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生と死を見つめる集い
2016.01.22
癌と共に生きる
12月10日、今年度4回目となる「生と死を見つめる集い」が開催されました。今回は、中本啓子さんをお招きし、「癌と共に生きる」というテーマでご講演いただきました。中本さんは、現在は退いておられますが、ユネスコに勤務され、「身体にハンディを抱える人が社会で普通に生きること」の支援や、スリランカにおける農村開発の支援に携わってこられた方です。また、癌を患われたご両親を看取った経験があり、現在は中本さんご自身も癌を患っておられます。
中本さんは、人生を通して、様々な場面で「生と死」と向き合い、「生と死」を見つめ、「生と死」について真剣に考えてこられました。そのような経験の中で、中本さんは「生と死」について、次のことに気づかれたそうです。
過去を否定し、過去を後悔するのは意味がない。
何もわからない未来を怖れることも意味がない。
一日一日を、明日死んでも悔いがないと思うように生きること。
これこそが、中本さんにとって「豊かに生きること」の意味なのです。さらに、中本さんは、「人間の価値」は誰かの役に立っているか否かで判断すべきではないともおっしゃいました。社会の役に立っていないことに煩い、他人の役に立っていないことに苦しむのではなく、ありのままに、好きなように「生きる」ことが大切であるのです。
また、日々生きる中で、「寂しさ」や「不安」を感じたときに行う呼吸法も教えていただきました。
まず、目を閉じて静かに呼吸し、その空気(酸素)が身体中の隅々まで行き渡っていくことに集中します。そして、自分の中の空気(二酸化炭素)をすべて吐き出します。自分が吐き出した二酸化炭素を吸って植物が光合成します。すると、植物は再び酸素を作り出し、自分を含めたあらゆる人がその酸素を吸い込みます。このように、空気は自由自在であり、かつて自分の一部だったものが世界中に行き渡り、誰かの一部になっていることに気づきます。
この呼吸法によって、自分が世界のあらゆるものとつながっていることを実感できます。中本さんは、この呼吸法を知ったことで、たとえ自分が「死」ぬことになっても、その一部はいつまでも世界のどこかで「生」き続けていると思えるようになったそうです。これは自分にとって大切な人が亡くなったときにも、感じることができるように思います。大切な人が亡くなり、その「死」を受け入れることができないとき、その人の一部が世界中のどこかで生き続けていることを感じることができれば、大切な人の死を受容することができるようになるといいます。
中本さんのお話は、改めて「生と死」を見つめ直す貴重な時間となりました。自らの限られた「いのち」のなかで、一日一日、一瞬一瞬をありのままに一生懸命生きていきたいものです。
次回の「生と死を見つめる集い」は2月18日、臨床仏教研究所研究員・大正大学非常勤講師の吉水岳彦師をお迎えし、「生活困窮者の看取りから見えてくるもの」というテーマでご講演いただきます。