさに気づきました。平野師は、この詩を通して、本当の意味での「やさしさ」や「かなしさ」を教わり、心が揺さぶられたそうです。
年が明けて間もないということもあり、参加人数は少なかったものの、平野師のやさしく包み込むような語り口に、参加者の皆さんも、ときに微笑み、ときにうなずきながら話を聴かれ、いつも以上にアットホームで温かいふぁみりあとなりました。
次回は2月4日、講師に訪問看護師の久保毅さんをお迎えし、「訪問看護の現場から見えてくるもの-ひきこもり当事者の心性を探る-」というテーマでご講演いただきます。