生と死を見つめる集い

2015.06.25

医師として僧侶として

 6月11日、今年度二回目となる「生と死を見つめる集い」が開催されました。今回は、坂東観音霊場20番札所西明寺の住職でありながら、境内にある「普門院診療所」の医師としても活動されている田中雅博先生をお迎えし、「医師として僧侶として」と題してご講演いただきました。また、田中先生は現在、末期(最終ステージ4b)の膵臓癌を患っており、先生ご自身も自らの生と死に向き合っていらっしゃいます。

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 まず、「良いものを選ぶには二つの方法がある」と、先生はおっしゃいます。一つは科学的な方法、もう一つは非科学的な方法です。科学的な方法とは、反証可能な領域を扱い、実験や観測によって間違っている証拠を選び、それを捨てていくという方法です。一方、非科学的な方法とは、反証不可能な領域を扱い、間違っているか否かではない次元の問題を、時間をかけて選んでいくという方法です。
 そして、医学は科学的な領域、宗教は非科学的な領域にあります。医学とは科学を根拠とし、実験や観測による反証を積み重ねながら、時代とともに良いものへと変化していくものです。それに対し、宗教は反証不可能な領域であり、実験や観測では反証することができず、様々な答えがある中で自分自身で正しいものを選択していくものです。

 また先生は、宗教について、「自分の命より大切なものがその人の宗教となり、それが限られた命を生きる根拠となる」ともおっしゃっています。田中先生が、このような大きな覚悟をもって宗教に向き合っていらっしゃることを感じました。

  人間は死に直面したとき、実験や観測に基づく科学的な医学の領域と、限りある命をどう生きるのかという非科学的な領域に向き合うことになります。先生は、死に直面する人に対して、医学を担う者と宗教を担う者が共存すべきであると言及されました。イタリアをはじめ、海外では医療現場に多くの宗教者が配置され、スピリチュアルケアを担っているのに対し、日本の医療現場には宗教者がいないことを指摘され、現在臨床仏教研究所で取り組んでいる臨床仏教師の活躍にも期待されていました。
 また仏教は、お釈迦さまの説かれた「四諦」という教えを筆頭に、その誕生の時からスピリチュアルケアの宗教そのものであった、とも述べられています。

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 緩和ケアとは身体の痛みを止めるだけでなく、心の痛みを取り除くことでもあり、医学ではもう何もできない状況にこそ、多くのことが提供できるといいます。まさにそれを担うのが宗教者であり、死生観などは医者が担える分野ではなく、これからの医療現場には「医者と宗教者」、すなわち「治療する人と悩みを聴く人」「命を延ばす人と残された命をどう生きるのかを一緒に考える人」が共存していく必要があるとご指摘いただきました。

 最後に、田中先生は「苦しんでいる人の前に立つこと、また、死に逝く人から学ぶことが修行であり、その修行こそ、医師として、僧侶として、最も重要なことである」とおっしゃいました。先生はこれまで医師として、そして僧侶として、医者と宗教者の両方の立場から、多くの人の生と死に向き合ってこられました。生涯をかけて生と死を見つめ、現在はご自身も膵臓癌と闘いながらの先生のご講演は、これまで医師として僧侶として緩和ケアを担ってこられた先生の覚悟が存分に伝わってきました。

  次回(第三回)は9月17日(木)午後1時~4時に築地本願寺聞法ホールで開催されます。全青協主幹・臨床仏教研究所上席研究員の神仁が「仏教の死生観」というテーマで講演致します。

看取り医が考える大往生《つながりの回復と意向の尊重》 仏教&日本人の死生観
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